堅倉(かと家)交差点の角にある旅館。現在の旅館は隣の交差点の角。

今回は、堅倉(茨城県小美玉市)の町並みを散歩します。
JR羽鳥駅からバスに乗り、東へ行った堅倉の交差点。

交差点の角にある旅館「かと家」。

「かと家」全景。

現在の旅館「かと家」は、ここから500mほど離れた隣の交差点の角に移転しています。

参考文献

参考記事

小川(手接神社)カッパの需をまつったい神社。

JR高浜駅から茨城空港へ向かう途中。

日本で唯一のかっぱの神社があります。

カッパの需をまつったい神社です。

河童の像。

参考文献

参考記事

小川(近江屋食堂)奥行の長い、旅館のような建物。

小美玉市小川にある近江屋食堂。奥行の長い、旅館のような建物です。

「食堂旅館」という業態です。

テーブル席中心の食堂。

チャーシュー麺を注文。

参考文献

参考記事

小川(スナック店)スナックの店舗が散在。募集看板。

今回は小川(茨城県美玉市)の町並みを散歩します。
JR石岡駅から茨城空港方面へ向かう途中。

スナックの店舗が散在しています。

壁面がピンク色のスナック店。

募集看板。

参考文献

参考記事

池袋(松葉)かつてのトキワ荘跡地の近く。

かつてのトキワ荘跡地の近くにある中華料理の「松葉」。

まんがにも登場する店です。

店内には、多くの色紙が飾られています。

ラーメンとビールを注文。

参考文献

参考記事

池袋(トキワ荘)マンガの巨匠たちが青春の日々を過ごした伝説のアパート。

かつて豊島区椎名町(現南長崎)にあったトキワ荘は、昭和57(1982)年12月に解体されましたが、マンガミュージアムとしてよみがえりました。*1

当時の建物が再現されています。

手塚治虫をはじめとする現代マンガの巨匠たちが住み集い、若き青春の日々を過ごした伝説のアパートです。*1

共同炊事場

参考文献

*1
豊島区豊島区豊島区 リンク
トキワ荘通り昭和レトロ館豊島区立昭和歴史文化記念館 リンク

トキワ荘通り昭和レトロ館(豊島区立昭和歴史文化記念館)は、昭和の歴史・文化…

参考記事

 池袋(昭和レトロ館)「味楽百貨店」を整備した文化施設。

トキワ荘通り昭和レトロ館は、実在した「味楽百貨店(みらくひゃっかてん)」を整備した文化施設です。昭和の暮らしや昔の街並みなどの展示が行われています。*1

味楽百貨店は、昭和20年代に建てられた戦後マーケット(複数の店舗で構成される低層の商業施設)当時の様子をよく残して現存する、貴重な歴史的な建造物です。*1

昭和40年代の部屋が再現されています。

池袋東口の「人世横丁」を再現したジオラマ。

参考文献

*1
豊島区豊島区豊島区 リンク
トキワ荘通り昭和レトロ館豊島区立昭和歴史文化記念館 リンク

トキワ荘通り昭和レトロ館(豊島区立昭和歴史文化記念館)は、昭和の歴史・文化…

参考記事

池袋(西一番街)飲食店や風俗店が密集する繁華街。

池袋北口から西口付近は、飲食店や風俗店が密集する繁華街です。

西一番街のゲート。

裏通りのガールズバー。

看板が乱立しています。

参考文献

参考記事

池袋(新珍味)台湾独立運動家が開業。名物はターローメン。

池袋の繁華街にある中華料理の「新珍味」。

台湾独立運動家で『台湾人四百年史』を著した史明が日本に亡命し、開業した店舗です。
1954年に新珍味と名付けた店は、区画整理事業の後、増築し5階建てのビルとなり、現在の営業中です。復員兵や引揚者だけでなく新聞記者や雑誌編集者、大学教授連中なども足繁く通い、武者小路実篤や佐藤春夫、石川淳、開高健も常連でした。*1。

名物のターローメン(餡かけラーメン)は、ラーメンに餡がかかっているのではなく、スープそのものがすべて餡、というこだわりようです。

今回は、肉盛りチャーハンとビールを注文。

参考文献

*1
史明理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい講談社2018.12
渾身の「台湾人四百年史」

1954年に西池袋にある17坪の角地を購入し店舗を構えた新珍味と名付けた新たな…

参考記事

池袋(3軒並ぶ建物)3軒の建物がくっついています。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋北口に建つ飲食店ビル。よく見ると3軒が密接して建っていることが解ります。

建物の裏側のY字路。

3軒の建物がくっついています。

1階のコンロッカーの向こう側は、ビデオ店※1 です。

佐倉(熊野神社)大小さまざまな男根が安置されています。

佐倉市太田の熊野神社。

後ろ側に、御堂があります。

御堂の中には、大小さまざまな男根が安置されています。

おびただしい数の男根。

参考文献

参考記事

佐倉(佐倉市役所)黒川紀章氏が設計。カプセルの集合体のような外観。

佐倉市役所1号館庁舎は、建築家・黒川紀章氏の設計によるもので、1971年(昭和46年)に完成しました。*1

 白いカプセルの集合体のような外観は、地上6階、地下1階からなっています。

黒川紀章といえば、中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル、集合住宅)を設計した建築家です。

配管そのものが建築の意匠に使われています。

参考文献

*1
佐倉市佐倉市佐倉市 リンク
佐倉市役所 リンク

佐倉市役所1号館庁舎は、建築家・黒川紀章氏の設計によるもので、1971年(昭和4…

参考記事

佐倉(牛乳箱)中央に赤いⅤのマークと「ホモビタ」の文字。

佐倉市役所近くの民家。

名糖牛乳の木製牛乳箱。中央に赤いⅤのマークと「ホモビタ」の文字。

側面には、名糖牛乳の「牛のマーク」。

保存状態は良好です。

参考文献

参考記事

佐倉(新町生花園)レトロな商店が3軒。タイルの装飾。

佐倉市立美術館から北へ延びる通り。

レトロな商店が3軒並んで建っています。

奥には、麻雀「重役室」。

タイルの装飾。

参考文献

参考記事

佐倉(食堂「幸」)創業約50年。ウルトラジャンボエビフライ。

JR線佐倉駅北口近くにある食堂「幸」。

創業約50年の食堂「幸」は刺身や豚肉の生姜焼きなど約20種類の定食を提供をしています。*1

数あるメニューの中でも最も目を引くのは天然の有頭エビ「シータイガー(体長約35cm)」の特大エビフライ2本が皿に盛られるウルトラジャンボエビフライ定食(4,300円)です。

今回は、ジャンボチキンカツ定食を注文。

参考文献

*1
毎日新聞社毎日新聞 千葉版毎日新聞社
佐倉 食堂「幸」特大エビフライ定食幸せ感じる35×5センチ2024.7.1

体長約35cmの特大エビフライが二本も。創業約50年の食堂「幸」は刺身や豚肉の生…

参考記事

佐倉(建材店)1階部分は穴あきブロックで装飾。

佐倉駅前の旧佐倉街道沿いに建つ吉原建材店。

美しい水色のタイル。

1階部分は、穴あきブロックで装飾されています。

看板建築の建物です。

参考文献

参考記事

佐倉(裸像)通称「彫刻通り」。踊り子の朝。

今回は、佐倉(千葉県佐倉市)の町並みを散歩します。
JR佐倉駅北口は、通称「彫刻通り」と呼ばれていて、裸婦像など多くの作品が建っています。

高橋剛作「踊り子の朝」。
高橋さんは、バレリーナをモチーフとした作品で知られた彫刻家です。*1※1

手に持っているのは縄跳びの縄でしょうか。

後ろから。

参考文献

*1
東京文化財研究所東京文化財研究所東京文化財研究所 リンク
高橋剛 リンク

 日展理事、日本彫刻会理事、東京家政大学名誉教授の彫刻家高橋剛は、9月5日午…

参考記事

※1西葛西(駅前の裸像)彫刻家 高橋剛の作品。

池袋(狛犬)左側の口を閉じている側の狛犬の股間。

池袋氷川神社の鳥居。

狛犬が鎮座しています。

左側の口を閉じている側の狛犬の股間。

正面から。

参考文献

参考記事

池袋(富士塚)お山開き祭。池袋氷川神社。

7月1日は、池袋氷川神社のお山開き祭の日です。この日は、特別に富士塚に登ることができます。

池袋富士塚。

急な登り道が続きます。

頂上。この方角に富士山があります。

参考文献

参考記事

池袋(福美)レトロな理容室の建物。水色で描かれた「福美」の屋号。

 池袋本町3丁目の住宅街に建つレトロな理容室。

白い壁に水色で描かれた「福美」の屋号。

BARBERフクミの入口。

1階部分。

参考文献

参考記事

池袋(山源)かつて三業地があった池袋三丁目。

かつて三業地※1※2※3 があった池袋三丁目。

四つ角にある山源。

ビールを頼むとこれだけのお通しがつきます。

オムライスを注文。これにも刺身がつきます。

池袋(郷土資料館)森田組東口マーケットの模型。

豊島区立郷土資料館。常設展示の一つに、「池袋ヤミ市」の展示があります。
池袋駅東口に東京で最初に建設された木造長屋式連鎖商店街「森田組東口マーケット」を、縮尺20分の1で再現した精巧な模型です。当時このヤミ市には281軒の店があり、半数強が飲食店でしたが、再現した南側部分(103軒)には食料品や日用品、衣料品など多様な業種の店が集まり、活気あふれるヤミ市の雰囲気が表現されています。*1

池袋ヤミ市の分布図。

飲み屋の看板。

ヤミ市の全景。

参考文献

*1
立教大学立教大学学術リポジトリ立教大学 リンク
江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
秋の収蔵資料展「池袋ヤミ市と戦後の復興」について リンク

当館では、一九八四年の開館以来、戦後池袋の復興を象徴する「池袋ヤミ市」を常…

参考記事

池袋(池袋西口センタービル)仁栄マーケットの営業者が土地を取得し建設。

池袋の西口五差路。

交差点の角に建つ池袋西口センタービル。

池袋西口の闇市は、62年末までに整理され、仁栄マーケットの営業者が土地を取得し、池袋西口センタービル(西口五差路に現存)が建設されました。*1

入口。

参考文献

*1
東京人 30(11)2015.9
特集 戦後七十年 ヤミ市を歩く。 復興はここから、見上げた空は青かった
石榑督和池袋繁華街を支え、ともに息づく

後背地に肥沃な農業地帯を持っていたことから、池袋の闇市は農作物を中心とした…

参考記事

池袋(ビデオ店)DVDアウトレット。地下1階。

池袋駅北口の路地。

「DVDアウトレット」と書かれた看板。

店舗は地下1階です。

このあたりには、複数のビデオ店が軒を連ねています。

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

池袋(3軒並ぶ建物)3軒の建物がくっついています。

池袋(天丼ふじ)池袋駅北口。天丼専門店。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅北口にある天丼ふじ。

カウンター席。

天丼専門店なので、メニューは天丼のみです。

特製天丼を注文。

参考文献

参考記事

船橋( 大輦)中華料理店。名物はソースらーめん。

京成船橋駅前の繁華街から東に入ったところにある中華料理「大輦」。

名物は「ソースらーめん」です。。

焼きそばのような具材のらーめんに、ハムカツをトッピング。

カレー粉のトッピングもできます。

参考文献

参考記事

船橋(海神の便所煙突)コンクリートブロックの壁面からL字型に突き出ています。

京成電鉄海神駅近く。

化学品倉庫に便所煙突※1※2 が見えます。

便所煙突は、コンクリートブロックの壁面からL字型に突き出ています。

絶妙の錆び具合。

船橋(モナリザ)創業から45年。佇まいから調度品まで当時と変わらぬ姿。

本町通りの裏手にある珈琲モナリザ。

創業から45年。料理は開業時から厨房を担うシェフがソースからすべて手作り。ナポリタンは不動のベストセラーです。*1

佇まいから調度品まで当時と変わらぬ姿で迎えてくれる市民憩いの場です。*1

ナポリタンとビールを注文。

参考文献

*1
船橋市経済部商工振興課船橋さんぽ船橋市経済部商工振興課2025.3 リンク
珈琲モナリザ

P.5
創業から45年、佇まいから調度品まで当時と変わらぬ姿で迎えてくれる市…

参考記事

船橋(大宝劇場跡地)京成電鉄船橋駅北口。

今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
京成電鉄船橋駅北口。かつて、この付近には、ストリップ劇場の「大宝劇場」がありました。

劇場は、正面の建物脇の路地を入った奥にありました。*1

付近には風俗店もあり、歓楽街の雰囲気を感じます。

裏側の通り。「大宝劇場」は、写真の左側にありました。
1080年代には、移転し、移転後風俗店になりました。*2

参考文献

*1
住宅地図出版社船橋市 1970住宅地図出版社1970

P.26
大宝劇場の記述。

*2
ゼンリン船橋市 西部 1985ゼンリンの住宅地図. 千葉県ゼンリン1985

P.81
大宝劇場の跡地→風俗店(のぞき部屋、キャベレールビー、ヘルス城)の…

参考記事

小田原(瀬戸自転車店)看板建築の建物が2棟。

小田原市本町1丁目の国道沿い。看板建築の建物が2棟並んで建っています。

瀬戸自転車店。

建物の角のレリーフ。

建物の側面。

参考文献

参考記事

小田原(宝屋)浜町1丁目。桂歌丸さんのポスター。

浜町1丁目の住宅街。板塀と松の木。

伝統的な和風の家屋です。

質屋の入口。

桂歌丸さんのポスター。

参考文献

参考記事

小田原(理容室)看板建築。「理容」の2文字だけが残っています。

本町3丁目の通り。看板建築の理容室があります。

屋号は白く塗られ、「理容」の2文字だけが残っています。

美しく白く塗装されています。

正面の部分。

参考文献

参考記事

小田原(トルコ玉垣)周囲は玉垣に囲まれています。

小田原市街にある松原神社。

周囲は玉垣に囲まれています。

「ういろう」など、小田原の商店などの寄進者の名が見えます。

宮小路トルコ。

参考文献

参考記事

小田原(ういろう本店)城郭のような建物。透頂香の別名。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原市街の本町1丁目にある城郭のような建物。

ういらう本店。

外郎とは相州小田原名物の妙薬「透頂香(とうちんこう)」の別名。万能薬であるが特に舌の回りが良くなるとされます。「外郎売り」は、早口言葉など、淀みない巧みな弁舌で薬の売立の工場を聴かせることに主眼を置いた歌舞伎の演目で特定の筋はありません。*1

「透頂香(とうちんこう)=ういらう」を購入。

参考文献

*1
古井戸秀夫歌舞伎登場人物事典 普及版白水社
外郎売り

早口言葉など、淀みない巧みな弁舌で薬の売立の工場を聴かせることに主眼を置い…

参考記事

成田(石川牛乳店)建物上部に残る森永牛乳の屋号。

成田山東参道から南へ分岐する興亜道路沿い。

当時のままの牛乳店の建物。

建物上部に森永牛乳の屋号が残っています。

エンゼルマーク。※1

成田(新勝寺額堂)九段の富士見町花街の芸妓屋、待合などの屋号。

今回は成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
新勝寺額堂には、奉納額や絵馬などが掲げられています。

西側の正面に掲げられている大正10年9月の奉納額。

九段の富士見町花街の芸妓屋、待合などの屋号が記されています。
富士見町花街は、明治二年、菊乃屋の長岡仁兵衛氏が山手方面の繁盛を期する考えからこの地に花街の新設を思い立ち、当時の参議広澤真臣の力にすがって現在の靖国神社境内に茶店を出したのが初めであるといわれ、芸者屋数14軒、芸者総数429名を数えました。*1

待合「福林」(写真右から2番目)は、昭和5年の東都芸妓名鑑*1 に記載のある屋号です。

参考文献

*1
南桜社東都芸妓名鑑南桜社1930 リンク
九段富士見町花街の沿革 リンク

明治二年、現在の菊乃屋の長岡仁兵衛氏が山手方面の繁盛を期する考えからこの地…

参考記事

大網(更科)白里海水浴場のすぐ近く。南今泉。

大網白里市の東側の南今泉。白里海水浴場のすぐ近くです。

そば処の更科。

店内。

天ざるとビールを注文。

参考文献

参考記事

大網(金谷郷の切り通し)大網駅の北西。幻想的な景色

大網駅の北西の金谷郷。

大網には、多くの切り通しがあります。*1
金谷郷の切り通しもそのうちの一つです。

幻想的な景色です。

切り通しを抜けたあたり。

参考文献

*1
大網白里市我がまち魅力発見ガイドマップ大網白里市2017.2

P.24
市内の切り通し。

参考記事

大網(あじさいラーメン)以前はフランチャイズチェーンの店舗。

大網駅の南側。

三宅島あじさいラーメン。あじさい娘。
店主の話によると、以前は、フランチャイズチェーンのあじさいラーメン*1 でしたが、開業後、本部が倒産してなくなってしまい、そのまま「あじさいラーメン」を名乗っていましたが、いつの間にか「あじさいラーメン」は、ここだけになってしまったそうです。

あじさいラーメン本部は、軽トラックを使った屋台式ラーメン(移動販売)をチェーン展開し、話題となりました。*2

醤油ラーメンを注文。

参考文献

*1
商業界商業界 The journal of retailing 7月別冊商業界1977.07
*2
綜合ユニコムレジャー産業資料 9(7)綜合ユニコム1976

参考記事

大網(ホテルキャッスル)城郭様式を模した外観。

大網の商店街の東側。国道128号線を跨ぐと、畑の中にエメラルドグリーンの城が出現します。

城郭様式を模した外観のラブホテルです。

入り口部分の上部は、狭間胸壁(はざまきょうへき、凹凸状の壁面)の外観を備えています。*1

張り出し狭間(石落とし)。*1

参考文献

*1
風きよし古今東西風俗散歩歩いて知る日本の大衆文化史 トランスワールドジャパン2012 リンク

著者(風きよし)が独自の目線で書いた散歩本。

中世の城郭を模したラブホテル建築

P.112

中世ヨーロッパ…

参考記事

大網(熱海輪店)旧千葉銀行大網支店。パラペット中央に紋章飾り。

大網商店街の交差点の北側。

木造2階建の銀行建築の熱海輪店。登録有形文化財(旧千葉銀行大網支店)です。*1

近年の改装で、モルタル塗石目地仕上げがタイル貼りに変ったが、大正期銀行建築の骨格は旧状を留めています。*1

パラペット中央に紋章飾りを据えた半円アーチ。*1

参考文献

*1
文化庁文化遺産オンライン文化庁 リンク
熱海輪店(旧千葉銀行大網支店) リンク

木造2階建の銀行建築。近年の改装で、モルタル塗石目地仕上げがタイル貼りに変…

参考記事

大網(通学路の標識)つうがくどうろ。オリジナルの標識。

大網の商店街の交差点。

木造家屋の前に標識が建っています。

「つうがくどうろ」の標識。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 03-4.jpg

国交省の正式な道路標識ではなくオリジナルの標識です。

参考文献

参考記事

大網(石井薬局)商店街の交差点。モダンなデザイン。

大網の商店街の交差点に建つ石井薬局。

モダンなデザイン。

建物の側面。

棚には薬品が並べられています。

参考文献

参考記事

大網(看板建築)大網駅の東側。行木小間物店。

今回は、大網(千葉県大網白里市)の町並みを散歩します。
大網駅の東側にある商店街には、看板建築の商店が多く残っています。

鮮魚、仕出し「魚岩」。

行木小間物店。

水色の看板建築。

参考文献

参考記事

下総中山(おりひめ神社)ニッケコルトンプラザ。日本毛織工場。

JR下総中山駅近く。JR線と真間川が交差するあたりに、おりひめ神社があります。

おりひめ神社は、共立モスリン中山工場の頃から、工場内の森を神域として設けられた神社です。その後、合併により日本毛織(株)へ、そして、昭和63年に、商業施設のニッケコルトンプラザへ引き継がれました(案内板より)。

鳥居。

中山に日本毛織工場が出来た頃、三千人ほどの女工さんが昼夜二交代でという反物(モスリン)を織っていました。当時、中山小栗原付近は、モスリン景気で、工場の休日ともなると、小栗原の街中は女の人の流れ一色となり、飲食店、食堂、化粧品店など、どの店も満員盛況でした。*1

参考文献

*1
成瀬恒吉小栗原誌本中山地区自治会町会連合会二〇周年記念本中山地区自治会町会連合会1985.1
町制施行の頃

P.11
昭和の初めに中山三業組合が結成された 。料理店、飲食店、旅館の業者…

参考記事

下総中山(小栗原蓮池公園)昭和の初めの三業地。

京成中山駅近くにある小栗原蓮池公園。

昭和36年4月に開園したことを示す碑。

昭和の初めに中山三業組合が結成され、小栗原地区(現在の中山)の蓮池の奥にはカフェー「かおる」がありました。料理屋では「森田屋」などがあって、日暮れを待つようにして半玉のたたく太鼓の音が満水の池にコダマして、風流でした。*1

蓮池湖畔にある公会堂では毎夜芝居、浪花節、安来節等の興業があって、日暮れになると客寄せの呼び声、幕開けの拍子木の音が池にコダマして豪華さを増し、夜になると小栗原の街には矢がすりにエプロン姿の女給さんが、厚化粧であちこちに見られました。*1

参考文献

*1
成瀬恒吉小栗原誌本中山地区自治会町会連合会二〇周年記念本中山地区自治会町会連合会1985.1
町制施行の頃

P.11
昭和の初めに中山三業組合が結成された 。料理店、飲食店、旅館の業者…

参考記事

下総中山(暗渠)京成電鉄中山駅の下から。

京成電鉄中山駅(写真左奥)の下から続く暗渠。

住宅地の中、北側に暗渠がカーブを描きながら延びています。

途中、道路を横切って、さらに続きます。

暗渠の行き止まりのあたり。

参考文献

参考記事

下総中山(いけず石)小栗原蓮池公園近く。

小栗原蓮池公園の近く。

塀の角に設置された「いけず石」と思われるオブジェ。

横から。

内部には、水が溜まっています。金魚鉢の代わりとしても使えそうです。

参考文献

参考記事

下総中山(駄菓子屋)どう見ても駄菓子屋には見えない佇まい。

京成中山駅から中山小学校へ向かう道の途中。

駄菓子屋さんがあります。

店内。

どう見ても駄菓子屋には見えない佇まいです。

参考文献

参考記事

下総中山(中村家住宅煉瓦蔵)国道14号線沿い。文化遺産の煉瓦蔵。

国道14号線沿いにある中村家。

煉瓦蔵は文化遺産に指定されています。

煉瓦造二階建、切妻造桟瓦葺で、妻面にアーチを付した庇窓があります。壁は焼過煉瓦がイギリス積に積まれています。*1

鬼瓦や屋根もどっしりとした意匠です。

参考文献

*1
文化庁文化遺産オンライン文化庁 リンク
中村家住宅煉瓦蔵

主屋西隣の敷地角地に南北棟で建つ。煉瓦造二階建、切妻造桟瓦葺で、東面を戸口…

参考記事

下総中山(越後屋)鬼越駅近く。入口は2つ。

市川市の鬼越駅近くにある大衆食堂の越後屋。

入口は2つありますが、店の中は一つにつながっています。

テーブル席と座敷。

かつ丼とビールを注文。

参考文献

参考記事

下総中山(便所煙突)東中山駅。ショーワーベンチレーター。

今回は、下総中山(千葉県市川市)の町並みを散歩します。
京成電鉄は「便所煙突」の宝庫です。※1※2

「ショーワーベンチレーター」と書かれています。プラスチック製の新しいもののようです。

反対側(駅の南側)の倉庫にも便所煙突。

こちらは、錆び感もあり、昔懐かしい「便所煙突」を彷彿とさせる形状です。

啓正式自然回転除風器(便所煙突) は、危険物倉庫用ベンチレータ として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景を思い出させるものです。※1

成田(みはし亭)店先に設けられる坪庭。宗吾霊堂の近く。

京成宗吾参道駅から宗吾霊堂方面に歩いて15分程度のところにある「みはし亭」。

店先に設けられる坪庭。

テーブル席。

天ざるを注文。大き目にカットされた海苔がポイントです。

参考文献

参考記事

成田(便所煙突)宗吾参道駅。L字型に伸びた煙突。

京成電鉄の宗吾参道駅。

駅の北側に踏み切り近くに、便所煙突※2 があります。

L字型に伸びた煙突。

啓正式自然回転除風器(便所煙突)*1 は、危険物倉庫用ベンチレータ*2 として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景※1 を思い出させるものです。

参考文献

*1
建築資料協会建築資料共同型録建築資料協会1925 リンク
啓正式自然回転除風器 リンク

P.156
自然回転除風器
風車の回転によって、外気との接触面に真空域をつ…

*2
三和式ベンチレーター株式会社三和式ベンチレーター株式会社三和式ベンチレーター株式会社 リンク
危険物倉庫用ベンチレーター リンク

P.9
・特に強制換気を必要としないところや外気の流入が
少ないところ、…

参考記事

※1船橋(便所煙突)船橋競馬場駅。啓正式自然回転除風器。※2小田原(トタンの塀)便所煙突。浜町2丁目のかつての旅館街の近く。

この記事を参照している記事

下総中山(便所煙突)東中山駅。ショーワーベンチレーター。

成田(奥之院)洲崎井筒楼、浅草田圃「草津」。

成田山の光明堂の裏手にある奥之院。

石垣には、深川などの関係者の名があります。

洲崎井筒楼。

浅草田圃「草津」。
大正10年の古地図*1 に、広大な敷地で記されている「草津亭」と思われます。
草津亭は、明治5年に駒込神明町で創業し明治18年に浅草にて開業。*2
草津亭明治時代から浅草の花柳界を支えてきました。*3

参考文献

*1
楢崎旭堂淺草公園及附近觀世音由來吉原遊廓一覽共榮堂1921.10
浅草公園及び付近
*2
草津亭浅草 草津亭草津亭 リンク
ごあいさつ リンク

歴史と人情が息づく街、浅草でおよそ150年

草津亭と浅草花柳界

芸…

参考記事

安食(子授け乃大樹)大鷲神社。合体椎の木。

魂生大明神のある大鷲神社ですが、他にも性神信仰に纏わるものとして、「合体椎の木」「子授け大樹」があります。

子授け大樹。

合体椎の木。

反対側から見ると、たしかに合体しています。

参考文献

参考記事

安食(安庵)安食駅北側の住宅街。独得のレトロな雰囲気。

安食駅北側の住宅街。

中華料理の安庵。

店内は、独得のレトロな雰囲気です。

えびチャーハンを注文。

参考文献

参考記事

安食(上総の農家)名主クラスの農家を再現。

千葉県立房総のむらの「上総の農家」は、上総の代表的な名主クラスの農家を再現した施設です。*1

ざしき。

中二階。板敷きの中二階の部屋で、奉公人の部屋として使われていたそうです。*1

長屋門。

参考文献

*1
公益財団法人千葉県教育振興財団体験博物館 千葉県立房総のむら公益財団法人千葉県教育振興財団 リンク
上総の農家 リンク

江戸時代後期に建てられた大網白里市砂田(いさごだ)の秋葉家の主屋と市原市栢…

参考記事

安食(商家の町並み)千葉県立房総のむら。江戸時代末期の旅館を再現。

今回は、安食(千葉県印旛郡栄町)の町並みを散歩します。
千葉県立房総のむらは、千葉県の商家や農家などの町並みを再現した博物館です。

商家の町並みコーナー。
町並みの入口にある総屋(ふさや)は、成田の新勝寺門前に
江戸時代末期に建てられ、昭和初期まで使用された大野屋旅館の外観を一部再現しています。*1

江戸時代の町並みが再現されています。

めし屋。

参考文献

*1
公益財団法人千葉県教育振興財団体験博物館 千葉県立房総のむら公益財団法人千葉県教育振興財団 リンク
総合案内所「総屋ふさや」 リンク

房総のむら出入り口に建つ総合案内所「総屋」は、成田の新勝寺門前に江戸時代末…

参考記事

我孫子(長屋門)中里通り沿い。右側部分にシャッターと看板跡。

湖北駅の東側。中里通り沿いにある大きな長屋門。

広大な敷地です。

これほど大きな長屋門は見たことがありません。

右側部分に、シャッターと看板跡。何かの店舗だったのでしょうか。

参考文献

*1
星野保古木が語る湖北村の生活誌新人物往来社2000.4

長屋門は間口12軒、奥行3軒入母屋造り瓦葺き2階建である。
3軒幅の門を…

参考記事

我孫子(湖北台円筒分水)4月から8月の間、用水を供給。湖北の住宅街。

湖北駅の西側の住宅街。Y字路の部分。

湖北台円筒分水があります。

分水している箇所。

4月から8月の間、用水を供給しています。

参考文献

参考記事

我孫子(バス停置き場)専用回転場所。台座はほとんどが丸型

石神堂※1 の近くに、バス専用回転場所があります。

回転場所の奥のスペースに置かれた大量のバス停。

岡山県で見かけたバス停置き場は、古くなったバス停の墓場のようでしたが、※2、こちらのバス停は、まだ使えそうな新品のバス停ばかりです。

台座は、ほとんどが丸型ですが、角型もあります。

我孫子(石神堂)新木駅から東へ1km弱。たくさんの石棒。

JR成田線の新木駅から東へ1km弱。稚児大師堂・観音堂・石神堂、とお堂が並んでいます。

石神堂と書かれています。

祠の中には、たくさんの石棒が並べられています。

大型の石棒もあります。

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

我孫子(バス停置き場)専用回転場所。台座はほとんどが丸型

東金(円筒分水)両総用水東金支線。3方向へ分水。

両総用水は、長年、水不足に悩まされてきた九十九里平野が下総台地の向こう側の利根川から水を引いもので、東金支線の先に円筒分水工があります。*1

東金支線の円筒分水工では、サイホンの原理で吹き上がった水を、決まった割合に分けた円周上の堰を越えさせ、3方向へ分水します。*2

美しい曲線。

両総東金支線の碑。

参考文献

*1
三橋さゆり山の向こうから水を引け!地図と地形でわかる日本の川と流域外分水実業之日本社2024.9
両総用水

P.30
長年、水不足に悩まされてきた九十九里平野が下総台地の向こう側の利根…

*2
東金市東金市東金市 リンク
両総用水円筒分水工 リンク

両総用水は、利根川から栗山川を経由し、一宮川まで届く日本でも有数の農業用水…

参考記事

東金(割烹志津本)県内でも代表的なお座敷文化が花開いていました。

東金線の踏切を渡ったところに、割烹志津本の看板が立っています。

線路沿いに少し行くと志津本があります。

かつて東金市のJR東金駅周辺にはたくさんの芸妓の姿が見られ、県内でも代表的なお座敷文化が花開いていました。*1

東金市の旧市街一帯にはかつて多くの芸妓(げいこ)が暮らしていました。*1

参考文献

*1
千葉日報社千葉日報千葉日報社
通りに響く三味線の音色今も残るお座敷文化 芸妓のまち東金【ふさの国探宝】2019.8.5

かつて東金市のJR東金駅周辺にはたくさんの芸妓の姿が見られ、県内でも代表的…

参考記事

東金(吾妻庵)昭和のまま時間が止まったかのような店内。

東金駅前のパチンコ百万弗の向かい側にある吾妻庵。

年季の入った暖簾。

昭和のまま時間が止まったかのような店内。

天ぷらそばとビールを注文。

参考文献

参考記事

東金(看板建築)田中家具店。和洋折衷の建物。

東金の古い町並みには、看板建築の建物が多く残っています。

田中家具店。

和洋折衷の建物。

小規模な商店。

参考文献

参考記事

東金(押売プレート)物もらい、ゆすり、押売、お断り。

県道千葉銚子線沿いにある古い民家。

ホロー製のプレート。

東金市防犯組合のプレート。

物もらい、ゆすり、押売、お断り。

参考文献

参考記事

東金(鈴木薬局)モデルタレントさんも愛用。灰吹屋。

県道千葉銚子線沿いにある灰吹屋鈴木薬局。

明治20年代に開設された薬局で、初代当主鈴木安太郎氏が八日市場の灰吹屋で修業し、東金に店を開設する際に灰吹屋を名乗ることを許されました。昭和2年発行の古地図(松井天山:千葉県東金町鳥瞰*1)にも掲載されています(案内板より)。

灰吹屋。

モデルタレントさんも愛用。

参考文献

*1
松井天山千葉県市街鳥瞰図聚海書林1989
千葉県東金町鳥瞰

参考記事

東金(百万弗)娯楽の殿堂。飲食店が併設。

今回は、東金(千葉県東金市)の町並みを散歩します。
東金駅前にあるパチンコ百万弗。

娯楽の殿堂 百万弗。

飲食店が併設されています。

大衆酒場、やきとり。

参考文献

参考記事

小田原(寿庵)古民家風の佇まい。小田原駅近く。

小田原駅近くにある古民家風の佇まいの店舗。

蕎麦処寿庵

天ぷら蕎麦とビールを注文。

歴史感溢れる老舗のお蕎麦屋さんです。

参考文献

参考記事

小田原(小便小僧)飯田薬局前。店の広告に一役買っています。

小田原市の本町2丁目の交差点の角にある飯田薬局。

店の前に池のようなスペースがあります。

小便小僧。

看板がぶら下げられていて、店の広告に一役買っています。

参考文献

参考記事

小田原(清風楼)松原神社の東側。現在残っているのは清風楼のみです。

松原神社の東側。黒板壁の続く通りがあります。

松原神社の膝下にある小路を中心とした宮小路はかつては小田原随一の繁華街でした。戦前には映画館、劇場、呉服店、小間物屋、料理屋、カフェ、芸者置屋などが軒を連ね、この宮小路には料亭として、清風楼、春日、桝金、弥生などがありました。

現在残っているのは清風楼のみです。

反対側の青物町商店街に、現在の店の入口があります。

参考文献

*1
小田原史談会小田原史談小田原史談会
第281号2025.4
清風楼小田原ご当地物語 青物町(その4)

松原神社の膝下にある小路を中心とした宮小路はかつては小田原随一の繁華街であ…

参考記事

小田原(旧鈴廣本店)旧店舗の建物。千度小路。

今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原市本町の千度小路。

鈴廣の旧店舗の建物が残っています。

鈴廣は、1865年(慶応元年)創業。明治中期に、千度小路に店を移し屋号を「鈴廣」と改めました。*1

通用口側。

参考文献

*1
鈴廣鈴廣の沿革鈴廣 リンク

1865年(慶応元年)
創業。四代目 村田屋鈴木権右衛門が、小田原代官町に網…

参考記事

成田(チルチル)レトロで豪華。ガス灯のようなデザイン。

成田山新勝寺近くの成田街道沿いにある純喫茶チルチル。

ガス灯のようなデザインの電灯。

内装やシャンデリアがレトロで豪華です。

メロンクリームソーダを注文。

参考文献

参考記事

成田(清瀧権現堂・地主妙見宮)新吉原、西の宮。稲辨楼。

成田山新勝寺の清瀧権現堂・妙見宮。

玉垣などには、たくさんの寄進者の名が刻まれています。

新吉原、西の宮。

新吉原角町 稲辨楼。

参考文献

参考記事

成田(ふじや)歴史を感じさせる店内。成田山表参道沿い。

今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
成田山・表参道の道が二又に分かれているあたり。

蕎麦処ふじや。

歴史を感じさせる店内。

天ぷらそばを注文。

参考文献

参考記事

船橋(湊町2丁目公園)三田浜塩田発祥の地の碑。

国道14号から南に入ったところにある湊町2丁目公園。

三田浜塩田発祥の地の碑。

三田浜楽園は「楽園」の名が示すように、昔は割烹旅館のほかに遊園地があり、小動物園や有料のプールなどもありました。現在、市役所の立っている辺りはちょうどそのプール跡でした。この楽園の土地一帯は古くは有名な三田浜塩田になっていました。

ノーベル賞作家の川端康成が若き日にここに遊んで、のちに短編小説「童謡」(昭和十年)を描き、その舞台にしました。それによると「長い廊下を持った割烹旅館の主人公の部屋では、窓からカレイやボラや鰻が釣れ、枕の下は本当に海水で磯の香りが強かった。」と書かれています。*1

参考文献

*1
フジサンケイリビング総武・常磐編集部京葉散歩 3 船橋市第一書林資料出版室1974.5
三田浜塩田は楽園に

三田浜楽園は「楽園」の名が示すように、昔は割烹旅館のほかに遊園地があり、小…

参考記事

船橋(レトロ電柱)船橋郵便局前。船橋新地跡近く。

船橋郵便局前の駐車場の角にレトロ電柱が残っています。

ここから、北へ入ったところが船橋新地跡で、そこにもレトロ電柱があります。※1
この電柱も同じ系統のものかもしれません。

スイッチがついていたと思われる穴跡。

現在の電柱に寄り添うような形で立っています。

船橋(うなぎや)解りやすい屋号。鰻の骨の唐揚げ。

千葉街道沿いにある鰻の「うなぎや」。解りやすい屋号です。

うなぎ重には、桐、松、竹があります。持ち帰りもできます。

ビールには、「鰻の骨の唐揚げ」がつきます。

うな重(竹)を注文。

参考文献

参考記事

船橋(ブロンズ像)海からの風。本町中央公園。

船橋の本町中央公園。

「海からの風」と題された彫像。

船橋市には、25体の野外彫刻があります。*1

後ろ姿。

参考文献

*1
船橋市船橋市船橋市 リンク
船橋市総合教育センターまなびの風第31号船橋市総合教育センター2012.12.01 リンク
船橋市の野外彫刻

船橋市は、昭和56年より市民の文化的感性を高め、文化的な都市景観を創出するた…

参考記事

船橋(ニュー大宝跡地)京成船橋駅前の飲食店が密集する一画。

京成船橋駅前の飲食店が密集する一画。

以前、このあたりには、ストリップ劇場の「ニュー大宝」がありました。*1

南側から。

建物脇の路地。

参考文献

*1
ゼンリン船橋市2(西部) 201002ゼンリン2010

P.99
ニュー大宝の記述。

参考記事

船橋(菜来軒)大型の海老2尾とチャーシュー。

京成電鉄船橋競馬場駅の北側。

中華料理「菜来軒」。

テーブル席。

五目炒飯を注文。大型の海老2尾とチャーシューそしてカマボコがトッピングされています。

参考文献

参考記事

船橋(ゴールデンビーチの名残?)船橋ヘルスセンター。

ららぽーとTOKYO-BAYの南隣。
現在は、物流センターになっている東側に、ゆるやかなカーブを描く道路が南北に通っています。

この曲線は、かつての娯楽施設「船橋ヘルスセンター」のゴールデンビーチがあったあたりです。*1

「船橋ヘルスセンター」は昭和30年、大衆温泉としてオープンしました。 “日本一大きい、日本一面白い、日本一安い、温泉と海と娯楽の大デパート”をテーマに、温泉施設や遊園地、プールに海水浴、劇場、ゴルフ場、ボウリング場、アイススケート場、サーキット場、遊覧船等々、当時の常識では考えられないほど、広大な敷地にさまざまな“娯楽場”がありました。*1

船橋ヘルスセンターの閉園後、スキードームSSAWS(ザウス)がオープンしましたが、現在は、IKEA Tokyo-Bayになっています。

参考文献

*1
船橋市船橋市船橋市 リンク
「ららぽーとTOKYO-BAY」の前身この施設は一体!? リンク

ららぽーとTOKYO-BAYの前身、「船橋ヘルスセンター」は昭和30年、大衆温泉とし…

ゴールデンビーチ(写真) リンク

参考記事

船橋(便所煙突)船橋競馬場駅。啓正式自然回転除風器。

今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
京成電鉄船橋競馬場駅のプラットフォーム脇に、小さな小屋が建っています。

ブロック塀で作られた小屋の側面に便所煙突が取り付けられています。

便所煙突は、駅の階段脇にももう1基。入口にドアがある小さな小屋です。

啓正式自然回転除風器(便所煙突)は、風車の回転によって、便所などの円筒内部の空気を吸い上げ、外部に放出する装置です。その吸引力は強大ですが、同時に外部から侵入しようとする空気は羽状弁の作用により防止され、逆流することはありません。*1

啓正式自然回転除風器(便所煙突)*1 は、危険物倉庫用ベンチレータ*2 として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景※1 を思い出させるものです。

参考文献

*1
建築資料協会建築資料共同型録建築資料協会1925 リンク
啓正式自然回転除風器 リンク

P.156
自然回転除風器
風車の回転によって、外気との接触面に真空域をつ…

*2
三和式ベンチレーター株式会社三和式ベンチレーター株式会社三和式ベンチレーター株式会社 リンク
危険物倉庫用ベンチレーター リンク

P.9
・特に強制換気を必要としないところや外気の流入が
少ないところ、…

参考記事

※1小田原(トタンの塀)便所煙突。浜町2丁目のかつての旅館街の近く。

この記事を参照している記事

船橋(海神の便所煙突)コンクリートブロックの壁面からL字型に突き出ています。
下総中山(便所煙突)東中山駅。ショーワーベンチレーター。
成田(便所煙突)宗吾参道駅。L字型に伸びた煙突。

湯河原(小清水)昭和43年の創業。丁寧に手間ひまかけて作られる洋食。

湯河原駅近くのY字路にあるレストラン。

洋食の王道をいくメニューが揃っています。

昭和43年の創業以来、メニューを変えることなく、丁寧に、手間ひまかけて作られる洋食です。デミグラスソースは仕込みから約1週間かけてじっくり作ります。オムライスは、銀座で修業したマスターが守り続ける、昔ながらの卵でチキンライスを包むタイプ。*1

オムライスとビールを注文。

参考文献

*1
湯河原町観光課・観光立町推進会議広報部会OFF手にしたらあっという間に湯河原日和湯河原町
レストラン小清水2019.9.26

昭和43年の創業以来51年に亘って、メニューを変えることなく、丁寧に、手間ひま…

参考記事

湯河原(看板建築)3階建てのスナック。紋章風の装飾。

湯河原の「桜山入口」バス亭の近く。

3階建てのスナックと看板建築の建物があります。

2階部分には、紋章風の装飾。

スナック梢。

参考文献

参考記事

湯河原(豆相人車)味楽庵。人車鉄道の車両の展示。

湯河原の和菓子店の「味楽庵湯河原本店」。

店の前に、人車鉄道の車両(復元)が展示されています。

相人車鉄道は、日本初の人車鉄道で、芥川龍之介の「トロッコ」の舞台にもなりました。当時、人車鉄道は予想以上に人件費がかさんだため、会社は動力化を計画し、同時に軌道もこれまでの610mmから762mmに広げ、軽便鉄道に変身させました。工事の完成は明治40(1907)年でしたが、「トロッコ」はこの改良工事中の話です。*1

車両の内部。3人ずつが向かいあって座る構造です。

参考文献

*1
今尾恵介地図マニア空想の旅集英社インターナショナル2016.6
芥川龍之介「トロッコ」の旅

P.65
芥川龍之介の「トロッコ」は、小田原~熱海間の海沿いの軽便鉄道の工事…

参考記事

湯河原(芸妓屋組合)坂道を登ったところ。バス停付近。

湯河原の「見附町」バス停付近。

この坂道を登ったところに、湯河原芸妓屋組合があります。

湯河原芸妓屋組合。

湯河原芸妓屋組合がある場所から坂道を振り返ります。

参考文献

参考記事

湯河原(光陽館)昭和43年、現在の建物に改築。

千歳川にかかる藤木橋から北側の風景。レトロな建物が川沿いに弧を描くように建ちます。

光陽館の旅館としての創業は昭和16年。当時は木造3階建で終戦後傷病兵の世話をする看護婦たちが宿舎として利用していました。昭和43年、温泉観光華やかな時代に現在の建物に改築されました。*1

日帰り入浴ができます。

源泉かけ流しです。

参考文献

*1
湯河原新聞社湯河原新聞湯河原新聞社

<…

ゆがわら商人道元湯旅館 光陽館2011.12.10

旅館としての創業は昭和16年。当時は木造3階建で終戦後傷病兵の世話をする看護…

参考記事

湯河原(温泉看板)JR東海道線の車窓からもよく見える位置。

今回は、湯河原(神奈川県足柄下郡湯河原町)の町並みを散歩します。
千歳川沿いの道がJR東海道線をくぐるあたり。

湯河原温泉の看板が見えます。

湯河原温泉の入口であることを知らせる大看板です。

JR東海道線の車窓からもよく見える位置に建っています。

参考文献

参考記事

富津(切通しトンネル)燈籠坂大師堂へ続く参道。

武雄か駅から上総湊駅行きのバスに乗り、「大師口」バス停で下車。南側の坂を登ると、「燈籠坂大師入口」と書かれたトンネルに行きあたります。

トンネルを抜けると右手に見事な素掘りトンネルが現れます。

トンネルの上には、燈籠坂大師堂があり、この切通しトンネルは、大師堂へ続く参道となっています。*1

頭上注意。

参考文献

*1
富津市富津市富津市 リンク
燈籠坂大師の切通しトンネル リンク

燈籠坂大師の切通しトンネルとは

参考記事

富津(ニコニコドライブイン)昭和レトロな雰囲気。

上総湊駅から国道沿いに南に向かったところに、昭和レトロな雰囲気が特徴の「ニコニコドライブイン」があります。

店内。

価格は、リーズナブルです。

天ぷら盛り合わせとタンメン、ビールを注文。

参考文献

参考記事

富津(さとみ寿司)上総湊駅で下車した国道沿い。房総寿司。

上総湊駅で下車した国道沿いにさとみ寿司の看板が見えます。

長屋門のような造りの建物。

さとみ寿し。

房総寿司(1.5人前)とビールを注文。「房総寿司」は地元の魚だけが使われています。

参考文献

参考記事

富津(圓鏡寺)お堂の右手にある石造群。女性の裸像。

富津市の山間部にある圓鏡寺。石段を登りきったところにお堂があります。

お堂の右手にある石造群。左側に恵比寿様。右側に女性の裸像。

手前には、陰陽石が安置されています。

石棒。

参考文献

参考記事

富津(東京湾観音)高さ56mの観音様。昭和36年に建立。

今回は、富津(千葉県富津市)の町並みを散歩します。
東京湾観音は、高さ56mの観音様で、昭和36年に建立されました。*1

観音様の後ろ姿。窓があるので、穴だらけです。

内部にらせん階段があって、頭部まで登ることができます。途中の腕のあたりは、小さな展望スペースになっています。

観音様遠望。

参考文献

*1
東京湾観音教会東京湾観音について東京湾観音教会 リンク

東京湾観音は、東京湾を一望できる南房総国定公園(大坪山)に建つ高さ56mの救…

参考記事

熱海(田園)創業は1959年。大きな鯉が泳ぐ池が設置されています。

渚町の繁華街にある老舗喫茶店の「田園」。
創業は1959年です(店の看板より)。

クラシカルな雰囲気の店内。

中央には、大きな鯉が泳ぐ池が設置されています。

ナポリタンを注文。

参考文献

参考記事

熱海(ムーラン座)現在は休業中。かつては興行場として営業

昭和町の理容室の建物のある通り※1 を西へ入ったところ。「ムーラン座」の看板が見えます。

現在は休業中のようです。

入口。

静岡県の資料*1 によると、「ムーラン座」は、興行場として営業していたようです。

参考文献

*1
静岡県静岡県静岡県 リンク
静岡県公報 リンク
静岡県告示第259号 リンク

興行場法(昭和23年法律第137号)第2条第1項、旅館業法(昭和23年法律第138号…

参考記事

※1熱海(理容室)建物の角の部分が丸くなっているモダンなデザイン。

熱海(理容室)建物の角の部分が丸くなっているモダンなデザイン。

熱海駅の南側。昭和町の海よりの一画。

小窓がたくさんある理容室。

建物の角の部分が丸くなっているモダンなデザインです。

壁面のタイル。

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

熱海(ムーラン座)現在は休業中。かつては興行場として営業

熱海(竜宮閣浴場)入浴ができます。錦鯉のタイル絵。

竜宮閣※1 では、入浴ができます。入浴料は1,000円です。

こじんまりとした浴室ですが、少しの時間、貸切ることができます。

浴槽の壁面には錦鯉のタイル絵。

裸像。