今回は、板橋(東京都板橋区)の町並みを散歩します。
地下鉄有楽町線仙川駅の北側。豊島体育館の前に、「力」「いづみ」の2体の裸像があります。

左側の「力」は、男性裸像で両手拳をガッツポーズのように握りしめ、力強さを感じる作品です。

下半身は、ふんどしのみ。

もともとは、豊島区の旧庁舎のシンボル(昭和36年制作)でしたが、旧庁舎の解体に伴い、こちらに移設されました(案内板より)。

今回は、板橋(東京都板橋区)の町並みを散歩します。
地下鉄有楽町線仙川駅の北側。豊島体育館の前に、「力」「いづみ」の2体の裸像があります。
左側の「力」は、男性裸像で両手拳をガッツポーズのように握りしめ、力強さを感じる作品です。
下半身は、ふんどしのみ。
もともとは、豊島区の旧庁舎のシンボル(昭和36年制作)でしたが、旧庁舎の解体に伴い、こちらに移設されました(案内板より)。
水戸市の「常陸山橋」バス停※1 の近く。
色褪せが進行した「婦警さんと子供の交通安全人形」が立っています。
開いている穴は、横断旗を入れるためのものだと思いますが、現在はゴミ箱代わりになっています。
婦警さん、正面。
後ろから見ると、子供の頭の部分が左右に割れ、婦警さんの背中に貼りついているように見えます。
水戸市本町から、酒門町へ向かう途中、備前堀に、コンクリートづくりの「常陸山橋」が架かっています。
この橋は、大正初期、横綱常陸山が祖先の墓が、祖先の墓が酒門町にあったので、その縁故からつくったものです。*1
橋には、常陸山のイラストが描かれています。
近くには、「常陸山橋」という名のバス停もあります。
常陸山「ちゃんこ鍋」を発明した人でもあります。
弟子が多くなって一品料理だと手間がかかるので、みんなで丸く囲んで食べられるようにしました。*2
今の浜町から酒門村方面に通ずる備前堀に架設されてあるコンクリートづくりの橋…
P.137
「ちゃんこ」の元祖は、名横綱常陸山
「ちゃんこ…
水戸市泉町3丁目6にある「いづみや食堂」
カレー、めん類、定食など。昔からながらの食堂です。
かつカレーとビールを注文。
ノスタルジックな一軒家のお店です。
泉町二丁目の「中央ビル」の裏手のパーキングの近く※1 にある水雷稲荷神社。
水雷稲荷神社は、青木新地(富田新地)の昔を語る唯一のものです。この稲荷は、はじめ下市の蓮池町(現在の城東四丁目)にあった。明治の豪商・豊田彦一がこの地を買収して富田新地とした際、移したものでした。*1
明治28年奉納の手水石。*1
その頃、裡信願寺辺りにあった芸妓屋の名が刻まれています。*1
その後、富田新地の土地をゆずりうけたのが青木才次郎※1 で、中央ビルの角地の隣にあった青木材木店は、青木康夫さん(青木才次郎の孫)の父親が経営していました。*1
今回は、水戸(茨城県水戸市)の町並みを散歩します。
茨城県庁三の丸庁舎の北側に建つ配水塔は、ゴシック風の装飾が施された建造物です。
水戸市街の低地部分に給水を行うために、1932年(昭和7年)に建設されました。*1
1階入口部分にも装飾があります。
バルコニー部分の張りだしは、まるで、西洋の城郭建築の塔のようです。
内部には、螺旋階段があります。
日立食堂※1 の四つ角の西側。市毛魚店のある通りは、かつて隆盛を誇った芝居小屋の「栄座」があった場所です。*1*2
地元の方の話によると、栄座はこのあたりにあったそうです。
国道6号線より西側、宮田町三丁目と四丁目の各一部分を取り込む栄座を中心とした通称栄町は、庶民の街として、酌婦や女給たちの住む歓楽街、夜の街として、独自の風俗文化圏を形づくりました。栄町は旭町が芸妓の街であったのとは対照的で、ここは酌婦と女給の町でした。日立のカフェの女給が全員総出で歌や踊りの芸をやるのも栄座でした。*3
同じ通りを北側から見たところ。
「日立煎餅」で有名な袋屋煎餅店は、大正時代の創業で、日立の文字入りです。*4
上下左右にツノがあるのは、どこか、日立製作所の亀の甲マークに似ています。
「日立栄座」の記載。
市毛魚店、袋屋煎餅店。
P.169
日立鉱山の発展に伴って形づくられていった日立の花柳界は、大きく分…
大正時代創業以来、80年以上にわたり昔ながらの瓦煎餅を作り続けてきました。…
日立市白銀町2丁目にある日立武道館は、もとは、日立鉱山(現在のJX金属)が従業員や地域住民のために建設した劇場です。*1
共楽館の設計に影響を与えたのは明治44年秋にリフォームを終えたばかりの歌舞伎座でした。正面の千鳥破風に加え、正面左右隅の階段室には、唐破風屋根を載せています。*2
裏に回ると妻壁上部に丸い「ガラリ(換気口)」が見えます。設計者は建築家ではなく鉱山会社の技師だったそうで、その個性(工場建築のよう)が出ています。*2
建築まもない頃(大正8年)の共楽館の写真(案内板より)。
共楽館は、現在では「芝居小屋」と呼ばれあす。芝居小屋は近年は、四国(琴平)の金丸座(日本最古)、小坂町の康楽館(こうらくかん)※1、内子町の内子座のように、地域振興活動の一環として見直されています。
日立鉱山が従業員や地域住民のために建設した大規模な妻入の劇場で、歌舞伎座(…
P.16
共楽館の設計に影響を与えたのは明治44年秋にリフォームを終えたばかり…
大煙突展望台※1 から約2時間。神峰山に到着です。
日立市街と太平洋が見渡せます。
明治43年から昭和27年まで、山頂には、日立鉱山の観測所が置かれ、大煙突の煙の観測をしていました。(「神峰山観測所の由来」案内板より)。
平成5年2月19日、大煙突が倒壊しました。翌年の平成6年9月に、在りし日の台煙突の雄志を刻して記念碑が建立されました(碑文より)。
かつて、日立鉱山の煙害で、この辺り一帯から緑が消え、荒れ果てていたことがありましたが、試行錯誤の末、世界一高い大煙突が建設されました。煙害は激減し、自然環境は少しずつ回復していきました。*1
大煙突の建設は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』により、その存在が広く知られるようになりました。※1
現在、煙突は倒壊し、当時の高さの3分の1の高さになっています。
鞍掛山から神峰山へ向かう登山道の途中にある「大煙突展望台」を目指します。
40分ほどで「大煙突展望台」へ到着。
企業と地域住民が共存共栄をめざし、煙害問題の克服と自然環境の回復に取り組んできた歴史が今も大煙突に生き続けています。*1
目の前に広がる緑豊かな山々。かつてこの辺り一帯から緑が消え、荒れ果てていた…