甲府市の中心街。桜町通り。
ここに、「仲見世」と書かれた看板のあるアーケードがあります。入口には、年季を感じる「NAKMISE」の文字。
昼間でも薄暗い商店街。
L字型の角をまがったあたり。喫茶店が営業中です。
反対側の出口。
甲府市の中心街。桜町通り。
ここに、「仲見世」と書かれた看板のあるアーケードがあります。入口には、年季を感じる「NAKMISE」の文字。
昼間でも薄暗い商店街。
L字型の角をまがったあたり。喫茶店が営業中です。
反対側の出口。
甲府市の南、太田町の住宅街。
ビル銭湯の新遊亀温泉があります。
近くには遊亀公園があります。
金色の文字。
若松町の濁川添い※1 を進むと交差点の角に、黒駒楼があります。
店内。
黒駒楼は、江戸時代の創業の老舗で、300年近いといわれています。
ランチ丼とビールを注文。
今回は、甲府(山梨県甲府市)の町並みを散歩します。
甲府市の若松町は、駅前の歓楽街のさらの南側に位置する住宅街です。
若松町の町名の由来を記した道標。
「明治9年、甲府の西一条と信立寺町が合併してできた町で、西一条通りに若松座という劇場があった。」と記されています。
若松座は、斎藤建設のあった場所(現在は駐車場)にありました。*1
若松座の前身、亀屋座は、関東八座の一つで、1764年(明和元年)の開業。1803年の鳥羽屋火災で被災のため、1805年(文化2年)に若松町に移転、大劇場をつくり、隆盛期を迎えました。明治になり、1883(明治16)年、若松座と改称しましたが、三井座(のちの桜座)の影響もあり、経営難となったうえ、1892(明治25)年1月の火災に遭い、その後、春日町に再興するも振るわず、2~3年後に姿を消しました。*2
濁川。写真奥は南アルプス鳳凰三山。
P.394
若松町・緑町
⑲斎藤建設のあった場所に、若松座があった。
P.164
前身を亀屋座といい関東八座の一つで有名。1764年(明和元年)に亀屋…
江戸時代、守谷地区では水運が開け、坂戸井、大木、野木崎など沿岸各所に河岸ができました。河岸とともに発展したのは、その河岸に停泊する船の船頭を相手にする水茶屋でした。水海道河岸にはその水茶屋が数件あり、また、坂戸井河岸、清滝神社の下、俗にいう滝下にも、増屋、花屋などという料亭がありました。*1
(写真は、鬼怒川にかかる滝下橋から見る清滝神社方面。)
江戸時代、清滝神社では毎年秋の取り入れが終わった10月、村芝居が興行されていました。娘っ子たちは、その日になると板戸井にただ一軒ある髪結へ出かけ、綺麗に身づくろいをして祭りに出かけました。*2
川べりの鳥居。かつては、河岸からこの鳥居めがけて登る道があったのでしょうか。
船頭の船主が寄進したものと思われます。
水運が開け、舟の往来が激しくなると、沿岸の各所に河岸ができた。守谷地区では…
(1)板戸井の村芝居
江戸時代、働くことを強制されていた百姓たちは娯楽に…
今回葉、守谷(茨城県守谷市)の町並みを散歩します。
石神神社は、「乙子の石神様」とも呼ばれ、オオヒビヤイナソンジャを祭神としたもので、創建は享和三年(1803)と伝えられています。明治43年に村内にあった駒形神社を合祀し、社殿も神殿風に造り変えられました。*1
神殿の前には、大小2体の男根が安置されています。
小さい方の男根の方が古く、「石神」と刻まれています。
大きい方の男根は、「平成5年9月」と刻まれており、新しいものです。
神殿の周囲には、おびただしい数の男根が安置されています。
(1)板戸井の村芝居
江戸時代、働くことを強制されていた百姓たちは娯楽に…
峠坂※1 を上りきり、さらに南下すると神明坂があります。
このあたりは、旧取手宿本陣の裏手にあたります。
左側に石標が建っていますが、右側にもう一つ、古い石標が建っています。
石段の坂です。
坂の上部にも石標が2本建っています。
取手駅東側口の長禅寺があるたりは、小高い丘になっていますが、その北側の道は低地になっています。その道を南下すると峠坂に出会います。道が二股に分かれていますが、右側が峠坂です。
手すりが欲しくなるほどの急坂です。
坂の上部から見ると急坂であることを実感できます。
半分埋もれてしまっていますが、峠坂の石の道標が残っています。
取手駅から西に約1km。
青柳本願寺は、徳川家康の重臣の本多重次の菩提寺です(案内板より)。
本堂の手前左側に、石神様が3体祭られています。
金精神。
こちらの2体は「石神」と刻まれています。
取手駅から競輪場方面へ向かう道の途中。
こじんまりとした焼きそばの店があります。
メニューは焼きそばのみです。アルコール類はありません。
やきそばの「特大たまご入り」とジンジャエールを注文。