井波(遊廓跡)タイル張りの家屋

明治32年、芸娼妓、貸座敷免許地として、現在の堀道が指定され、山見、井波、藤橋、北川に散在していた料理屋、貸座敷がこの地に集まり、以後、免許地遊廓として栄えました。*1

現在の堀道には、廃業したとおぼしきスナックに転用された建物、タイル張りの家屋が残っています。*2

遊廓の近くには、芝居小屋の八乙女座がありましたが、昭和11年に消失。その跡地に井波劇場(現井波郵便局の位置)が新築されました。*3

スナックの建物の隣の和風の建物

■カテゴリ 井波 井波花街 遊廓·遊里跡

■参考文献
*1草の根サークル: いなみ地名の由来と伝説 (井波町教育委員会,1996)

P.92-P.93 堀道(ほりみち) 明治32年、芸娼妓、貸座敷免許地として山見釜土の一部(現堀道地内)が指定 …

*2加藤政洋: *現代風俗2002 20世紀の遺跡 (河出書房新社,2002)消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡

P.46 井波の花街「堀道」(現在の表記は「堀通」)は、ちょうど参道の裏通りに位置している。

*3井波町商工会誌編集委員会: 井波の商と工・その軌跡 (井波町商工会,1991)

P.127-P.128 盛況を極めた井波遊廓-井波芸者の風格

井波(割烹料亭)堀道

井波の花街「堀道」(現在の表記は「堀通」)は、八日町通り(通称「瑞泉寺通り」)の参道の裏通りに位置し、おそらく観光に訪れる人々が足を踏み入れることのない場所です。*1

現在でも営業している大きな割烹。*1

「木彫りの里『井波』」らしい意匠。

坂道沿いに建っています。

■カテゴリ 井波 井波花街 花街·花街跡

■参考文献
*1加藤政洋: *現代風俗2002 20世紀の遺跡 (河出書房新社,2002)消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡

P.46 井波の花街「堀道」(現在の表記は「堀通」)は、ちょうど参道の裏通りに位置している。

石動(遊廓跡地)川岸町

石動の免許地は、はじめ今石動に一ヶ所、後には福町(いずれも小矢部川の西側)にも設けられました。*1
また、昭和7年(1932年)の富山県統計書などの資料*2 によると、石動の川岸町(小矢部川の東側、現在の東福町)に花街(遊廓)があって、貸座敷9軒、料理屋38軒、芸妓47名、娼妓5名の規模でした。

川岸町にはかつての料理屋と思われる建物が現在も残っています。

大正13年の石動町住宅案内図*3 に、和洋御料理、仕出し「上埜楼」と記載のある旅館の建物。

満月楼だったと思われる建物。*3

【参考文献】
*1 小矢部市史編集委員会:小矢部市史 下巻(小矢部市,1971)P.61
*2 社団法人現代風俗研究会:20世紀の遺跡 加藤政洋「消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡」P.44
*3 千秋謙治:砺波・小矢部今昔写真帖(郷土出版社,2002)

石動(松泉閣)観光旅館

今回は、石動(いするぎ、富山県小矢部市)の町並みと風俗を散歩します。石動は、高岡と金沢の中間に位置し、北国街道の宿場町として栄えました。現在の石動駅の北側が中心市街地で、その東側には、小矢部川が流れています。小矢部川沿いは、風光明媚な地で、観光旅館の松泉閣の建物が建っています。

旅館に隣接した料亭風の建物。

観光旅館と書かれたホテルの玄関。

小矢部川からの遠望。

■カテゴリ 旅館 石動

氷見(うどん店)地酒「曙」の舛酒

氷見の光禅寺の西側には、通り沿いに風情のある飲食店が建ち並んでいます。
このあたりは、かつての有磯新地の一部で、山岸楼、巴亭、二塚や、稲荷亭、の遊廓や料理屋がありました。*1

氷見と言えば、うどんです。

氷見の地酒「曙」の舛酒を頂きました。

氷見うどんとミニ海鮮丼のセット。

【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.632

■カテゴリ 氷見 食文化

氷見(有磯新地跡)俗に「めんきょちょう」と称しました。

氷見の入船町(現在の丸の内)には、かつて遊廓があって、多数の妓楼が軒をつらねていました。この遊廓のことを氷見では俗に「めんきょちょう」と称しました。これは「免許地」のなまりです。明治19年5月11日、富山県が指定した13カ所の「免許地」の起源ですが、その中に射水群氷見本川町が入っています。その地は、光禅寺の裏側にあたり、その一郭は大正12年8月20日より、入船町と改称されました。*1
氷見町大火の後、現在地の元「大浜楼」に移転した平和交通の社屋。この折に、「駅前平和タクシー(株)」から「平和交通(株)」に社名が改められました。*2

「氷見有磯新地略図」*1 によると、光禅寺の東側。小坂山楼があったあたり。*1

「一角」「入舟亭」があったあたり。*1

島勇楼があったあたり*1 に建つスナック。

【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.108-110,P.631-633
*2 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30

氷見(愛宕神社跡)町の中心部

氷見市街の丸の内。富山第一銀行氷見支店西側の交差点の角に、小さな公園があります。

ここは、かつて愛宕神社があった場所で、公園の隅には、小さな鳥居が残っています。

「愛宕神社跡」の碑。

この付近は、元「有磯新地」と呼ばた遊廓地で、大正期から昭和10年代にかけて多数の貸座敷や妓楼、料理屋などが軒を列ねて賑わいましたが、昭和13年の氷見町大火により罹災しました。*1

【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30

氷見(復興橋近くの町並み)

今回は、氷見(富山県氷見市)の町並みと風俗を散歩します。
氷見市街を流れる湊川は、河口に近い市街の中心部付近で大きくカーブを描いています。
この付近(公衆トイレの奥の現在のアミューズやまとビル(写真の水色のビル)にあった日本劇場は、昭和30年代に氷見に3館あった映画館の一つでした。*1

復刻橋。

大正7年に作られた鉄筋の橋です。

逆方向から。

【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.9

高岡(稲荷神社)羽衣遊廓内

羽衣遊廓があった一画にある稲荷神社。

遊廓創立の記念碑に、深島平蔵、八島三𠮷の名が刻まれています。
八島三𠮷さんは、高岡市百姓町の出身で、大阪角力の大関(角力名猫又三吉)に出世し、帰郷後、下川原町の料亭八島屋の主人公となりましたが、大火の後免許となった羽衣遊廓へ移転、イの一番に八島楼を開業しました。

羽衣組合一同。

羽衣遊廓は、明治、大正、昭和の60年にわたり栄えた八島楼をはじめ、古曼、木下、煙草森、松島、米谷、寺西、大丸中八、松野など48軒が大繫昌しましたが、昭和33年の売春防止法施行とともに廃転業しました。

【参考文献】
*1 高岡史談:高岡史話(高岡史談会,1965)P.45

高岡(白ポスト)末広町

今回は、高岡(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
高岡駅前から北西方向へ延びる大通りは、町の中心部です。

歩道に、白ポストが設置されています。駅前でない場所に設置されているのは、珍しいケースです。

裏側に「白ポスト」の表示。

富山県内では、チューリップがデザインされた白ポストを多く見かけます。