北浦和公園の北側。

「下総皖一(しもふさかんいち)先生を称える碑」が建っています。

ささのはさらさら のきばにゆれる おほしさまきらきら
きんぎんすなご
ごしきのたんざく わたしがかいた おほしさまきらきら
そらからみてる

「たなばた」など、広く親しまれる曲などを残した、作曲界黎明期における先達です(案内文より)。

北浦和公園の北側。

「下総皖一(しもふさかんいち)先生を称える碑」が建っています。

ささのはさらさら のきばにゆれる おほしさまきらきら
きんぎんすなご
ごしきのたんざく わたしがかいた おほしさまきらきら
そらからみてる

「たなばた」など、広く親しまれる曲などを残した、作曲界黎明期における先達です(案内文より)。

北浦和駅西口から徒歩3分の市街地にある北浦和公園。
昭和46年、埼玉大学移転に伴い、翌49年に開設されました。また、昭和57年には公園内に県立近代美術館がオープンしました。*1

県立近代美術館の北側に、解体された中銀カプセルタワービルの住宅カプセルのうちの一つが展示されています。

ドアから室内を見学できます。
1960年代、建築界では、黒川紀章、菊竹清訓らを中心に、「メタポリズム」運動が繰り広げられました。、「メタポリズム」とは、生物学用語で新陳代謝を意味し、建築や都市計画も生命が成長・変化を繰り返すように、造形モデルを展開すべきだというものです(案内文より)。

この住宅カプセルは、ビジネスパーソンのセカンドハウスとして設計され、テレビ、電話、ユニットバスなどが備えられました(案内文より)。

銭湯の若松湯※1 の南側に、この字型の小さな飲食街があります。

とんかつの「かつ富」。

昔ながらの食堂です。

とんかつ定食を注文。

北浦和駅前からイオン北浦和店(現在は休業中)方面へ向かう途中の商店街に、銭湯の若松湯があります。

ビル銭湯。

木材が山積みにされています。

入口。

北浦和駅西口から線路沿いに北西方向へ行くと、2棟が向かいあう飲食横丁があります。

「三州屋街」と名づけられた飲食街です。

小料理屋やスナックが連なっています。

反対側(南東側)から。

今回は、北浦和(埼玉県さいたま市浦和区)の町並みを散歩します。
北浦和駅前にある一心寿司。昔ながらの寿司屋さんです。

一心の屋号が書かれたビル。

カウンター席。

チラシ寿司を注文。

通称「冠新道」と呼ばれる通りにある、みそかつの「とん国」。名物は、みそかつです。

昭和レトロな佇まいです。

みそかつの由来。四十数年変わらぬまろやかなタレです。

みそかつとビールを注文。

西日暮里6丁目にある蕎麦店の童心舎。

「手打ちそば」と書かれた看板。

落ち着いた雰囲気の店です。

天ぷらそばとビールを注文。

谷中2丁目にある朝日湯。コインランドリー併設の銭湯です。

西側にもコインランドリーがあります。

南東側の角にある煙突。

のんびりできる待合室。

東京七面山、安産飯匙(しゃもじ)祖師は瑞輪寺の境内にあります。

安産飯匙は、日蓮聖人が鎌倉に向かう途中、難産に苦しむ女性に飯匙をもって無事出産に導いたことから、安産に効能のある「安産飯匙祖師」として庶民の信仰を得ました(案内板より)。

玉垣には、花街の関係者の名が刻まれています。

料亭「いな垣」(写真左奥)※1 など、柳橋の料亭の名が連なっています。
