南相馬市教育委員会博物館市史編さん係原町市史.第11巻(特別編4)旧町村史南相馬市2008
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明治元年(1686)の戊辰戦争で、領内に新政府軍が多数入ってきたことにより「遊女」が求められ、小高・浪江・鹿島へ置くように命令された。そこで、伊達や富岡方面から遊女をつれてきて各地区に10人づつぐらいずつ置いたらしいが、中村城下には置かなかったという。
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明治10年からは、県内の各地に免許区域指定貸座敷を設置することになり、小高・原町・中村も区域指定を受けた。
明治35年、原町の街路が整備されると、初音(はつね)町という町名が登場する。花柳街という雰囲気の名称の登場である。
大正7年の「相馬原町案内」では、料理店4軒(岩城屋、山形屋、都川、越後屋)、芸妓屋10軒(松亀楼、栄華楼、磐城屋、新福本、丸川、新柳家、小柳家、若柳家、玉柳家、春の家)が紹介されている。
前述のように、明治の半ばころから、酌女(のちの酌婦)が現れ、その後、芸妓や娼妓が集まってきては花柳街をつくりあげていった。