今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
江戸川乱歩は、転居を繰り返したことで知られますが、その26番目の住まいが、豊島区池袋3丁目の土蔵付きの借家でした。乱歩は、昭和40年の没年までこの地で後半生を過ごしました。現在、この住まいは、立教大学大衆文化研究センターとなっています。*1

応接間。

書庫。

庭から、蔵(書庫)が見えます。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
江戸川乱歩は、転居を繰り返したことで知られますが、その26番目の住まいが、豊島区池袋3丁目の土蔵付きの借家でした。乱歩は、昭和40年の没年までこの地で後半生を過ごしました。現在、この住まいは、立教大学大衆文化研究センターとなっています。*1
応接間。
書庫。
庭から、蔵(書庫)が見えます。
石岡の仲町商店街にある看板建築の森戸商店。
昭和5年頃に建てられ、全体にアールデコ調の外観です(案内板より)。
縦長の窓が配置されています。
建物の角を覆うタイル。
石岡は、看板建築の建物が多く残っている町です。仲町商店街には、3軒(十七屋商店、久松商店、福島屋商店)の看板建築が連なる一画があります。。
十七屋商店と久松商店。
十七屋商店は、持送り風の柱頭飾りが特徴です(案内板より)。
久松商店。正面の外壁には銅板が貼られています。
石岡には、看板建築の建物が多く残されています。
大和田家貸店舗は、昭和5年頃に建てられた木造2階建ての看板建築で、屋根に立ち上げた煙突風の突起物など特異な造形で、当初から貸店舗として建てられた数少ない貴重な建物です(案内板より)。
コリント様式風の柱頭飾り。
重厚な印象を受けます。
ランチの店「四季」として、営業していましたが、現在は休業中です。
石岡の守横通りにある丸三そば店。
2025年で創業96年になる老舗お蕎麦屋さんです。
お蕎麦のほかに定食や出前用のお弁当メニューが充実しています。*1
店内には、昔の定価表や写真が展示されています。
もりそばの筑波山盛り(877g)を注文。877gは、筑波山の標高(女体山、877メートル)にあやかったのでしょうか。通常の5人前だそうです。
今回は、石岡(茨城県石岡市)の町並みを散歩します。
石岡市国府6丁目の守横通り。
古いバーの建物が残っています。
Barクロンボ。
入口。
片倉宿※1 のメインの通りの東側。
「本槍酒屋」。*1
屋根のひさし下には漆喰で「一本槍」と大きく書かれています。*1
現在は、廃屋になっています。
P.197
旅籠の梅屋(野口)や長嶋屋(関)も残っており、長嶋屋には昔、何人…
堅倉北のバス停。
1日の本数は限られています。
この付近は、かつての片倉宿で、多くの旅籠屋がありました。*1
道がカーブするあたり。
今回は、堅倉(茨城県小美玉市)の町並みを散歩します。
JR羽鳥駅からバスに乗り、東へ行った堅倉の交差点。
交差点の角にある旅館「かと家」。
「かと家」全景。
現在の旅館「かと家」は、ここから500mほど離れた隣の交差点の角に移転しています。
米販売店の宮内徳次郎商店。
軒下にタケダの「いの一番」の看板。
同じくタケダの「プラッシー」の看板。
タケダの「プラッシー」はオレンジジュース(清涼飲料)で、当時のビタミン不足の追放に貢献しました。*1
「プラッシー」は、1958年に誕生。現在は、C1000 タケダに引き継がれています。*2