すべてのジャンル > 歴史・社会・都市 > 建築 看板建築 1三軒長屋の商店の看板建築 2佐竹商店街の看板建築 3中澤時計店の看板建築 4レトロな商店街 5桃乳舎 6牛乳配給所 7太田ハム 8看板建築 9理髪店 10鳥萬 11商業ビル 12看板建築展 13道玄坂の看板建築 14豆腐店「越後屋」 15木造3階建ての建物 16海老原商店 17看板建築
kanbankentiku

上野(三軒長屋の商店の看板建築)3色3階建て。

佐竹商店街の東側(小島一丁目)の清洲橋通り。

三軒長屋の商店。色は3色です。

2階部分。

後方に、3階建て部分が見えます。

上野(佐竹商店街の看板建築)鮮やかな銅板。

佐竹商店街から西へ入った路地。

看板建築の建物が残っています。

銅板建築。

隣のトタン建築の物干し台。

下館(中澤時計店の看板建築)パラペット部分に時計。

下館の高台の商店街。
見事な看板建築の「中澤時計店」の建物があります。

パラペット部分には、時計が埋め込まれています。

中央部分には、中澤時計店の看板。

背面から。

日本橋(鳥萬)戦前の建物。4階建てのように見える3階建て。

大勝軒※1 の向かい側。同じく戦前の建物の「鳥萬」があります。

食料品の店舗だったようです。

鳥萬の文字。

4階建てのように見える3階建て。

北千住(牛乳配給所)木製の切り文字とエンゼルマーク。

北千住駅前の商店街に残る牛乳店の建物。

エンゼルマーク。

古い建物で見かける木製の切文字。


「配給」の右側が欠けていますが、おそらく「配給所」と書かれていたのだと思います。
「牛乳配給事業」は、大正末期から昭和初期にかけて東京市で実施され、牛乳を無償で配給することが特徴でした。*1

参考文献

*1 野口穂高 乳の学術連合 学術連合の研究データベース 乳の学術連合 大正末期から昭和初期の東京市における「牛乳配給事業」の研究 -「身体虚弱児童」への対応を中心に 2015 リンク
概要 東京市による牛乳配給事業と児童保護事業に、以下の特徴があることが明らかになった。第一に、乳幼…

品川(看板建築)2階の上下に銅板。中央部分に茶色のタイル。

品川には、看板建築の建物がわずかに残っています。

こちらの建物は、1階が飲食店としてリニューアルされています。

旧東海道沿いの金物店。

2階の上下に銅板の装飾。中央部分は茶色のタイル。斬新なデザインです。

吉原(太田ハム)下町のハム。工場の看板建築。

今回は、入谷~吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
入谷一丁目にある太田ハム。地元の有名企業です。

看板には、「HAMBACON&SAUSAGE」と書かれています。

太田ハムの看板。

隣には、肉の石川。

根岸(商業ビル)「婦人倶楽部」の看板のある書店。

根岸柳通りにある商業ビル。1階が店舗で2階が居住部分です。中央には、「婦人倶楽部」の看板のある商店。「婦人倶楽部」戦前・戦後を通じて発刊された婦人雑誌です。

女のよろこび・・・・・妻のしあわせ

建物の紋章。スッポンのように見えます。

建物の裏側、表側は、複数の店舗が一体感のある商業ビルに見えますが、裏側の構造は複雑です。


神田(豆腐店「越後屋」)創業は明治末。正面部分のみ銅板。

神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1

正面部分のみ銅板が貼られています。

建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。

逆方向から。

参考文献

*1 スタジオワーク *東京さんぽ図鑑 朝日新聞出版 町や建物の"新しい見方"を超図解! 2017
神田
P.52 神田は、神田川と日本橋川まれた江戸の城下町である。江戸時代の物流は水運が中心だったので、2つ…

人形町(桃乳舎)芸術的な看板建築。桃のマーク。

日本橋小網町の首都高速江戸橋ジャンクション近く。閑静なビル街の中に佇む芸術的な看板建築。

桃乳舎。

上部には、桃のマーク。

カレーライスを注文。

築地(看板建築)3階建て。正面から見ると2階建て。

築地市場の東側。築地6丁目、7丁目付近には、看板建築が多く残っています。
こちらの商店だったと思われる建物は、正面から見ると2階建てです。

背面から見ると、屋根裏部屋部分*1 は、3階建て部分であることがわかります。

こちらも正面は2階建て、横から見ると3階建てです。

三角屋根部分が3階部分になっている食品会社の建物。

参考文献

*1 江戸東京たてもの園 東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 2018
バラックの街並み
被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。この様子を、「考現学…

神田須田町(木造3階建ての建物)正面から見ると2階建て。

関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。

写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。

こちらも、一見何の変哲もない2階建て。

横から見ると3階建てです。

参考文献

*1 日本文芸社 荷風!vol.23 2010.1
神田界隈「建物」探訪 旧・神田区に戦前の建築物を探して
P.30 看板建築は、関東大震災以後、急速に広がった商業建築で、防災を考慮して木造家屋の正面を銅板やタ…
*2 江戸東京たてもの園 東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 2018
バラックの街並み
被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。この様子を、「考現学…

神田須田町(海老原商店)昭和初期につくらた看板建築。

今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1

写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4

海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3

2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1

参考文献

*1 海野弘 新編東京の盛り場 アーツアンドクラフツ 2000
P.250 万世橋をこしてすぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐる。ここは柳原通りというらしい。町名も…
*2 交通新聞社 散歩の達人 No.179 2011
レトロ商店スケッチ散歩
P.30 岡昌裏地ボタン店(昭和3年築) 明治30年創業の老舗は、初代が「岡昌夫」だから「岡昌」。この辺…
*3 江戸東京たてもの園 東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 2018
海老原商店 千代田区神田須田町二丁目 1928年(昭和3)
海老原家は、茨木健取手の出身で、1887年(明治20)頃に上京し、古着屋を開業した。震災後、既製品の洋服…
*4 日本文芸社 荷風!vol.23 2010.1
神田界隈「建物」探訪 旧・神田区に戦前の建築物を探して
P.30 看板建築は、関東大震災以後、急速に広がった商業建築で、防災を考慮して木造家屋の正面を銅板やタ…

この記事を参照している記事

神田須田町(ビデオ店跡)大人の夢をかなえる。

武蔵小金井(看板建築展)江戸東京たてもの園。

江戸東京たてもの園には、展示室があって、「看板建築展」開催中です。
看板建築は、関東大震災後、人々は、自力でバラックを建て始めましたが、このとき、バラック美しくする活動(今和次郎など)や建築家のデザインにりょう仮設商店などが建ち始め、これが後の看板建築につながったそうです。*1

本来、2階建てであるべきところ、少しでも広く使うために屋根裏部屋を設けた事例の模型が展示されています。*1

こちらは、ほぼ完全に3階建ての建物。

中央区月島の旧玩具店の建物に飾られていた、だるまの部分が移設、展示されています。

参考文献

*1 江戸東京たてもの園 東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 2018
バラックの街並み
被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。この様子を、「考現学…

この記事を参照している記事

築地(西仲通り商店街)明治時代の埋め立て工事により出来上がった町。

渋谷(道玄坂の看板建築)マンサード屋根。取り壊しの準備中。

道玄坂の中ほどに看板建築の商店の建物が残っています。

数棟ある建物には外壁崩落防止のネットがかけられています。

屋根裏に部屋をとって三階として利用できるようにしたマンサード屋根の構造をもつ建物もあります。マンサード屋根とは、下部の急勾配と上部の緩い勾配が組み合わさってひとつになった屋根で、「腰折屋根」ともいいます。フランスの建築家、F.マンサールの考案といわれています。*1

商店は営業していません。取り壊しの準備が始まっているようです。

【参考文献】
*1 初田亨:繁華街の近代(東京大学出版会,2004)P.236,P.272

日本橋(理髪店)昭和5年築の看板建築。モダンなデザイン。

日本橋本町四丁目は、かつての町並みや雰囲気が残るエリアです。

中でも「理髪久保田」は、昭和5年築の看板建築です。

モダンなデザインです。

現在も営業中です。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の日本橋(武揚堂,2007)「火災保険特殊地図」

京橋(レトロな商店街)戦前の看板建築がひっそりと残る一画。

地下鉄八丁堀駅近く。ビル街の中に戦前の看板建築がひっそりと残る一画があります。写真の一番右側の建物は、旧神田美容院の建物です。*1

路地の入口。

銅板建築の建物。

都会のど真ん中にして、この石畳の路地。自販機の安室奈美恵さんのポスターとのアンバランスが何ともいえません。国旗掲揚塔があります。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の日本橋(武揚堂,2007)「火災保険特殊地図」