深谷(姫の湯)激渋銭湯

食堂の「伊勢屋」の隣にある銭湯の「姫の湯」。

深谷の激渋銭湯です。

脱衣所のロッカーは、大き目で使いやすいです。中庭もあります。

入口の石畳。風情があります。

深谷(ちょうちん横丁)かつての芸者家街

深谷駅前の西島町3丁目にある割烹料理屋。この通りは、「ちょうちん横丁」と呼ばれる昔からの繁華街です。

深谷の貸座敷は、大正末期には、公娼制度の廃止と共に、その姿を消してしまいましたが、これに代わる芸者家街が趣向も場所も変えて新しく出現しました。場所は、現在の提灯(ちょうちん)横丁を中心として散在し、梅の家、三津基、蔦の家、末広、春本、月の家、千登世、森本、一梅、悟の家、寿々木、などという芸者家があって、一時は芸者の数が48人いました。*1

現在はスナック、旅館、食堂などの建物が建ち並ぶ繁華街になっています。

北側から見たちょうちん横丁。

【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.58-P.63

深谷(見返りの松の碑)並木

「見返りの松」は国道17号(写真右側)と旧中山道(写真左側)の交差点(深谷市原郷)に現存しています。江戸時代、深谷宿では「飯盛り女」と呼ばれる遊女が置かれ、宿場のはずれにあるこの松のから宿場の方を振り返り、前の晩の遊女との別れを惜しんだ旅人も多かったことから、「見返りの松」と呼ばれたようです。*1

「見返りの松」の石碑。

石碑の裏側には、青楼華やかな頃の様子が書かれています。

江戸時代、深谷宿のはずれに、松、杉あわせて400本があり、並木道となっていました。

【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22

深谷(遊廓跡地)相生町

今回は、深谷(埼玉県深谷市)の町並みと風俗を散歩します。
今は昔、大正末期まであった深谷の遊廓、「深谷と云えば女郎屋、女郎屋と云えば深谷」と知れわたり、近在は元より、相当遠隔の地からも遥々毎日毎夜多くの人たちが遊びにきました。大正の頃の遊廓は、相生町に9軒、本町に1軒、稲荷町に6軒ありました。*1
明治35年の市街図*2 によると、相生町の安中商店付近には、貸席(貸座敷)の関口楼がありました。

松本楼があったあたり。

酒蔵の田中藤左衛門のあたり、須藤染物店の隣には、芸妓屋と貸席がありました。*2

貸席(貸座敷)があったと思われる場所は、駐車場になっています。

【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22
*2 田口浪三,高柳鶴太郎:埼玉県営業便覧(全国営業便覧発行所)P.49

小川町(菊水湯)銭湯跡

本町二丁目交差点から南へ延びる道路沿いに、銭湯の建物が残っています。

現在は休業中のようです。

菊水湯。

定休日の貼り紙が残されていました。

小川町(女郎うなぎ)吉原の花魁が伝授

福助本館の内部。赤色の太鼓橋がかかる生けすには、うなぎが泳いでいます。

落ち着いた和風の個室。

うな丼を注文しました。とても柔らかくで美味しいです。吉原の花魁かが作り方を伝授したことから、「女郎うなぎ」と呼ばれるようになったそうです。

おみやげ品も豊富です。「女郎うなぎ」ブランドの日本酒も販売されていいました。

小川町(福助楼)女郎うなぎ

小川町駅前の通りを南下すると、旅館「福助」の大きな木造建物が見えてきます。

国道に面した側が、福助本館の玄関です。

歴史を感じさせる「福助楼」の看板。「女郎うなぎ」が名物です。

奥行のある建物。福助本館と福助旅館がつながっています。

小川町(花街跡地)稲荷町

今回は小川町(埼玉県比企郡)の町並みと風俗を散歩します。
東武東上線の小川町駅の南側。国道254号線を超えたところに、ゆるやかに曲線を描く通りがあります。かつては稲荷町と呼ばれていたあたりです。

この付近には、芸妓屋がありました。*1

現在は、花街の名残はありませんが、商店だった建物などが軒をつらねています。

稲荷町という地名の由来でしょうか。近くに稲荷神社がありました。近くには川が流れていたらしく、橋の遺構が残されていました。

【参考文献】
*1 埼玉県営業便覧 P.25

西川口(和風旅館)駅の北東側

西川口駅の北東側は、ラブホテルが密集するエリアですが、その中に混じって和風の旅館だった建物が残っています。

現在は営業していないようですが、かつての風情は残されたままです。

旅館「あしび」。

旅館としての営業は継続しているようです。

西川口(駅前の商店)トタンの建物

西川口東口駅前。整備された駅前ロータリーの脇に古くからの商店が並ぶ一画があります。

建物の裏側。

小さな空地になっています。

商店の1軒1軒がトタンの建物であることが解ります。

西川口(線路沿いのラブホテル)恰好の撮影ポイント

今回は、西川口(埼玉県川口市)の町並みと風俗散歩します。
JR京浜東北線の西川口を発車した直後の車窓からは、線路沿いに建ち並ぶラブホテルを目にすることができます。

都内には、日暮里や巣鴨など、線路沿いにラブホテルが立地する場所がありますが、西川口もこの例にならっているようです。

京浜東北線と東北本線が並走する長い直線コースは、鉄道ファンにとっても恰好の撮影ポイントです。

ラブホテルの前の電車が走り抜けます。

川口(喜楽湯)仲一商店街

川口西公園の北側にある仲一商店街。緩やかにカーブえ描く商店街の先に、銭湯の喜楽湯の建物が見えてきます。

入口付近は綺麗にリニューアルされています。

油田型の煙突。

近くには、仲一商店街のレトロな看板がありますが、現在は商店街と言えるような賑わいはありません。

川口(子供像)川口西公園。

川口西公園は、川口駅西口前にある大規模公園です。
ここには、銅像が多数設置されています。

公園の北側に設置されている「家族」というタイトルの作品。中央に子供像、後方に両親の像。股間の形状の違いから、右側が母親の像であることが解ります。

後ろ側から。

子供像。

川口(新地跡)乙種料理店

昭和15年の資料*1*2 によると、川口の乙種料理店(新地)は、幸町2丁目にありました。
現在は、商店街となっています。

乙種料理店の鶴亀があった場所。*2

同じく、乙種料理店の大坂屋があった場所*2 は、現在はスーパーになっています。

新地組合事務所があった場所*2 は、現在は公園になっています。

【参考文献】
*1 川口商工會議所:川口商工人名録 昭和15年版 (川口商工會議所,1940)P.135-P.137
*2 都市地図社:川口市住宅地図 幸町二丁目11.B(都市地図社,1940)

川口(レトロ電柱)奇跡的に残っています。

川口市本町の「川口宿の碑」がある交差点から西へ行ったところに、レトロなコンクリートの電柱があります。

細い路地と広い道路が交差する場所に、奇跡的に残っています。

電柱の側面。

現在は、街路灯として活躍しています。

川口(ストリップ劇場跡地)川口DX劇場

昭和40年代、川口が鋳物の町として栄えていた頃は、ストリップ劇場の全盛期でした。川口DX劇場は、最初は、交番の前にありました。*1
1970年の住宅地図*2 には、交番前に「川口ミュージック劇場」の記載があります。
近隣では、西川口のテアトル劇場が低料金でお客を集め、一方、蕨のワラビミニ劇場がハードな内容でお客を集め、この二つの劇場が他を圧倒していました。

その後、川口DX劇場は、のちの大蔵映画館の隣のボウリング場跡に、以前より小屋を大きくして立て直されました。現在の郵便局の前の駐車場がその跡地です。

オークラ映画館跡地。当時の名残でしょうか。駐車場の名前は、「川口オークラ駐車場」となっています。

写真右奥の交番前が「川口ミュージック劇場」があった場所(交番前)。写真左手前は、川口DX劇場があった場所。

【参考文献】
*1 川上譲治:書籍さらばストリップ屋(朝日新聞社,1988)P.53-P.54
*2 住宅地図出版社:川口市南部(住宅地図出版社,1970)P.72

川口(鋳物工場跡地)「キューポラのある街」の面影

今回は、川口(埼玉県川口市)の町並みと風俗を散歩します。
近年の川口は、開発が進み、高層マンションが林立する町並みとなっていますが、かつては鋳物工場の街でした。映画「キューポラのある街」では川口でロケが行われ、当時の町並みが映画の中に記録されています。

現在は、鋳物工場があった頃の名残はほとんどありませんが、高層マンション「リビオタワー川口ミドリノ」の敷地には、「こしき」と呼ばれる当時の小型の炉が保存設置されていて、当時を偲ぶことができます。

「鋳物の街」の案内板。

こしき(小型の炉)。

浦和(新開地)東仲町

「全国遊廓案内」*1 によると、浦和の遊廓は、 「埼玉県浦和町字中野原新開地にあって、鉄道は東北線浦和駅で下車、浦和町の東、鉄道線路の東方(向ふ側)にあって、乙種料理店の集合」でした。
中野原(中ノ原)は、その後、高砂町5丁目→東仲町(現在)へと町名変更されました。*2*3
昭和11年の「最新浦和町案内全図」*4 に「新開地」と記された場所があります。現在の東仲町の住宅街です。

旧「新開地」のT字路から北側を見たところ。

大通り側から新開地の方角を見たところ。

T字路からは、浦和駅東口駅前の浦和パルコが見えます。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌14(三一書房,1993)P.23-P.24 「全国遊廓案内」
*2 浦和市総務部市史編さん室:浦和市史第4巻(浦和市,1982)
*3 浦和耕地整理組合:浦和古地図集[複製]4 埼玉県浦和耕地整理組合確定図(浦和耕地整理組合,1934)
*4 小森又三郎:浦和古地図[複製]5 最新浦和町案内全図(小森又三郎,1932)