芝浦(芝浦運河まつり)今年で3回目です。

今回は、芝浦の町並みと風俗を散歩します。JR田町駅の駅前は、綺麗に整備された通りに飲食店が並んでいます。「ポートボウルは左に折れてまっすぐ5分」と書かれた看板があります。近くにボーリング場があるようです。
この日(10月22日)は、今年で3回目を迎える「芝浦運河まつり」が開催されていました。

芝浦は運河の町です。運河の上をモノレールが走り、まるで遊園地のような異質な空間が町のあちこちに見られます。

芝浦運河まつりの会場に、「協働会館コーナー」がありました。
協働会館は、昭和11年に建てられた近代和風建築です。もともとは、芝浦花柳界の見番(検番とも書く)として建てられました。*1
冊子「協働会館 華やかなりし花柳界の面影を伝える近代和風建築」(500円)が販売されているので、1冊購入しました。

生ビールを1杯頂きました。

【参考文献】
芝浦・協働会館を活かす会:協働会館 華やかなりし花柳界の面影を伝える近代和風建築(芝浦・協働会館を活かす会,1999)P.8

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娯楽文化 芝浦

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芝浦

品川(天神湯)赤レンガが残る銭湯です。

北品川2丁目の商店街に天神湯という銭湯があります。品川には、お寺などに、赤レンガの塀が多く残っていますが、銭湯にも赤レンガの塀が残っています。

正面の入口。玄関の格子模様がいい感じです。

ここの銭湯は、手ぶらで入浴できるので、散歩に最適です。入浴セットは、タオルと石鹸、シャンプーがセットになって100円です。

中には、小さな庭があって、鯉が泳いでいました。木製の長いすや、木製の床などが光輝くほどきれいに磨かれています。昭和レトロのお手本のような銭湯です。

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銭湯 品川

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品川

品川(海蔵寺)投込寺と呼ばれています。

品川には、たくさんの寺がありますが、その中で、投込寺と呼ばれている寺が海蔵寺です。たたずまいは、静かで清楚な寺です。

かって、品川遊郭があった時代、この遊郭で死んだ遊女がこの寺に投込まれました。他に、寺には、品川京浜電鉄轢死者の碑や関東大震災横死者の碑などがあります。

たくさんの石仏や墓石を一つにまとめた供養塔があり、「無縁首塚」と名前がついています。

この供養等の墓誌には、次のように書かれています。
(1)鈴ヶ森刑場で処刑された罪人の首を埋葬
(2)品川遊郭の遊女の霊
(3)品川京浜電鉄轢(れき)死者の霊
(4)品川海岸溺死者の霊
(5)品川行路病横死者の霊
(6)関東大震災横死者の霊
いろいろな、無縁仏を一つにまとめたもののようです。

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墓・供養塔 品川

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品川

品川(北品川公園近く)手押しポンプが残っています。

北品川公園周辺は、小泉長屋と言われる町並みが残っている場所ですが、ここには、公園の周囲だけでも4基の手押しポンプが残されています。

北品川公園裏にある手押しポンプ。このように道のど真ん中にあるのが特徴です。但し、このポンプは水ににごりがあり、使用禁止となっています。

北品川公園の入口付近の角地にある手押しポンプ。路地の風景とよく調和しています。北品川公園周辺には、もう1基、公園を回り込んだ路地に、手押しポンプがあります。

北品川1丁目のビジネスホテル清美荘近くの路地にある手押しポンプ。この他にも品川2丁目26の花屋の脇の路地を下った所にも1基ありました。

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品川 井戸

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品川

品川(牛乳箱)古い町並みに牛乳箱が残っています。

天王洲運河の隣に、しながわ百景の一つに選ばれている「北品川の古い民家の家並み」があります。

民家は数棟が固まって残っていますが、そのうちの1軒の玄関脇に牛乳箱が残っていました。

明治牛乳の牛乳箱には、縦書きと横書きがありますが、こちらのは、縦書きです。

側面がガムテープで補強されています。せっかくの牛乳箱ですから、もう少し見た目のことを考えて欲しいなとも思いますが、これも味わいの一つでしょうか。

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牛乳箱 品川

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品川

品川(天王洲運河)昔は海でした。

ビジネスホテル清美荘」のある路地をそのまま進むと、天王洲運河にでます。昔はここが海岸線でした。今でも海岸線の名残が感じられます。

この日はボラがたくさん泳いでいました。

運河の北側は、品川駅方面です。こちら側にも屋形舟がたくさん停泊しています。運河の向こうには、古い民家が数棟残っていますが、その向こうには、駅前の再開発によってできた高層ビル群が景観を圧倒しています。
写真左側には、都営北品川アパートが見えます。

都営北品川アパートから見た天王洲運河と屋形舟。手前には、「古い民家の家並み」が見えます。

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街道·街路の町 品川

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品川

品川(ビジネスホテル)ポツンと1軒あります。

旧街道の両側には、横丁が何本もあります。そのうちの1本の路地を下ると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されているビジネスホテルがポツンと1軒あります。
街道と交差する東側の横丁は、このようにすべて海側に向かって下っています。つまり、品川宿の街道は、斜面を通っているということになります。(写真の奥が街道側です。)

看板には、「ビジネスホテル」と書いてありますが、旅館の風情です。

裏手から見たところ。

旧街道沿いにも同じ名前のビジネスホテルがありました。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.37

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旅館 品川

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品川

品川(品川遊廓跡)明治時代の貸座敷跡地

明治時代、品川宿には、貸座敷が何軒も並んでいました。その中で、品川一の貸座敷と言われたのが島崎楼です。現在、跡地にはビルが建っています。*1

幕末に活躍した高杉晋作ら長州藩尊譲派が集合場所とした、歩行新宿の相模屋、通称「土蔵相模」は、品川宿有数の旅籠屋でした。明治以後は、貸座敷「相模楼」となり、戦後は、さがみホテルと名を変えました。1982年に取り壊され、現在は、コンビニのファミリーマートが入るビルとなっています。*2

コンビニの前に案内板があります。「土蔵のような海鼠壁だったので、土蔵相模と呼ばれていた。」と書かれています。

歩行新宿(北品川1丁目)。風情のある商店街です。
赤線跡を歩く*3 では、この写真の右側のコンビニが土蔵相模跡地と紹介されています。

【参考文献】
*1 秋谷勝三:品川宿遊里三代(1983,青蛙房)P.105-P.107
*2 品川区教育委員会:東海道・品川宿を駆け抜けた幕末維新(品川区立品川歴史館,1999)P.35
*3 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.38

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遊廓·遊里 品川 品川遊廓

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品川遊廓 品川

品川(京急北品川駅周辺)開発が進む都市です。

今回は、品川の町並みと風俗を散歩します。
都営北品川アパートから見ると、品川駅方面は、近年出現した高層ビル群に視界をさえぎられていますが(写真右側)、京浜急行が品川駅から北品川駅へ向かって、鉄橋を通り、ゆっくりと蛇行しながら走る様は、風情があります。

品川宿(旧東海道)があったあたりは、ビルが立ち並んでいて、ここから見る限りは、宿場町の風情はありません。

踏み切りのある場所が、品川宿(旧東海道)の入口です。品川宿は、3つの部分からなっていました。北から(この写真の撮影場所から)、
①歩行(かち)新宿(現在の北品川1丁目)
②北品川宿(現在の北品川2丁目)
③南品川宿(南品川1~3丁目)
品川宿は、江戸時代に出来ましたが、②北品川宿と③南品川宿が初めに出来て、後から①歩行新宿が作られました。①歩行新宿は、本宿(②)の手前に出来た新興の盛り場で、江戸に近かったため、最も賑わいました。*1

京浜急行の北品川駅。歩行新宿への最寄駅です。品川女子学院の生徒たちが、ホームにあふれていました。

【参考文献】
*1 海野弘:ユリイカ(1994.7)P.8「品川宿繁昌記」

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街道·街路の町 品川

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品川

大森(小町園があった場所の近隣の店)「小町園」の名残?

ビジネス雑誌の「プレジデント」に次のような記事が掲載されていました。*1
「米兵専用慰安所・小町園があった場所には、今、マンションが立っている。近隣のマンションの1階には、その時の名残か、『こまち』という名の店があった。」
実際に、この店に行ってみました。「小町園」があったとされる場所*2 からは、京浜急行の線路をまたいだ反対側にあり、距離も少し離れています。

入口に、「秋田地鳥 比内鳥...」と書かれています。

お好み焼きともんじゃ焼きの店のようですが、ランチタイムは、稲庭うどんと定食が主力メニューです。

「こまち」は「小町園」の名残というよりは、「秋田小町」の「こまち」であるような気がしますが、余計な詮索はせずに、この店が「小町園」の名残と思って、入ってみることにしました。
稲庭うどんセットと瓶ビールを注文。そうめんのように細い稲庭うどんは絶品でした。

【参考文献】
*1 下川耿史:プレジデント(1999,10)「敗戦国の女たちが見た夢RAAとパンパンガールの時代」P.250
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002) P.119

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赤線·私娼跡 大森

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大森

大森(慰安所第一号店跡地)いすゞ本社ビルの近くにありました。

終戦直後、政府の要請で、連合軍将兵のセックス処理を目的とした、R・A・A(特殊慰安施設協会)が発足しました。資金の貸付の保証と慰安婦募集の黙認を国家から約束されたR・A・A(実際には業者が運営)は、銀座通りなどに大看板を掲げて堂々と女性を集め始めました。*1
「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む」
「女事務員募集。年齢18才以上25才まで。宿舎・被服・食糧など全部支給」
こうして集められた慰安婦の第一陣が、慰安所第一号の「小町園」に送り込まれ、昭和20年8月27日に開店しました。*1 場所は、現在の大森のいすゞ本社近くのあたりでした。

「小町園」があった場所*2 は、現在はマンションが建ち、当時の面影はありません。

近くに、料亭風の建物が残っていました。「小町園」は、こんな感じの建物だったのかもしれません。

「小町園」の女性たちの中には、耐え切れなくなって京浜急行の線路に飛び込んで自殺した人もいたそうです。*1 現在、京浜急行の線路は高架化されています。
その後、慰安所の数は激増し、R・A・Aが解散した後は、そのほとんどが、赤線地帯として残り、売春防止法によってネオンが消されるまで繁栄しました。*1

【参考文献】
*1 小林大治郎,村瀬明:国家売春命令(雄山閣出版, 1992)P.12-P.23
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.119

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赤線·私娼跡 大森

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大森

秋葉原(講武稲荷神社)旧町名の旅籠町の名残です。

秋葉原の石丸電気の隣に講武稲荷神社があります。

講武稲荷神社は、花街の繁栄に貢献顕著だと言われ、近隣の関係者はもちろん、向島からも参詣者があったとされています。(説明文より)

このあたりは、旧町名で、旅籠町と呼ばれていました。旅籠町は、もとは、昌平橋外河岸通りにあって、そこは板橋宿・川口宿への街道筋にあたって旅籠屋が多かったことから旅籠町と名づけられました。その後、移転や合併により、現在の外神田1・3丁目の一部となりました。*1
稲荷神社に旅籠町町会と書かれた街路灯が記念に残されています。

今でも、旅籠町の名残を見ることができます。(古美術茶廊「伊万里」にて)

【参考文献】
*1 竹内誠:東京の地名由来辞典(2006,東京堂出版)P.326

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街道·街路の町 秋葉原

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神田花街 伊万里 秋葉原

秋葉原(牛乳箱)東京のど真ん中にもありました。

秋葉原のメインの通りから少し奥へ入ったあたり(外神田三丁目)は、パソコンのパーツの店などが並びます。その通りから路地一本入ったところに牛乳箱があります。

なんと、牛乳箱が2つ付けられています。以前、大和郡山で、縦に2つ並んだ牛乳箱を見かけましたが、今回の牛乳箱は、後背位ともいうべき体位(というか箱位)で、前面と背面が合体しています。

駅前に最近できたUDXビルの前に、昔の路地の雰囲気が残る場所があります。右側の古い商家の軒下に森永牛乳の牛乳箱があります。

京都で見かけた森永の牛乳箱と違い、ロゴや名称がはっきりと読めます。「ビタミン入り」や「ホモ牛乳」のロゴがあるのは、東京の森永牛乳の牛乳箱の特徴であると思われます。保存状態も良く、名品です。

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牛乳箱 秋葉原

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大和郡山 秋葉原

秋葉原(ガチャンポン会館)オタクの聖地ならではの品揃えです。

秋葉原の名物自販機と言えば、チチブデンキ前のおでん缶の自販機が有名ですが、他にもユニークな自販機があります。駅前にあるゲーマーズ本店限定のキャラクター缶ジュースの自販機は、5種類の絵柄からランダムで出てきます。どれが出てくるかは、買ってみないとわからないという点では、ガチャポンのような自販機です。

1本購入してみました。中身は、ごく普通のオレンジジュースです。

ガチャポンと言えば、ガチャポン会館です。1Fのフロアはすべてガチャポンで埋め尽くされています。

ガチャポン会館には「エロポン」と呼ばれるアダルト向けのガチャポンもあります。エロポンは、店内の奥まったところに2台あります。
1個購入してみました。エロポンは組み立て式になっていて、説明書に組立て方が書かれています。説明書によると、このシリーズ「美牝・淫虐の館 縄艶妖花」は全8種で、今回出てきたのは、「⑥恥辱の媚肉花器(ちじょくのびにくかき)」というタイトルのものでした。

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娯楽文化 秋葉原

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秋葉原

秋葉原(メイドのめがね屋さん)裏通りにもアキバ文化が進出しています。

裏通りの古いビルにも、アキバ文化は進出しています。こちらの○○商店と書かれたビルは、1階は自販機置き場になっていますが、2階、3階はメイド系の店舗が入っています。

3階のドール販売店の看板。抱き枕やダッチワイフが大量に展示されています。

秋葉原は、メイド系の店にもさまざまな業態があります。こちらは、メイドのめがね屋さん。本物のメガネを売っています。店員の女の子は高級メイド服を着て、ハイヒールを履いています。

1階と2階がメガネ売場。3階が高級メイド服売場になっています。

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娯楽文化 秋葉原

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秋葉原

秋葉原(アダルトショップ)18歳未満及び高校生の入店不可

総武線のガード下。日曜日は歩行者天国となる秋葉原のメインの通りです。家電量販店に混じってアダルトショップのチェーン店があります。

店の入口の右側には、、「エプロンブルマ」なるコスプレを着たマネキンがあり、「18歳未満及び高校生の入店不可」と書かれています。「入店不可」と書かれると、逆に入りたくなる衝動にかられます。

店の入口の左側には、「スク水エプロン」。スクール水着とエプロンが合体したものと思われます。

股間の部分にチャックがあり、エロいデザインです。

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売店 秋葉原

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秋葉原

秋葉原(禁止看板)人寄せ行為禁止看板は、効果無し?

歩行者天国にある人寄せ行為禁止看板。しかし、実際は、メイド服を着た女の子などの撮影会の場と化しています。

外神田3丁目の公園の近くにあるゴミ捨て禁止の看板。「あなたに公徳心はありますか。」と書かれています。「ゴミ捨て場ではありません。ゴミ容器置き場です。」と書かれているのも非常に解りやすいと思います。
公徳:社会生活をするうえで守るべき道徳(「大辞泉」より)

外神田3丁目の公園にあるもう一つの看板。ゴミという字はこういう字を書くということを知りました。また、ゴミ捨て場でない場所にゴミを捨てると法律で罰せられることも知ることができました。

駅前のラジオセンター横の路地の壁の注意書き。JRは民営化される以前は、「国鉄」と呼ばれていました。

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看板・貼紙 秋葉原

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秋葉原

秋葉原(駅前)自転車を利用した看板

今回は、秋葉原(東京都)の町並みと風俗を散歩します。秋葉原の風俗散歩は、2005年12月に引き続き、今回で2回目です。
JR秋葉原電気街口を出たところのアキハバラデパート前の広場は、多くの人たちで賑わっています。

駅前の電気街は、昔も今も人通りが多い場所です。

駅前の広場には、店への誘導を目的とした立て看板を多く見かけます。中にはベニア板の手作り製の看板もあります。

自転車を利用した立て看板があります。ベニヤ板の看板を角材2本で挟み、自転車の後ろの荷台に、ゴム製のロープでがっちりと固定されています。
この看板のメリットを考えてみました。
(1)人が手で持つ看板と同じぐらい目立つが、人手がかからない。
(2)自転車置き場においてあるので、邪魔にならない。
(3)万一とがめられても、「自転車の荷物です。」と言い訳できそう。
(4)閉店後、自転車に乗ってそのまま家に帰れる。

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看板・貼紙 秋葉原

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秋葉原

八日市(石仏)駐車場の片隅に石仏があります。

旧遊廓の北側の駐車場の角に石仏があります。昔の町らしい風景です。

八日市新地遊廓の中には、無縁仏供養の石仏群がありました。今は移転されていますが、大正末期頃までは、遊廓の中にあり、石仏群の裏には、生蓮寺という寺と寺墓がありました。*1
(写真の石仏が旧遊廓内にあったものかどうかは不明です。)

小さな石仏群。

裏側から見たところ。多数の植木が置かれています。

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墓・供養塔 八日市

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八日市

八日市(八日市新地遊廓跡)紅柄格子が美しい町並みです。

旧清里楼。この家の道を挟んだ向かい(写真左側)に、無縁仏石仏と寺墓がありました。現在は、移転しているそうです。*1

旧三玉楼。*1 紅柄格子が美しいお宅です。

旧東楼。*1 こちらのお宅の紅柄格子も立派です。軒下になぜかコンクリートブロックが置かれています。

旧浅常楼。*1 庭木との対比が美しいお宅です。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌13(三一書房,1992)P.383-P.427

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遊廓·遊里 八日市 八日市遊廓

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八日市