横芝光町教育委員会横芝光町文化遺産ガイド. 1横芝光町教育委員会2017.03.31 リンク
上町T字路周辺の町家

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上町のT字路周辺には商家建築の豪壮な町家が、今も10数軒ほど残っている。中には今も商いを生業としている町家もある。ここは松尾八田の金比羅様に近く、その門前町であった名残と言われる。今でこそ正月10日と10月10日しか賑わわないが、昔は毎月10日が参り日(縁日)で、 毎月その日は近郷近在からの参詣客で賑わったという。また、ここは銚子往還と多古道との分岐点で、人の往来も多かったのだろう。そうした金比羅様の参詣客や旅人を当て込んで、周りには多くの商家が立ち並び、横芝の町はここから発展していったのだとも言われる。今はわずかに洋服の仕立て屋さんや呉服屋さんなどが往時を偲ばせてくれる。

於幾粟嶋宮

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於幾の集落を抜ける道を南へ行くと、 右側に入ったところに鳥居が立つ粟嶋宮がある。この粟嶋宮は元最勝院と言うお寺の境内に勧請したものであったが、明治の廃仏致釈によってお寺が廃され、 粟嶋宮のみが占地されたらしい。また 別の話では最勝院は、別の所にあったとも言われる。この粟嶋宮の覆屋は他の神社のとは異なり、切妻屋根で梁が正面を向き、正面の府屋根がなく 、梁幅に対して棟がずいぶん高い。この覆屋の中に流し造りの本殿があり、その中に粟嶋大明神の神像が納められている。しかし、 面白いのは本殿の前に、 護摩壇が置かれていることである。護摩壇は密教で使われるもので、 おそらく最勝院が真言宗智山派であることから、 その名残であろう。また、覆屋の中には大きな奉納額(絵馬)が数点あリ、その中で遊女一行参詣図奉納額は、 この粟嶋宮への信仰とご利益を願った面白い一品である。粟嶋大明神は子育て、 婦人病、裁縫上達にご利益があると言われ、かつては周辺地域の女性が大勢参詣に訪れ、縁日には大変賑わったと言う。今ではほとんど参詣する人もなく、静まり返った境内だけがきれいに整備されている。この粟嶋宮の境内左側には庚申塔が、その前に木で隠れるように姫塚の石碑、社の後ろには墓塔らしい石仏と中世の板碑が立っている。庚申塔は高さ 121Cmの青面金剛の容像を彫った立派なもので、 姫塚碑は最近建てたものである。板碑は 2基とも黒雲母片岩製の下総型で、キリーク (阿弥陀如来)とパン(釈迦如来)の種子板碑である。前の五輪塔と合的、この於幾は古い痕跡を多く残している。

路傍の消火栓

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上町や多古へ行く県道沿いに、砲弾形の赤い消火栓が見られる。これは地上式消火栓で、最近では地下式が多くなったため、ほとんど見られなくなったが、この辺ではまだ何基も見る事ができる。古い町並みには、よく似合う路傍の置物の一つである。