秋田書店江戸名所100選秋田書店1973
P.78 思案橋の疑問 思案橋は、一に小網橋ともいう。日本橋から、東堀留川へ分岐する、その分岐点に架けてあった橋であるが、これを思案橋というようになったのは、寛文江戸図以来の錯誤であり、明暦3年の大火で元吉原が三谷へ引けて新吉原に移って以来、世にあやまられて明治に及んだ。 それより以前の寛永図、および京坂の寛文江戸図には、東堀留川ではなく、西堀留川の岐れ口にある後の荒布(あらめ)橋を思案橋とし、延宝7年版「江戸方角安見図鑑」同所異名の条にも「しあん橋ヲあらめ橋」と書いてあって、前記の東堀留川口の橋は、寛永図にはワザクレ橋としている。東堀留川入口の橋を渡っては、どの方角から行くにしても元吉原への順路でなく迂遠であるから、地理的に見ても、寛永図に記すごとく、後世の荒布橋を元吉原時代の思案橋としなければ理屈にあわない。

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