烏丸(桜湯)レトロな銭湯

桜湯は、丸太町橋の近くにあるレトロな銭湯です。

大正末以降に全盛となる派手な銭湯建築の様式(唐破風や格天井)とは異なり、大正8年に建てられた桜湯の建物は貴重なものです。*1

入口には大きな暖簾。

脱衣場のロッカーと柳行李。かなり使いこまれた感じです。*1

【参考文献】
*1 林宏樹:京都極楽銭湯案内(淡交社,2004)P.46-P.47


■カテゴリ 銭湯 長浜 烏丸
■散歩事典 烏丸 長浜

草津(遊女の墓)人形浄瑠璃の「冥途の飛脚」のモデル

南草津駅からバス約10分の場所にある清浄寺に、遊女梅川の墓があります。
梅川は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃の「冥途の飛脚」のモデルとなりました。

道路から少し入ったところに清浄寺があります。

遊女梅川の墓。

清浄寺の近くに、梅川終焉の地があります。


■カテゴリ 墓・供養塔 草津
■散歩事典 草津

草津(旧遊廓地の地蔵)奉納額に妓楼の名

遊廓の敷地の角にある出世地蔵・水子地蔵

東新地の遊女の信仰を集めていたようです。

奉納額に「草津東新地東樓(楼)」と書かれています。

石柱の裏側に山貞(やまて)楼の文字が彫り込まれています。
山貞楼は、北側の奥から2軒目にあった妓楼です。*1

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637

草津(遊廓跡)当時の妓楼の屋号が残る建物

遊廓跡地には、妓楼の面影を残す建物が残っています。
通りの南側には、吉富楼、月の家、常盤楼、開盛楼、大富楼の順で並んでいました。*1

唯一、当時の妓楼の屋号が残る開盛楼。位置も当時のままと思われます。

南側の中ほどにある建物。

北側に位置する束田タバコ・菓子店は、初期から存在しました。*1

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637

草津(東新地遊廓跡地)藤・しだれ柳の分離帯

草津新地の起源は、明治33年で、東(あづま)新地と呼ばれ、東横町の南、字小二俣の水田の地に形成されました。 草津新地の最盛期は、第一次大戦中の好景気の時期(大正8年前後)でした。当時の東新地の構成は、道路を挟んで貸座敷が合計16軒並んでいました。新地は、売春防止法が施行される昭和33年まで続きました。*1
「大日本職業別明細図」*2 によると、「遊廓」、「東新地遊事ム所」の記載があります。

中央の道路には、藤・しだれ柳の分離帯がありました。*1

吉冨楼があったあたり。

中央の道路がいかに広いかは、新地の周囲の道路の道幅が狭いことにより、実感できます。

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637
*2 東京交通社:大日本職業別明細図.大津市他(東京交通社,1937)

草津(ばんから横丁)昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現

駅前のビルの地下1階に飲食街の「ばんから横丁」があります。

「ばんから横丁」は、昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現した飲食街で、あちこちに配置された看板や電柱などの小物は当時のホンモノを使用しています。(案内板より)

スタンド、居酒屋、スナックなどがリアルに再現されています。

「女中さん急募、住み込み優遇します」と書かれた貼り紙。


■カテゴリ 商店街 草津
■散歩事典 草津

草津(駅前の白ポスト)スリムタイプ

今回は、草津(滋賀県草津市)の町並みと風俗を散歩します。
草津駅東口の階段を降りたところに白ポストがあります。

白ポストの箱としては、珍しいスリムタイプです。

「ゴミ箱ではありません。(吸殻、新聞、ゴミなどは入れないでください。)」と書かれていまが、中には、新聞紙などが入れられているようです。

反対側の西口にも同型の白ポストがあります。


■カテゴリ 白ポスト 草津
■散歩事典 草津

大津(柴屋町のスナック街)

遊廓があった柴屋町(馬場町)は、その後は夜の歓楽街となりました。*1
1966年刊行の「あじ・やど・おんな」*2 によると、柴屋町のクラブ・バーの建物は、300年の間栄えた遊廓の建物をそのまま使った古い店で、大津絵から抜け出たような色の白い京女が酌をしてくれたそうです。
旧赤線だったことから、店によっては飲食を抜きにして、ホステスに肉体サービスをさせるところもありました。*3
写真右手前のあたりには、花街会館がありました。*4

現在の柴屋町の歓楽街。

ひところと比べると店舗はまばらですが、所々に、スナックが密集している路地があります。

バー「たか」跡。*4

【参考文献】
*1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会:角川日本地名大辞典(角川書店,1979)P.579
*2 福村弘二:あじ・やど・おんな(東栄堂,1966)P.130-P.131
*3 梅田晴夫:全調査東海道酒・女・女の店(有紀書房,1967)P.312
*4 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4


■カテゴリ スナック街·店舗 大津
■散歩事典 大津

大津(桶屋町の花街跡)揚屋町として栄えました。

桶屋町は、道路を隔てて東西に延びています。東の桶屋町は、昭和初期の建物が並ぶ住宅街となっています。格子の窓や、二階には木の手すりも多く残っています。*1

三代続く医者のお宅。*1

西の桶屋町は、遊廓があった柴屋町に接しているため、飲食店が軒を連ねています。建物には、昔、芸者置屋さんだった雰囲気が残っています。*1

桶屋町は、揚屋町として栄えました。遊客は、この揚屋へあがり、置屋から遊女を呼び出し、遊興を楽しみました。*1

【参考文献】
*1 大津の町家を考える会:大津百町物語(サンライズ出版,1999)P.62

大津(古い民家)遊廓があった柴屋町

貞享5年(1688年)の「日本永代蔵」に「柴屋町より白女よび寄、客の遊興昼夜のかぎりもなく」とあり、大津の柴屋町(現在の長等2、3丁目)は、賑わいのある評判の遊廓でした。町の東西南北には大門があり、廓内に約30軒がありました。

「旅館えびすや」と思われる建物。*2

かつては、妓楼だったのかもしれません。

「料理きくや」と思われる建物。*2

【参考文献】
*1 地名辞典(岐阜県)
*2 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4


■カテゴリ 民家 大津 柴屋町遊廓
■散歩事典 大津

大津(トンネル路地)2階建ての長屋

薬局の建物にあるトンネル路地(ろーじ)。
この近くには、花街組合の建物がありました。*1

トンネルを抜けると2階建ての長屋が連なる路地が続いています。
この付近には、「松の家」「グリル花柳」「クラブ古都」「ニューコンパ」などのバーやクラブがありました。*1

路地は、コの字型に曲がって、元の通りへ戻ります。

路地の曲がり角のあたり。

【参考文献】
*1 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4


■カテゴリ 路地 大津
■散歩事典 大津

大津(スチームバスセンター跡)現在は料理屋

今回は、大津(滋賀県大津市)の町並みと風俗を散歩します。
京阪電気鉄道石山坂本線の三井寺駅で下車し、柴屋町を目指して南下すると、途中に交差点があります。

交差点を西側からみたところ。交差点の角には、かつてスチームパスセンターがありました。

現在は、料理屋の建物が建っています。

近くには、料理屋の「豆信」。登録有形文化財に指定されている建物です。


■カテゴリ 娯楽文化 大津
■散歩事典 大津

長浜(海洋堂フィギュアミュージアム)美少女フィギュア

長浜の黒壁スクエアに、海洋堂フィギュアミュージアムがあります。海洋堂は、ガレージキット・フィギュア・食玩等の各種模型を製作する有名企業です。
フィギュアとは、さまざまな、キャラクター人形を指します。

美少女フィギュアのゾーン。美少女フィギュア造型の第一人者BOME氏の作品を中心に展示されています。

美少女戦士セーラームーンのセーラー戦士たち。

ゲーム「いきなり はっぴいベル」より「鷺ノ宮柑子」。

近年、フィギュアは、アニメやゲーム作品に登場する美少女タイプが多様化し、「保存用」「観賞用」「実用」というという言葉や概念で区別されるようになりました。「実用」とは、「抜く」ためのものです。*1

【参考文献】
*1 斎藤環:戦闘美少女の精神分析(筑摩書房,2006)P.66-P.70


■カテゴリ 娯楽文化 長浜
■散歩事典 長浜

長浜(長浜遊廓跡地)南片町

長浜遊廓は、長浜町字南片町にありました。*1

大日本職業別明細図*2 によると、このあたりが南片町で、この付近には、遊廓事務所もありました。

風情のある通り。この通りの奥には、「みゆき」「弥生」「かをる」「シルバー」「美知子」「多恵」などの店が入る「東仲見世」*3 という名の飲み屋街の建物がありましたが、現在は取り壊されて更地になっています。

「高崎屋」という旅館の建物。「全国遊廓案内」*1 によると、同名の屋号の妓楼がありました。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.117 「全国遊廓案内」
*2 日本交通社:大日本職業別明細図 長濱町(日本交通社,1936)
*3 日本住宅地図出版:長浜市(日本住宅地図出版,1980)P.61

彦根(袋町)ホモちゃんマークの牛乳箱

遊廓跡は、牛乳箱の宝庫でもあります。軒下に北川牛乳の牛乳箱があります。

森永牛乳の牛乳箱ですが、前面に販売店の名前のあるめずらしい牛乳箱。

側面にホモちゃんマーク*1 がデザインされています。森永の牛乳箱は、正面にエンゼルマークがデザインされているものがほとんどですので、これはめずらしい牛乳箱かもしれません。

プラスチック製も含めると、全部で3つの牛乳箱が取り付けられているお宅。
手前の牛乳箱はペンキで茶色に塗られています(できれば塗って欲しくなかった)。向こう側の牛乳箱は、「雑巾ばさみ(という言葉があるかどうかはわかりませんが)」として使われています。

私は記憶にないのですが、ホモちゃんの歌というのもあったそうです。
宣伝の歴史からいっても、コマーシャルソングの草分けで、昭和28年に、ラジオ放送で全国に流されました。*2
ホモちゃんの歌(サトーハチロー作詞 2節以下省略)*2
こんこんこんちは ごきげんさん
ボクはホモちゃん みんなの子
だんだん誰とも仲良しこよし
おとなり おむかい あの子にこの子
どの子もまけずに ぐんぐん
またのびた
【参考文献】
*2 森永乳業50年史編纂委員会:森永乳業五十年史(森永乳業,1967)P.279
【参考記事】
*1 ホモ牛乳


■カテゴリ 牛乳箱 彦根
■散歩事典 彦根