湯村温泉街の中心部にあるスナック。
現在は休業中です。
ほうとう、すいとん。
スナック「鬼姫」の看板。
湯村温泉街の中心部にあるスナック。
現在は休業中です。
ほうとう、すいとん。
スナック「鬼姫」の看板。
今回は、湯村(山梨県甲府市)の町並みを散歩します。
湯村は、古くは志麻荘という荘園内にあって、そこから湧き出した温泉だったため、湯志麻と言いました。やがて湯島となり、さらに湯村と称するようになりました(湯村温泉郷の案内看板より)。
甲府市街からバスで約10分。湯村温泉街の入口です。
開湯は、大同3年(808年)です。
湯村温泉の中心街。
甲府市の春日あべにゅう通り。「たき通り」は、左右に並ぶ2棟の建物間を覆うアーケードです。
居酒屋、バーなどの飲食店街です。
奥には、階段があって2階部分にも店舗があります。
「ありがとうございました」の看板。
奥の通路は細くなっていて、裏春日通りの別の飲食店街へつながっています。
甲府市中央1丁目の春日ビル。※1
「地下バー街」と書かれた矢印看板があります。
地下1階へ降りる階段。
薄暗いらせん階段が続いています。
地下1階のバー街。
甲府市の中央4丁目の繁華街の南のはずれに老舗の蕎麦屋の奥村本店があります。
奥村は、江戸時代寛文年間(四代将軍徳川家綱の時代)の創業。年貢に苦しむ村人のため、江戸へ直訴に行きました。死罪を覚悟していたため、自分たちが死んでも、生活してけるようにと、そば屋を開き、山奥の村から来たので、店の名前を『奥村』にしました。*1
「地酒のみくらべセット」を注文。
天ぷらそばを注文。
甲府市の桜町通りに、同じ高さの2棟の建物が並んで建っています。
バー「BLUEMOON」。
2棟のビルの間は、アーケードになっています。
2階への階段。
天神町にある玄法院。
入口を入ったところに、手水石が置かれています。
以前、手水石の近くにあった芸妓が寄進した台座※1 は無くなっていました。
水盤の裏側に「新柳町 発起人」と書かれています。新柳町には、かつて遊廓がありました。新柳町遊廓があった場所は、ここから徒歩3分ぐらいの場所です。
明治3年(1870年)甲府役所からの命令で、旧来の柳町にあった旅籠屋が移り「新柳町遊廓」ができました。*1*2
明治9年、貸座敷制度ができると、遊廓の各業者は庭園などに趣向をこらし、知識人の社交の場としても利用されるようになり、甲府遊廓の隆盛時代となりました。
その後、明治40年の大火をきっかけに穴切に移転しました。*1
手水石は、明治14年に奉納されたものです。新柳町の隆盛を感じるものと言えそうです。
P.283
甲府において遊廓としての性格がはっきりと現れてくるのは、明治3年11…
今回は、甲府(山梨県甲府市)の町並みを散歩します。
甲府駅の北側の朝日5丁目にある飲食横丁の「新天街」※1。
以前※1 と比べ、看板の数が減っています。
客引き・暴力禁止看板。
北側の半分は空き地になっています。
久米川駅北側の都道226号線沿い。
最近、見かけなくなった「氷室」の看板。
氷屋の看板は「氷屋」「氷ヤ」「氷室」などあるようですが、この商店の場合は、「氷室」です。
ブロック塀に残る「氷」の看板。
久米川駅南口の交差点の角にあるそば処「巴屋本店」。
常に賑わっている蕎麦屋さんです。
そば処「巴屋」は天保元年(1830年)に麹町で創業。その後、戦争により疎開して 久米川に移転し、久米川では70年以上営業している老舗です。*1
「天ざる」とビールを注文。