相模湖駅から南へ徒歩で約10分。
相模川に面した相模湖公園があります。
ボート乗り場。
ボート乗り場の建物は、レトロなゲームセンターになっています。
メロディショット。
相模湖駅から南へ徒歩で約10分。
相模川に面した相模湖公園があります。
ボート乗り場。
ボート乗り場の建物は、レトロなゲームセンターになっています。
メロディショット。
今回は相模湖(神奈川県相模原市緑区)の町並みを散歩します。
相模湖駅を下車すると、目の前に「ようこそ相模湖」と書かれた大きなゲートが建っています。
そのゲートの隣。いかりやレストン「デミタス」。
2階の窓際の席から。
オムライスを注文¥。
甲府市中央4丁目にある魚そう本店。
甲府の寿司屋は師弟関係でいくつかの系統があり、魚そう本店の初代小澤創吉は、大黒すし(創業明治11年、平成27年閉店(城東一丁目))で修業を積みました。*1
魚そう本店の創業は明治30年。現在では魚そう北口分店 ※1 など、多くの分店があります。
店内はテーブル席が中心ですが、小上がりもあります。
にぎりを注文。魚そう北口分店のほぼ同じくらいのビッグサイズでです。甘めのタレが塗られている点は「甲州にぎり」の特徴を備えています。が、本店の場合は一貫の握りが食べやすいように半分の大きさに切り揃えられています。
明治30年創業の魚そうの寿司は大きな握りや太巻きの形に江戸時代の雰囲気を伝え…
甲府駅の北口。
明治30年創業の魚そうの寿司は大きな握りや太巻きの形に江戸時代の雰囲気を伝えていることでよく知られています。*1
カウンター席とテーブル席、両方あります。
握りを注文。伝統の「甲州にぎり」です。通常の2貫分ある大きなサイズ(一口で頬張るのがやっと)で、少し甘めのたれが塗られています。
明治30年創業の魚そうの寿司は大きな握りや太巻きの形に江戸時代の雰囲気を伝え…
甲府駅の北側の山の手通り沿い。山彦旅館の看板。
路地を一本入ったところにある山彦旅館。
現在は休業しているようです。
東側から見ると、規模の大きな旅館であることが解ります。
裏春日通りと銀座通りのアーケードが交差するあたり。
ビデオ・パートナー ムサシ。
ムサシ建物の裏側は駐車場になっています。
その左側は、銀座通りのアーケードの裏側です。
甲府市の朝日5丁目にある銭湯の喜久之湯温泉。
太宰治も通った名湯です。
「太宰がいた町を歩く」と題した記事が掲載されています。
「毎日午後三時頃まで机に向かい、それから近くの喜久之湯に行く。その間に支度しておいて、夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで。。。ぶっ倒れてしまう。。。」
甲府駅北側の朝日5丁目。
大きなコンクリートの塊。
四つ足の箱が横倒しになっている状態です。
上側には蓋が付いています。ゴミ箱が横倒しの状態で置かれていることが解ります。
今回は、甲府(山梨県甲府市)の町並みを散歩します。
甲府駅の北側にある玄法院には、新柳町遊廓の遺構が残されています。そのうちの一つが手水石※1 ですが、もうひとつ、本堂前の石灯籠に芸妓が寄進したと思われる石の台座が残されています。
台座には、「芸妓中」と刻まれています。
新柳町の芸妓屋と芸者と思われる名前が刻まれています。
新柳町は、遊廓と芸者屋が混在していました。明治28年(1895年)の「新柳町明細地図」には芸者屋「森田」の名が記されています。*1
石灯籠の上部には、昭和廿八年と記されています。台座部分と灯籠部分は、石の風化の具合が異なって見えるので、別の時代のものかもしれません。
1774(安政3)年以降、徳川幕府は期間を限って甲府柳町一丁目(中央四丁目)の…
仲通りをぬけた角に建つスミレ写真館。
スミレ写真館に寿々喜家※1 所蔵の写真が展示されています。
花街があった頃の写真が展示されています。(仲通りレトロギャラリー。)
昭和50年代頃までの青梅駅周辺は、西多摩きっての商業都市として活気にあふれ、三業通りと仲通りの2本の通りは、ひと味もふた味も違った特色を持つ、青梅で一番の商店街でした(案内文より)。
当時の写真。