武雄(旅館「白さぎ荘」)現在も残る太鼓橋

かつての満州楼の旅館「白さぎ荘」。旅館内部には当時の面影が残っています。

中庭に架かる太鼓橋。遊廓の特徴的な構造を残しています。終戦の1年ほど前、満州楼は海軍の病舎になったときの「兵隊さんがお礼に毎朝、太鼓橋を拭き掃除してくれて、お陰で漆がはげた」という話が旅館に伝わっています。*1

中庭を有しているのも遊廓の特徴的な構造です。ここからも太鼓橋が見えます(写真右下)。

宿泊した部屋。


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 武雄 武雄遊廓 太鼓橋
■散歩事典 武雄
■参考文献
*1朝日新聞社: 朝日新聞.西部版 (朝日新聞社,2015.8.2)染めた看護服 太平洋戦争下、国内医療の現実

P.4 終戦の1年ほど前。武雄の女郎屋さんを全部、海軍が借り上げて病舎にしていましたですね。私の病舎は「満州楼 …


■参考記事

武雄温泉(旅館「白さぎ荘」)満州楼跡

今回は、武雄温泉(佐賀県武雄市)の町並みを散歩します。
かつて、武雄温泉場には遊廓がありました。旅館「白さぎ荘」(旅館「花月」※1 の隣)は、かつての満州楼です。*1

地元の方の話によると、改修はしているが建物の基本部分は当時のままだそうです。

レンガ造りの塀。

夜の白さぎ荘。


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 武雄 武雄遊廓
■散歩事典 武雄 佐賀
■参考文献
*1朝日新聞社: 朝日新聞.西部版 (朝日新聞社,2015.8.2)染めた看護服 太平洋戦争下、国内医療の現実

P.4 終戦の1年ほど前。武雄の女郎屋さんを全部、海軍が借り上げて病舎にしていましたですね。私の病舎は「満州楼 …


■参考記事
■この記事を参照している記事

嬉野(嬉野武雄観光秘宝館跡地)現在は太陽光発電の施設

嬉野市塩田町大字大草野長谷。嬉野温泉からは、約4km北側の場所です。

数年前まで、この場所に、嬉野武雄観光秘宝館がありました。

現在は太陽光発電の施設になっています。

嬉野武雄観光秘宝館は、最新のエレクトロニクス技術の粋を集めた大セックスワンダーランドとして開館し、営業中の秘宝館の中では、展示数、内容、スケール、全てにおいてNo.1でした。*1
オープン当初から約10年間は、入館者数は順調に推移しましたが、1990年に高速道路・長崎自動車道の大村ICー武雄北方IC間が開通すると入館者数が次第に減っていきました。*2

【参考文献】
*1 井竜次:I love秘宝館(八画,2009)P.34
*2 妙木忍:秘宝館という文化装置(青弓社,2014)P.112

嬉野(スナック店)マンダム

嬉野温泉の歓楽街には、スナックやクラブが散在しています。

複数のスナックが入居するビルの看板。

外国人クラブの店の壁面。

スナック「マンダム」。
チャールズ・ブロンソンがCMをやっていた頃(1970年)のロゴマークが使用されています。丹頂は、このCMのヒットのおかげで、社名まで「マンダム」に変更してしまいました。*1

【参考文献】
*1 世相風俗観察会:現代世相風俗史年表(河出書房新社,2009)P.171


■カテゴリ スナック街·店舗 嬉野
■散歩事典 嬉野

嬉野(関西ショー劇場跡)案内看板

温泉街のはずれに、かつてのストリップ劇場「関西ショー劇場」の遺構が残っています。

劇場の入口。「十八歳未満の方入店お断りします。」のプレートだけが残っています。

「関西ショー劇場」の看板は、白く塗りつぶされていました。

唯一の遺構は、劇場から200mほど離れた場所に設置されたままになっている「関西ショー劇場」の看板です。隣には、嬉野小学校のスクールゾーンの交通標識があります。


■カテゴリ 劇場 嬉野 全国
■散歩事典 嬉野

武雄(武雄遊廓跡)旅館「花月」

「全国遊廓案内」*1 によると、武雄町温泉遊廓は武雄温泉場にあって、貸座敷は、花月、一楽、第三国明楼、第四国明楼、第四国明楼、小桜楼、改盛楼、文明楼などがありました。

昭和3年の市街図*2 によると、貸座敷「花月」は、正法寺へ向かう道の角にあって、現在、同じ場所には、旅館「花月」があります。

道の角に沿って、旅館「花月」の建物が長く連なっています。

裏側から見た旅館「花月」。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌.14(三一書房,1993)P.154-P.155 「全国遊廓案内」
*2 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)佐賀県

呼子(旅館街)いか活き造りが名物

殿ノ浦の旅館は、いずれも帆船時代の料理店・船宿から旅館業を始めた、長い歴史を持つ旅館です。呼子港は長い歴史を持ち、この町は多くの映画や小説の舞台となりました。

最近は、少人数での観光客が増え、ホテルタイプの近代的な施設へ転換しています。

呼子は、いか活き造りが名物となっていて、殿ノ浦の旅館の中にも生簀(いけす)で泳いでいるイカを料理してくれる旅館があります。

対岸から見た殿ノ浦の旅館街。


■カテゴリ 旅館 呼子
■散歩事典 呼子

呼子(呼子遊廓跡地)殿ノ浦

今回は、呼子(佐賀県唐津市呼子町)の町並みと風俗を散歩します。
「呼子町史 ふるさと呼子」*1 には、呼子の遊廓跡の場所が図示されています。それによると、遊廓は、殿ノ浦の田嶋神社のある通りの北側、旅館街を含む海沿いの通りにありました。

藩政時代より明治期にかけて、帆船の停泊地として名高かった呼子港において、殿ノ浦は娼妓の町として、昭和30年代まで紅燈の灯が点り、その賑わいは有名でした。遊廓としての実態は、昭和33年4月の「売春禁止法」施行まで続きました。*1
現在も、古い町並みが残っています。

通りには、商店も建ち並んでいます。

1軒だけあるスナック。

【参考文献】
*1 呼子町史編さん委員会:呼子町史 ふるさと呼子 (唐津市,2005)P.50-P.51

唐津(西遊廓跡地)廊内

唐津には、満島の他にもう一つ、佐志に遊廓がありました。*1
古地図*2 に、「西遊廓」と記されている通りに、遊廓の面影はありません。

なだらかな坂道をしばらく行くと、石塀を持つ古い建物があります。*1

笹と鳥の透かし模様。*1

「廊内」と書かれた電柱番号札。(「廓」ではなく、「廊」です。)

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331
*2 野田哲雄:新版唐津市街全図(野田哲雄,1931)

唐津(川沿いのラブホテル)唐津城を望む絶景

唐津城の南側の町田川の河口。「場内橋」と呼ばれる歩道橋から、対岸が見渡せます。

場内橋を渡り川沿いの遊歩道を歩くと、ラブホテルがあります。

プチSMルーム完備。

千代田橋からの眺め。町田川を挟んで、西側(写真左奥)に唐津城、東側(写真右側)にラブホテルが位置しています。


■カテゴリ ホテル 唐津
■散歩事典 唐津 田川

唐津(旅館跡)重厚な3階建ての造り

木綿町の歓楽街の中心部に、古い旅館の建物が残っています。

今にも崩れかけそうに見える建物です。

地元の方の話によると、昭和の初め頃、この付近一帯には、女郎屋もあったそうです。

重厚な3階建ての造り。世界遺産級です。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331


■カテゴリ 旅館 唐津
■散歩事典 唐津

唐津(木綿町のスナック街)大きなイラスト

 今回は、唐津(佐賀県唐津市)の町並みと風俗を散歩します。
唐津駅前の木綿町(きわたまち)は、唐津を代表する繁華街です。*1

特に、東西に走るこちらの通りには、居酒屋やスナックの店舗が密集しています。

レトロなスナック店が建ち並びます。

大きなイラストが書かれたスナック店。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.324-P.331

伊万里(伊万里町甲の路地)料理屋やスナックが密集する一画

伊万里市街の伊万里町甲。大通りから少し入っところの四つ角にスナックがあります。

このあたりは、料理屋やスナックが密集する一画です。

中央市場の隣の和風スナック。

タイルで装飾されたレトロな雰囲気の居酒屋の建物。

伊万里(遊廓跡地)七福旅館

相生橋を渡った御船屋(現在の船屋町)には、御船屋遊廓があって、明治10年頃に隆昌を極め不夜城を現出しました。写真の通りの両側に、一力、いろは、末永屋、三浦屋、丸国、松月(のちの七福)、花月、などの貸座敷が9軒建ち並び、娼妓30名、芸妓28名の規模でした。*1*2

かつての松月(のちの七福)と思われる建物(七福旅館)。

当時の面影が残る唯一の建物です。

奥行のある大きな建物です。

【参考文献】
*1 伊万里市郷土研究会:烏ん枕 第81号(2008,伊万里市郷土研究会)P.27,P.30 「伊万里町町並み復元図(三)」
*2 伊万里商工会:伊万里案内(伊万里商工会,1927)P.73,P105

伊万里(相生橋)伊万里行進曲

今回は、伊万里(佐賀県伊万里市)の町並みと風俗を散歩します。
伊万里の市街地をゆったり流れる伊万里川には、様々な多くの橋が架かっています。いずれの橋にも欄干には、豪華な伊万里焼の陶器や人形などが飾られています。

相生橋の南側にある 佐賀銀行の壁にはからくり時計が設置されており、定刻になるとからくり人形が動き出し ます。

からくり人形の演奏曲目は時刻によって異なります。15:00の演奏曲目は、「伊万里行進曲」です。
♪ 船を出しゃらば夜深にだしゃれ
♪ お舟屋女郎衆の涙雨
♪ 伊万里港は入船出船
♪ 並ぶ三橋恋の橋…
歌詞に登場する「船屋町」は花街として栄えました。三橋とは、市街地と花街をつないだ「相生橋」、「延命橋」、「幸橋」を指しています。*1

船屋町の遊廓は、相生橋を渡ってすぐ左に入った場所にありました。

【参考文献】
*1 西日本新聞社文化部:愛しのご当地ソング(書肆侃侃房,2006)P.64-P.67