名取亭※1 の南側の坂を登っていくと、古い旅館の建物が連なっている一画があります。

現在は休業中のようです。

坂を登り切ったところ。

かつては飲食店があったようです。

名取亭※1 の南側の坂を登っていくと、古い旅館の建物が連なっている一画があります。
現在は休業中のようです。
坂を登り切ったところ。
かつては飲食店があったようです。
名取亭は多数の部屋が廊下でつながっています。
座敷。
焼き鳥と日本酒を注文。焼き鳥は串に刺さっていないところが特徴です。
座敷から見る日本庭園。
成田山公園の龍智池近くにある名取亭。
割烹名取亭の見取り図。本館、新館の他、別館、新座敷、はなれなど。
西側から。
名取亭の看板。「天ぷら」と「鳥」が名物のようです。
南長崎通りにある蕎麦屋の花月庵。歴史を感じる店構えです。
「花月庵のれん会」の額。現在は3~4店舗が営業中とのことです。
テーブル席。
天ざるを注文。
池袋の旧三業地の通りの奥に三社稲荷神社の鳥居が見えます。
三社稲荷神社は、三業組合の関係者によって奉られています。*1
逆方向から。大きめの燈籠が建っています(写真左手前)。
寄進者と思われる料亭の屋号が確認できます。
【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.189-P.193
南池袋の交差点の角のマンションの1階に、中華料理「幸楽」。
ラーメン、チャーハン、かつ丼など。
テーブル席が中心ですが、カウンター席もあります。
チャーハンを注文。
今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
江戸川乱歩は、転居を繰り返したことで知られますが、その26番目の住まいが、豊島区池袋3丁目の土蔵付きの借家でした。乱歩は、昭和40年の没年までこの地で後半生を過ごしました。現在、この住まいは、立教大学大衆文化研究センターとなっています。*1
応接間。
書庫。
庭から、蔵(書庫)が見えます。
石岡の仲町商店街にある看板建築の森戸商店。
昭和5年頃に建てられ、全体にアールデコ調の外観です(案内板より)。
縦長の窓が配置されています。
建物の角を覆うタイル。
石岡は、看板建築の建物が多く残っている町です。仲町商店街には、3軒(十七屋商店、久松商店、福島屋商店)の看板建築が連なる一画があります。。
十七屋商店と久松商店。
十七屋商店は、持送り風の柱頭飾りが特徴です(案内板より)。
久松商店。正面の外壁には銅板が貼られています。
石岡には、看板建築の建物が多く残されています。
大和田家貸店舗は、昭和5年頃に建てられた木造2階建ての看板建築で、屋根に立ち上げた煙突風の突起物など特異な造形で、当初から貸店舗として建てられた数少ない貴重な建物です(案内板より)。
コリント様式風の柱頭飾り。
重厚な印象を受けます。
ランチの店「四季」として、営業していましたが、現在は休業中です。
石岡の守横通りにある丸三そば店。
2025年で創業96年になる老舗お蕎麦屋さんです。
お蕎麦のほかに定食や出前用のお弁当メニューが充実しています。*1
店内には、昔の定価表や写真が展示されています。
もりそばの筑波山盛り(877g)を注文。877gは、筑波山の標高(女体山、877メートル)にあやかったのでしょうか。通常の5人前だそうです。
今回は、石岡(茨城県石岡市)の町並みを散歩します。
石岡市国府6丁目の守横通り。
古いバーの建物が残っています。
Barクロンボ。
入口。
片倉宿※1 のメインの通りの東側。
「本槍酒屋」。*1
屋根のひさし下には漆喰で「一本槍」と大きく書かれています。*1
現在は、廃屋になっています。
P.197
旅籠の梅屋(野口)や長嶋屋(関)も残っており、長嶋屋には昔、何人…
堅倉北のバス停。
1日の本数は限られています。
この付近は、かつての片倉宿で、多くの旅籠屋がありました。*1
道がカーブするあたり。
今回は、堅倉(茨城県小美玉市)の町並みを散歩します。
JR羽鳥駅からバスに乗り、東へ行った堅倉の交差点。
交差点の角にある旅館「かと家」。
「かと家」全景。
現在の旅館「かと家」は、ここから500mほど離れた隣の交差点の角に移転しています。
米販売店の宮内徳次郎商店。
軒下にタケダの「いの一番」の看板。
同じくタケダの「プラッシー」の看板。
タケダの「プラッシー」はオレンジジュース(清涼飲料)で、当時のビタミン不足の追放に貢献しました。*1
「プラッシー」は、1958年に誕生。現在は、C1000 タケダに引き継がれています。*2
JR高浜駅から茨城空港へ向かう途中。
日本で唯一のかっぱの神社があります。
カッパの需をまつったい神社です。
河童の像。
小美玉市小川にある近江屋食堂。奥行の長い、旅館のような建物です。
「食堂旅館」という業態です。
テーブル席中心の食堂。
チャーシュー麺を注文。
今回は小川(茨城県美玉市)の町並みを散歩します。
JR石岡駅から茨城空港方面へ向かう途中。
スナックの店舗が散在しています。
壁面がピンク色のスナック店。
募集看板。
長崎2丁目にある中央児童遊園。
この場所には、かつて、池袋モンパルナスと呼ばれる芸術家たちの集うアトリエ村がありました。
「アトリエ村」と呼ばれた借家は、板張りの壁の平屋で、大きな窓や天窓があり、15畳ほどのアトリエがあり、絵画や彫刻を勉強する学生向けのモダンではあるが、簡素な住宅でした(案内板より)。
アトリエ村は、つつじが丘、すずめが丘にもありました。
かつてのトキワ荘跡地の近くにある中華料理の「松葉」。
まんがにも登場する店です。
店内には、多くの色紙が飾られています。
ラーメンとビールを注文。
かつて豊島区椎名町(現南長崎)にあったトキワ荘は、昭和57(1982)年12月に解体されましたが、マンガミュージアムとしてよみがえりました。*1
当時の建物が再現されています。
手塚治虫をはじめとする現代マンガの巨匠たちが住み集い、若き青春の日々を過ごした伝説のアパートです。*1
共同炊事場
トキワ荘通り昭和レトロ館は、実在した「味楽百貨店(みらくひゃっかてん)」を整備した文化施設です。昭和の暮らしや昔の街並みなどの展示が行われています。*1
味楽百貨店は、昭和20年代に建てられた戦後マーケット(複数の店舗で構成される低層の商業施設)当時の様子をよく残して現存する、貴重な歴史的な建造物です。*1
昭和40年代の部屋が再現されています。
池袋東口の「人世横丁」を再現したジオラマ。
池袋北口から西口付近は、飲食店や風俗店が密集する繁華街です。
西一番街のゲート。
裏通りのガールズバー。
看板が乱立しています。
池袋の繁華街にある中華料理の「新珍味」。
台湾独立運動家で『台湾人四百年史』を著した史明が日本に亡命し、開業した店舗です。
1954年に新珍味と名付けた店は、区画整理事業の後、増築し5階建てのビルとなり、現在の営業中です。復員兵や引揚者だけでなく新聞記者や雑誌編集者、大学教授連中なども足繁く通い、武者小路実篤や佐藤春夫、石川淳、開高健も常連でした。*1。
名物のターローメン(餡かけラーメン)は、ラーメンに餡がかかっているのではなく、スープそのものがすべて餡、というこだわりようです。
今回は、肉盛りチャーハンとビールを注文。
今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋北口に建つ飲食店ビル。よく見ると3軒が密接して建っていることが解ります。
建物の裏側のY字路。
3軒の建物がくっついています。
1階のコンロッカーの向こう側は、ビデオ店※1 です。
佐倉市太田の熊野神社。
後ろ側に、御堂があります。
御堂の中には、大小さまざまな男根が安置されています。
おびただしい数の男根。
佐倉市役所1号館庁舎は、建築家・黒川紀章氏の設計によるもので、1971年(昭和46年)に完成しました。*1
白いカプセルの集合体のような外観は、地上6階、地下1階からなっています。
黒川紀章といえば、中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル、集合住宅)を設計した建築家です。
配管そのものが建築の意匠に使われています。
佐倉市役所近くの民家。
名糖牛乳の木製牛乳箱。中央に赤いⅤのマークと「ホモビタ」の文字。
側面には、名糖牛乳の「牛のマーク」。
保存状態は良好です。
佐倉市立美術館から北へ延びる通り。
レトロな商店が3軒並んで建っています。
奥には、麻雀「重役室」。
タイルの装飾。
JR線佐倉駅北口近くにある食堂「幸」。
創業約50年の食堂「幸」は刺身や豚肉の生姜焼きなど約20種類の定食を提供をしています。*1
数あるメニューの中でも最も目を引くのは天然の有頭エビ「シータイガー(体長約35cm)」の特大エビフライ2本が皿に盛られるウルトラジャンボエビフライ定食(4,300円)です。
今回は、ジャンボチキンカツ定食を注文。
体長約35cmの特大エビフライが二本も。創業約50年の食堂「幸」は刺身や豚肉の生…
佐倉駅前の旧佐倉街道沿いに建つ吉原建材店。
美しい水色のタイル。
1階部分は、穴あきブロックで装飾されています。
看板建築の建物です。
今回は、佐倉(千葉県佐倉市)の町並みを散歩します。
JR佐倉駅北口は、通称「彫刻通り」と呼ばれていて、裸婦像など多くの作品が建っています。
高橋剛作「踊り子の朝」。
高橋さんは、バレリーナをモチーフとした作品で知られた彫刻家です。*1※1
手に持っているのは縄跳びの縄でしょうか。
後ろから。
池袋氷川神社の鳥居。
狛犬が鎮座しています。
左側の口を閉じている側の狛犬の股間。
正面から。
7月1日は、池袋氷川神社のお山開き祭の日です。この日は、特別に富士塚に登ることができます。
池袋富士塚。
急な登り道が続きます。
頂上。この方角に富士山があります。
池袋本町3丁目の住宅街に建つレトロな理容室。
白い壁に水色で描かれた「福美」の屋号。
BARBERフクミの入口。
1階部分。
かつて三業地※1※2※3 があった池袋三丁目。
四つ角にある山源。
ビールを頼むとこれだけのお通しがつきます。
オムライスを注文。これにも刺身がつきます。
豊島区立郷土資料館。常設展示の一つに、「池袋ヤミ市」の展示があります。
池袋駅東口に東京で最初に建設された木造長屋式連鎖商店街「森田組東口マーケット」を、縮尺20分の1で再現した精巧な模型です。当時このヤミ市には281軒の店があり、半数強が飲食店でしたが、再現した南側部分(103軒)には食料品や日用品、衣料品など多様な業種の店が集まり、活気あふれるヤミ市の雰囲気が表現されています。*1
池袋ヤミ市の分布図。
飲み屋の看板。
ヤミ市の全景。
池袋の西口五差路。
交差点の角に建つ池袋西口センタービル。
池袋西口の闇市は、62年末までに整理され、仁栄マーケットの営業者が土地を取得し、池袋西口センタービル(西口五差路に現存)が建設されました。*1
入口。
後背地に肥沃な農業地帯を持っていたことから、池袋の闇市は農作物を中心とした…
池袋駅北口の路地。
「DVDアウトレット」と書かれた看板。
店舗は地下1階です。
このあたりには、複数のビデオ店が軒を連ねています。
今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅北口にある天丼ふじ。
カウンター席。
天丼専門店なので、メニューは天丼のみです。
特製天丼を注文。
京成船橋駅前の繁華街から東に入ったところにある中華料理「大輦」。
名物は「ソースらーめん」です。。
焼きそばのような具材のらーめんに、ハムカツをトッピング。
カレー粉のトッピングもできます。
京成電鉄海神駅近く。
化学品倉庫に便所煙突※1※2 が見えます。
便所煙突は、コンクリートブロックの壁面からL字型に突き出ています。
絶妙の錆び具合。
本町通りの裏手にある珈琲モナリザ。
創業から45年。料理は開業時から厨房を担うシェフがソースからすべて手作り。ナポリタンは不動のベストセラーです。*1
佇まいから調度品まで当時と変わらぬ姿で迎えてくれる市民憩いの場です。*1
ナポリタンとビールを注文。
今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
京成電鉄船橋駅北口。かつて、この付近には、ストリップ劇場の「大宝劇場」がありました。
劇場は、正面の建物脇の路地を入った奥にありました。*1
付近には風俗店もあり、歓楽街の雰囲気を感じます。
裏側の通り。「大宝劇場」は、写真の左側にありました。
1080年代には、移転し、移転後風俗店になりました。*2
P.26
大宝劇場の記述。
P.81
大宝劇場の跡地→風俗店(のぞき部屋、キャベレールビー、ヘルス城)の…
小田原市本町1丁目の国道沿い。看板建築の建物が2棟並んで建っています。
瀬戸自転車店。
建物の角のレリーフ。
建物の側面。
浜町1丁目の住宅街。板塀と松の木。
伝統的な和風の家屋です。
質屋の入口。
桂歌丸さんのポスター。
本町3丁目の通り。看板建築の理容室があります。
屋号は白く塗られ、「理容」の2文字だけが残っています。
美しく白く塗装されています。
正面の部分。
小田原市街にある松原神社。
周囲は玉垣に囲まれています。
「ういろう」など、小田原の商店などの寄進者の名が見えます。
宮小路トルコ。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原市街の本町1丁目にある城郭のような建物。
ういらう本店。
外郎とは相州小田原名物の妙薬「透頂香(とうちんこう)」の別名。万能薬であるが特に舌の回りが良くなるとされます。「外郎売り」は、早口言葉など、淀みない巧みな弁舌で薬の売立の工場を聴かせることに主眼を置いた歌舞伎の演目で特定の筋はありません。*1
「透頂香(とうちんこう)=ういらう」を購入。
成田山東参道から南へ分岐する興亜道路沿い。
当時のままの牛乳店の建物。
建物上部に森永牛乳の屋号が残っています。
エンゼルマーク。※1
今回は成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
新勝寺額堂には、奉納額や絵馬などが掲げられています。
西側の正面に掲げられている大正10年9月の奉納額。
九段の富士見町花街の芸妓屋、待合などの屋号が記されています。
富士見町花街は、明治二年、菊乃屋の長岡仁兵衛氏が山手方面の繁盛を期する考えからこの地に花街の新設を思い立ち、当時の参議広澤真臣の力にすがって現在の靖国神社境内に茶店を出したのが初めであるといわれ、芸者屋数14軒、芸者総数429名を数えました。*1
待合「福林」(写真右から2番目)は、昭和5年の東都芸妓名鑑*1 に記載のある屋号です。
大網白里市の東側の南今泉。白里海水浴場のすぐ近くです。
そば処の更科。
店内。
天ざるとビールを注文。
大網駅の北西の金谷郷。
大網には、多くの切り通しがあります。*1
金谷郷の切り通しもそのうちの一つです。
幻想的な景色です。
切り通しを抜けたあたり。
大網駅の南側。
三宅島あじさいラーメン。あじさい娘。
店主の話によると、以前は、フランチャイズチェーンのあじさいラーメン*1 でしたが、開業後、本部が倒産してなくなってしまい、そのまま「あじさいラーメン」を名乗っていましたが、いつの間にか「あじさいラーメン」は、ここだけになってしまったそうです。
あじさいラーメン本部は、軽トラックを使った屋台式ラーメン(移動販売)をチェーン展開し、話題となりました。*2
醤油ラーメンを注文。
大網の商店街の東側。国道128号線を跨ぐと、畑の中にエメラルドグリーンの城が出現します。
城郭様式を模した外観のラブホテルです。
入り口部分の上部は、狭間胸壁(はざまきょうへき、凹凸状の壁面)の外観を備えています。*1
張り出し狭間(石落とし)。*1
著者(風きよし)が独自の目線で書いた散歩本。
…P.112
中世ヨーロッパ…
大網商店街の交差点の北側。
木造2階建の銀行建築の熱海輪店。登録有形文化財(旧千葉銀行大網支店)です。*1
近年の改装で、モルタル塗石目地仕上げがタイル貼りに変ったが、大正期銀行建築の骨格は旧状を留めています。*1
パラペット中央に紋章飾りを据えた半円アーチ。*1
大網の商店街の交差点。
木造家屋の前に標識が建っています。
「つうがくどうろ」の標識。
国交省の正式な道路標識ではなくオリジナルの標識です。
大網の商店街の交差点に建つ石井薬局。
モダンなデザイン。
建物の側面。
棚には薬品が並べられています。
今回は、大網(千葉県大網白里市)の町並みを散歩します。
大網駅の東側にある商店街には、看板建築の商店が多く残っています。
鮮魚、仕出し「魚岩」。
行木小間物店。
水色の看板建築。
JR下総中山駅近く。JR線と真間川が交差するあたりに、おりひめ神社があります。
おりひめ神社は、共立モスリン中山工場の頃から、工場内の森を神域として設けられた神社です。その後、合併により日本毛織(株)へ、そして、昭和63年に、商業施設のニッケコルトンプラザへ引き継がれました(案内板より)。
鳥居。
中山に日本毛織工場が出来た頃、三千人ほどの女工さんが昼夜二交代でという反物(モスリン)を織っていました。当時、中山小栗原付近は、モスリン景気で、工場の休日ともなると、小栗原の街中は女の人の流れ一色となり、飲食店、食堂、化粧品店など、どの店も満員盛況でした。*1
京成中山駅近くにある小栗原蓮池公園。
昭和36年4月に開園したことを示す碑。
昭和の初めに中山三業組合が結成され、小栗原地区(現在の中山)の蓮池の奥にはカフェー「かおる」がありました。料理屋では「森田屋」などがあって、日暮れを待つようにして半玉のたたく太鼓の音が満水の池にコダマして、風流でした。*1
蓮池湖畔にある公会堂では毎夜芝居、浪花節、安来節等の興業があって、日暮れになると客寄せの呼び声、幕開けの拍子木の音が池にコダマして豪華さを増し、夜になると小栗原の街には矢がすりにエプロン姿の女給さんが、厚化粧であちこちに見られました。*1
京成電鉄中山駅(写真左奥)の下から続く暗渠。
住宅地の中、北側に暗渠がカーブを描きながら延びています。
途中、道路を横切って、さらに続きます。
暗渠の行き止まりのあたり。
小栗原蓮池公園の近く。
塀の角に設置された「いけず石」と思われるオブジェ。
横から。
内部には、水が溜まっています。金魚鉢の代わりとしても使えそうです。
京成中山駅から中山小学校へ向かう道の途中。
駄菓子屋さんがあります。
店内。
どう見ても駄菓子屋には見えない佇まいです。
国道14号線沿いにある中村家。
煉瓦蔵は文化遺産に指定されています。
煉瓦造二階建、切妻造桟瓦葺で、妻面にアーチを付した庇窓があります。壁は焼過煉瓦がイギリス積に積まれています。*1
鬼瓦や屋根もどっしりとした意匠です。
市川市の鬼越駅近くにある大衆食堂の越後屋。
入口は2つありますが、店の中は一つにつながっています。
テーブル席と座敷。
かつ丼とビールを注文。
今回は、下総中山(千葉県市川市)の町並みを散歩します。
京成電鉄は「便所煙突」の宝庫です。※1※2
「ショーワーベンチレーター」と書かれています。プラスチック製の新しいもののようです。
反対側(駅の南側)の倉庫にも便所煙突。
こちらは、錆び感もあり、昔懐かしい「便所煙突」を彷彿とさせる形状です。
啓正式自然回転除風器(便所煙突) は、危険物倉庫用ベンチレータ として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景を思い出させるものです。※1
京成宗吾参道駅から宗吾霊堂方面に歩いて15分程度のところにある「みはし亭」。
店先に設けられる坪庭。
テーブル席。
天ざるを注文。大き目にカットされた海苔がポイントです。
京成電鉄の宗吾参道駅。
駅の北側に踏み切り近くに、便所煙突※2 があります。
L字型に伸びた煙突。
啓正式自然回転除風器(便所煙突)*1 は、危険物倉庫用ベンチレータ*2 として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景※1 を思い出させるものです。
P.156
自然回転除風器
風車の回転によって、外気との接触面に真空域をつ…
P.9
・特に強制換気を必要としないところや外気の流入が
少ないところ、…
成田山の光明堂の裏手にある奥之院。
石垣には、深川などの関係者の名があります。
洲崎井筒楼。
浅草田圃「草津」。
大正10年の古地図*1 に、広大な敷地で記されている「草津亭」と思われます。
草津亭は、明治5年に駒込神明町で創業し明治18年に浅草にて開業。*2
草津亭明治時代から浅草の花柳界を支えてきました。*3
魂生大明神のある大鷲神社ですが、他にも性神信仰に纏わるものとして、「合体椎の木」「子授け大樹」があります。
子授け大樹。
合体椎の木。
反対側から見ると、たしかに合体しています。
安食駅北側の住宅街。
中華料理の安庵。
店内は、独得のレトロな雰囲気です。
えびチャーハンを注文。
千葉県立房総のむらの「上総の農家」は、上総の代表的な名主クラスの農家を再現した施設です。*1
ざしき。
中二階。板敷きの中二階の部屋で、奉公人の部屋として使われていたそうです。*1
長屋門。
今回は、安食(千葉県印旛郡栄町)の町並みを散歩します。
千葉県立房総のむらは、千葉県の商家や農家などの町並みを再現した博物館です。
商家の町並みコーナー。
町並みの入口にある総屋(ふさや)は、成田の新勝寺門前に
江戸時代末期に建てられ、昭和初期まで使用された大野屋旅館の外観を一部再現しています。*1
江戸時代の町並みが再現されています。
めし屋。
湖北駅の東側。中里通り沿いにある大きな長屋門。
広大な敷地です。
これほど大きな長屋門は見たことがありません。
右側部分に、シャッターと看板跡。何かの店舗だったのでしょうか。
湖北駅の西側の住宅街。Y字路の部分。
湖北台円筒分水があります。
分水している箇所。
4月から8月の間、用水を供給しています。
石神堂※1 の近くに、バス専用回転場所があります。
回転場所の奥のスペースに置かれた大量のバス停。
岡山県で見かけたバス停置き場は、古くなったバス停の墓場のようでしたが、※2、こちらのバス停は、まだ使えそうな新品のバス停ばかりです。
台座は、ほとんどが丸型ですが、角型もあります。
JR成田線の新木駅から東へ1km弱。稚児大師堂・観音堂・石神堂、とお堂が並んでいます。
石神堂と書かれています。
祠の中には、たくさんの石棒が並べられています。
大型の石棒もあります。
両総用水は、長年、水不足に悩まされてきた九十九里平野が下総台地の向こう側の利根川から水を引いもので、東金支線の先に円筒分水工があります。*1
東金支線の円筒分水工では、サイホンの原理で吹き上がった水を、決まった割合に分けた円周上の堰を越えさせ、3方向へ分水します。*2
美しい曲線。
両総東金支線の碑。
東金線の踏切を渡ったところに、割烹志津本の看板が立っています。
線路沿いに少し行くと志津本があります。
かつて東金市のJR東金駅周辺にはたくさんの芸妓の姿が見られ、県内でも代表的なお座敷文化が花開いていました。*1
東金市の旧市街一帯にはかつて多くの芸妓(げいこ)が暮らしていました。*1
かつて東金市のJR東金駅周辺にはたくさんの芸妓の姿が見られ、県内でも代表的…
東金駅前のパチンコ百万弗の向かい側にある吾妻庵。
年季の入った暖簾。
昭和のまま時間が止まったかのような店内。
天ぷらそばとビールを注文。
東金の古い町並みには、看板建築の建物が多く残っています。
田中家具店。
和洋折衷の建物。
小規模な商店。
県道千葉銚子線沿いにある古い民家。
ホロー製のプレート。
東金市防犯組合のプレート。
物もらい、ゆすり、押売、お断り。
県道千葉銚子線沿いにある灰吹屋鈴木薬局。
明治20年代に開設された薬局で、初代当主鈴木安太郎氏が八日市場の灰吹屋で修業し、東金に店を開設する際に灰吹屋を名乗ることを許されました。昭和2年発行の古地図(松井天山:千葉県東金町鳥瞰*1)にも掲載されています(案内板より)。
灰吹屋。
モデルタレントさんも愛用。
今回は、東金(千葉県東金市)の町並みを散歩します。
東金駅前にあるパチンコ百万弗。
娯楽の殿堂 百万弗。
飲食店が併設されています。
大衆酒場、やきとり。
小田原駅近くにある古民家風の佇まいの店舗。
蕎麦処寿庵
天ぷら蕎麦とビールを注文。
歴史感溢れる老舗のお蕎麦屋さんです。
小田原市の本町2丁目の交差点の角にある飯田薬局。
店の前に池のようなスペースがあります。
小便小僧。
看板がぶら下げられていて、店の広告に一役買っています。
松原神社の東側。黒板壁の続く通りがあります。
松原神社の膝下にある小路を中心とした宮小路はかつては小田原随一の繁華街でした。戦前には映画館、劇場、呉服店、小間物屋、料理屋、カフェ、芸者置屋などが軒を連ね、この宮小路には料亭として、清風楼、春日、桝金、弥生などがありました。
現在残っているのは清風楼のみです。
反対側の青物町商店街に、現在の店の入口があります。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原市本町の千度小路。
鈴廣の旧店舗の建物が残っています。
鈴廣は、1865年(慶応元年)創業。明治中期に、千度小路に店を移し屋号を「鈴廣」と改めました。*1
通用口側。
成田山新勝寺近くの成田街道沿いにある純喫茶チルチル。
ガス灯のようなデザインの電灯。
内装やシャンデリアがレトロで豪華です。
メロンクリームソーダを注文。
成田山新勝寺の清瀧権現堂・妙見宮。
玉垣などには、たくさんの寄進者の名が刻まれています。
新吉原、西の宮。
新吉原角町 稲辨楼。
今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
成田山・表参道の道が二又に分かれているあたり。
蕎麦処ふじや。
歴史を感じさせる店内。
天ぷらそばを注文。
国道14号から南に入ったところにある湊町2丁目公園。
三田浜塩田発祥の地の碑。
三田浜楽園は「楽園」の名が示すように、昔は割烹旅館のほかに遊園地があり、小動物園や有料のプールなどもありました。現在、市役所の立っている辺りはちょうどそのプール跡でした。この楽園の土地一帯は古くは有名な三田浜塩田になっていました。
ノーベル賞作家の川端康成が若き日にここに遊んで、のちに短編小説「童謡」(昭和十年)を描き、その舞台にしました。それによると「長い廊下を持った割烹旅館の主人公の部屋では、窓からカレイやボラや鰻が釣れ、枕の下は本当に海水で磯の香りが強かった。」と書かれています。*1
船橋郵便局前の駐車場の角にレトロ電柱が残っています。
ここから、北へ入ったところが船橋新地跡で、そこにもレトロ電柱があります。※1
この電柱も同じ系統のものかもしれません。
スイッチがついていたと思われる穴跡。
現在の電柱に寄り添うような形で立っています。
千葉街道沿いにある鰻の「うなぎや」。解りやすい屋号です。
うなぎ重には、桐、松、竹があります。持ち帰りもできます。
ビールには、「鰻の骨の唐揚げ」がつきます。
うな重(竹)を注文。
船橋の本町中央公園。
「海からの風」と題された彫像。
船橋市には、25体の野外彫刻があります。*1
後ろ姿。
京成船橋駅前の飲食店が密集する一画。
以前、このあたりには、ストリップ劇場の「ニュー大宝」がありました。*1
南側から。
建物脇の路地。
京成電鉄船橋競馬場駅の北側。
中華料理「菜来軒」。
テーブル席。
五目炒飯を注文。大型の海老2尾とチャーシューそしてカマボコがトッピングされています。
ららぽーとTOKYO-BAYの南隣。
現在は、物流センターになっている東側に、ゆるやかなカーブを描く道路が南北に通っています。
この曲線は、かつての娯楽施設「船橋ヘルスセンター」のゴールデンビーチがあったあたりです。*1
「船橋ヘルスセンター」は昭和30年、大衆温泉としてオープンしました。 “日本一大きい、日本一面白い、日本一安い、温泉と海と娯楽の大デパート”をテーマに、温泉施設や遊園地、プールに海水浴、劇場、ゴルフ場、ボウリング場、アイススケート場、サーキット場、遊覧船等々、当時の常識では考えられないほど、広大な敷地にさまざまな“娯楽場”がありました。*1
船橋ヘルスセンターの閉園後、スキードームSSAWS(ザウス)がオープンしましたが、現在は、IKEA Tokyo-Bayになっています。