熊谷(伊勢町)かつての旅館街

今回は、熊谷(埼玉県)の町並みと風俗を散歩します。駅の西側の伊勢町には、かつて遊廓がありました。場所は、秩父鉄道の上熊谷駅よりもさらに西側の新幹線の高架下(南側)です。

「赤線跡を歩く」に写真が載っていた*1 「旅館あき山」は、今は無く、住宅が建っていました。

「旅館あき山」は新幹線の高架下に移動していました。

現在、電話帳に「旅館あき山」の登録はなく、現在は、営業していないようです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.152-P.157

松戸(平潟神社)妓楼の主が狛犬を寄進しています。

平潟遊廓の形跡を残すものに、平潟神社があります。

九十九楼(後の三井家)の名前が刻まれています。

鶴宝菜の楼主、山田文蔵が狛犬を奉納しています。山田文蔵は、立石の農家の出身で、下肥を船で運んで来て、平潟遊廓で遊びを覚えて儲かることを知り、娼婦のおつるを囲い鶴宝菜の名で店を持ちました。*1

もう一つの狛犬は、逢菜家の鈴木亀右衛門が奉納していますが、鈴木亀右衛門は、娼妓が首を吊って死んだので、それを機に廃業しました。*1

【参考文献】
*1 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.39

松戸(来迎寺)遊女の墓

平潟遊廓跡のすぐ近くに来迎寺があります。

覚月清澄信女という戒名の墓があります。

九十九楼(後の三井家)が建てた、大正13年に亡くなった娼妓の墓です。

墓の側面には、娼妓一同、見世二階一同、と書かれています。今尚、三井家の後裔(菊池丸子さん)が弔っているそうです。*1

【参考文献】
*1 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.42

松戸(樋古根川)平潟遊廓跡の裏手を流れています。

平潟遊廓の裏手には、排水川(現樋古根川)が流れていました。昔は、この排水川が江戸川の本流だったそうです。当時は、川沿いに平潟遊廓の建物を眺めることができたのだと思います。(写真は、樋野口橋から見たところ。)

樋野口橋から見た樋古根川の上流。美しい流れです。

排水川沿いに見た平潟遊廓跡のマンション群。

江戸川との合流点に「坂川排水碑」があります。ここに設置された排水機によって、水害が解消され、人々は安心して暮らせるようになったそうです。

松戸(平潟遊廓跡地)旧地名に平潟遊廓の名残を見ることができます。

平潟という地名は旧町名のため、現在は使われていません。平潟の地名を受け継いでいるのは、平潟公園ぐらいですが、他にも、いたるところに旧町名を見ることができます。
マンションの「スチューデントプラザ松戸」(妓楼の三井家があったところ)の隣のアパートに貼ってあった平潟のプレート。

電柱にも平潟と書かれています。

自治会の名前に平潟の旧地名が受け継がれています。しかし、現在の住人は、定住しない人が多いため、自治会費が入らず自治会の運営すら難しくなっているそうです。*1  写真は、平潟自治会の掲示板です。犬のフン看板が邪魔をして見づらくなっていますが、掲示板の下部に「平潟自治会」と書かれています。)

渡邉幸三郎さんの平潟の町並み図*1 によると、妓楼の「宝塚」の隣に「高村タクシー」があったことになっていますが、ちょうどこのあたりに、高村自動車工業(株)と書かれた看板があります。タクシー会社は移転し、代わりにこの場所に事務所がおかれているようです。

【参考文献】
*1 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.44

松戸(平潟遊廓跡地)面影は、ほとんど残っていません。

松戸駅西口から旧水戸街道を横切って江戸川方面へ行ったところに、かつて平潟遊廓がありました。江戸川の土手からすぐのところに、日大歯学部の校舎がありますが、このあたりに、平潟遊廓の西側大門がありました。*1
平潟遊廓が出来上がったのは、明治半ばの頃で、関東大震災以降さかんになり、戦争の激化とともに消えました。*2

かつての柳並木のうち一本だけ残された柳の木。この柳の木の向かいに妓楼の「三井家」がありましたが、19994年に取り壊されて、跡地には、マンションの「スチューデントプラザ松戸」が立てられました (写真の左端)。「三井家」は、内藤新宿の資産家内藤新太郎が開いた店で、初め、「九十九楼」と称していました。*2

唯一、当時の妓楼の建物が転用され残されていた柳仙育英センター(司法試験のための学生寮)の7号館の建物(旧豊川楼)*1 も今は無くなって駐車場になっています。

お稲荷さんだけが残る元妓楼の敷地。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.100-P.103
*2 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.33

松戸(制服専門店)「トンボ学生服」の看板

松戸駅近くの旧水戸街道沿い。特に春雨橋周辺は、古い商家が立ち並び、宿場町の風情を感じる通りです。その中で、「トンボ学生服」の看板を見つけました。

地元の中学・高校の制服専門店です。

可愛いブラウスの制服があります。なぜかマネキンは女子制服ばかりです。

もちろん、セーラー服もあります。


■カテゴリ 装飾文化 松戸
■散歩事典 松戸

松戸(池田弁財天)平潟遊廓の娼妓が信仰していた弁天様

松戸駅前のソープランド「角海老」から5分ほど歩いた所に、松戸市役所がありますが、市役所の隣の京葉ガスビルのビルの谷間に池田弁財天があります。
鳥居のトンネルがあります。

池田弁財天は、平潟遊廓の娼妓が、下の病気にかからぬよう、お客がうんと入るよう祈った弁天様です。*1 きりん亭猿像さんの、遊女の祈願(池田弁財天霊験記)*2 が紹介されています。

願をかける時は、奉納してある石の蛇の頭を欠いて持って帰り、めでたく成就した時は、新しい石蛇を奉納する慣わしだそうです。*1

現在は、手芸の神とも言われ、華道の先生やお弟子さんが詣でているそうです。*2

【参考文献】
*1 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.43
*2 きりん亭猿像:遊女の祈願(池田弁財天霊験記)(松戸史談17号)P.31

雄琴(比叡山)ケーブルカーで登ります。

雄琴のソープランド街を散歩した後は、比叡山を登山することにします。比叡山鉄道(坂本ケーブル)の坂本駅で、切符を買います。切符には、ケーブルカーの車両の名前である「縁」と「福」の文字が書かれています。切符の裏面の説明書きによると、「皆様と良いご縁が結ばれ、また、福が授かるよう願って」名付けたそうです。

ケーブルカーの車両は、落ち着いた和風のデザインです。比叡山の山頂に延暦寺があるので、ケーブルカーもそれに合わせたデザインとなっているのだと思います。山頂に遊園地がある生駒山のケーブルカーとは対照的です。

山頂から雄琴方面の眺め。さきほどまで、散歩したソープランド街が遠くに見下ろせます。(この写真の中央あたり)

雄琴のソープ街の建物が見えます。写真の手前側が国道161号線。右側が川筋通りです。


■カテゴリ 集落 雄琴
■散歩事典 雄琴

雄琴(無料案内所)雄琴の4点セット

国道沿いのバス停近くに無料紹介所があります。

最近風俗街でよく見かける紹介所ですが、雄琴の無料紹介所はユニークです。紹介の内容が、①観光、②旅館、③ホテル、④特殊浴場の4点セットになっています。さすがは、観光地、雄琴です。「ソープランド」ではなく、「特殊浴場」と書いてあるのも特徴的です。

いくつかある紹介所は、風俗情報誌を見せながら、お勧めの店を紹介するというものです。

滋賀県特殊浴場協会の事務所。協会が運営する「雄琴ソープランド情報公式サイト」のトップページには、「無料案内所の利用はやめましょう」と書かれています。どうやら、無料紹介所は、協会加盟ではないようです。


■カテゴリ 売店 雄琴
■散歩事典 雄琴

雄琴(雄琴港)外来魚回収BOXが設置されています。

今回は、雄琴(滋賀県)の町並みと風俗を散歩します。
はじめに、雄琴港に立ち寄りました。雄琴港は、琵琶湖に面し、釣りやヨットを楽しめる観光スポットです。雄琴温泉が隣接しており、家族づれの宿泊客観光客で賑わっています。港からは、比叡山を望むことができます。

雄琴港の全景。緑地帯の右側(この写真の右側)に木製のBOXがあります。

木製のBOXは、外来魚の回収ボックスでした。このボックスは、琵琶湖の在来種を保護するため、有害な外来魚(ブルーキル、ブラックバスなど)を入れるボックスです。青少年にとって有害な雑誌を投函する白ポストを思い出しました。

雄琴港からは、雄琴のソープ街が見えます。観光地にソープ街が隣接している不思議な光景です。


■カテゴリ ゴミ箱 雄琴
■散歩事典 雄琴

橋本(街道沿いの牛乳箱)保存状態良好です。

古い町並みが保存されている橋本は、牛乳箱の保存状態も良好です。
森永の牛乳箱は、保存状態の良いものが少ないのですが、こちらの牛乳箱は、エンゼルマークの部分もしっかりと残っています。郵便ポストの下に設置されたため、日焼けをまぬがれたのかもしれません。

明治牛乳の青色の牛乳箱。

八幡牛乳の緑色の牛乳箱。八幡乳業は、地元の牛乳メーカーです。

別のお宅の八幡牛乳の牛乳箱。木の壁に木製牛乳箱がよくマッチしています。


■カテゴリ 牛乳箱 橋本
■散歩事典 橋本

橋本(多津美旅館)ステンドグラスが美しい旅館です。

街道沿いにある多津美旅館。正面の看板は、多津美の津の字が欠落してしまっていますが、右側の看板には、「淀川温泉 旅館 多津美」と書かれています。

旅館の外壁には、規模は小さいですが、美しいステンドグラスがはめ込まれています。

旅館の玄関には、金の襖があります。

玄関の左側には、ダンスを踊る男女のステンドグラスがあります。


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 橋本
■散歩事典 橋本

橋本(橋本遊廓跡)街道沿いに風情のある旅館が並びます。

駅前にある旅館。京阪電車踏み切りのすぐそばにあります。

橋本は京街道の宿場町としての機能も持っていました。京街道沿いに風情のある旅館の建物が残っています。

橋本は、江戸時代から遊廓でしたが、明治初年に東京遷都により、徐々に衰退、人口も減少しましたが、明治21年に遊廓を再興し、京阪電車の開通とともに、再び繁盛しました。*1

大谷川から見た旅館街の裏手。川の流れに旅館の建物がよく似合います。右側には淀川の堤防があります。

*1 渡会恵介:京の花街(大陸書房,1977)P.276

橋本(橋本駅周辺)橋本の渡しの名残

今回は、橋本(京都府八幡市)の町並みと風俗を散歩します。橋本は、京都府八幡市の西部に位置し、西側には木津川・宇治川・桂川の三川が流れていて、橋本付近でそれぞれの川が合流し、淀川となります。

大阪方面行き改札口前には、かつて橋本の渡しがあった名残として、「橋本渡舟場 三丁」、「山崎停車場 十丁」、「柳谷観音 一里一丁」と場所と距離が書かれた石柱があります。

駅前に地図が掲示してあります。駅前には、洋食の店「やをりき」をはじめ数軒の商店があります。大谷川方面へ行くと、松永歯科医院、淀川温泉「多津美旅館」、銭湯の「橋本湯」などがあります。

踏み切りに「しゃだんきをくぐってはいけません。」の看板。子供向けに書かれています。たぶん大人達がしゃだんきをくぐるので、それを真似する子供が危険にさらされているのだと思います。


■カテゴリ 街道·街路の町 橋本
■散歩事典 橋本

中書島(東柳町の路地)まるで迷宮のようです。

「きんせい」という名のビリヤード店。その脇に路地があります。

家と家の間の空間に屋根のある路地が続いています。

路地は、家の中を突き抜けて、通りに出て、その通りを越えた先に、さらに路地が続いています。まるで迷宮のようです。

路地はコの字型になっていて、ぐるっと回ると元の通りに出ます。家の車庫のように見えたところは、実は、通り抜けできる私有地の路地でした。


■カテゴリ 路地 中書島
■散歩事典 中書島

中書島(東柳町付近)往時の町並みを残す旅館街

東柳町周辺には、往時の町並みを残す旅館の建物が残っています。

壁の装飾に特徴があります。

「赤線跡を歩く」に写真が掲載されてる円柱を持つ建物*1 があった場所は、今では、住宅地になっています。

風情のある旅館「まつば」の入口。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.107

中書島(新地湯)関西の銭湯は、煙突が太いです。

中書島の駅舎の2階からの眺め。瓦屋根に銭湯の煙突がよく似合ってます。

新地湯という名前の銭湯は、駅前の商店街にありました。建物の2階部分の装飾がレトロな雰囲気をかもし出しています。

関西の銭湯は、煙突が太く、迫力があります。

伏見の名水で沸かした銭湯です。


■カテゴリ 銭湯 中書島
■散歩事典 中書島