今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
般若通りへの入口のあたりにあるお食事処の「鳥伊勢」。

一番人気は「バクダン梅割り」。

「バクダン梅割り」は、宝焼酎25度のストレートに、梅のエキスを加えたもの。まさにバクダンです。

煮魚定食を注文。

今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
般若通りへの入口のあたりにあるお食事処の「鳥伊勢」。
一番人気は「バクダン梅割り」。
「バクダン梅割り」は、宝焼酎25度のストレートに、梅のエキスを加えたもの。まさにバクダンです。
煮魚定食を注文。
鴨宮駅北口商店街。
御食事処「丸登(まると)食堂」。
ホッピーが飲めます。
丸登チャーハンを注文。チャーハンに八宝菜のような餡が掛かっています。
鴨宮駅は、JR小田原駅の一つ隣の駅です。
駅前に新幹線発祥の地の碑が建っています。
碑の上部には、初代新幹線(0系)の先頭車両。
新幹線の発祥地(鴨宮) [ ヒカリノフルサトカモノミヤ ]という歌もあります。
小田原市街にある「だるま料理店」は、明治26(1893)年創業の日本料理店です。網元であった、金沢出身の達磨(たつま)仁三郎が創業し、だるま大師の縁起にちなみ、屋号をだるま料理店と登録しました。*1
銭湯などで見る「折り上げ格天井」。
天丼とビールを注文。
天丼は、創業から続く名物です。*1
建物は大正12(1923)年の関東大震災により、創業時の主屋は倒壊しましたが、その後再建されました。*1
浜町2丁目の浜町公民館の裏にある天王稲荷神社。花柳界から信仰がありました。*1
一番手前の大きな玉垣。上部が欠けていますが、「〇音新地」と読み取れます。
松の字の上部が切れていますが、「松本楼」と読み取れます。
松本楼は、小田原案内図(大正2年)に記載があります。*2
芸者さんの名のある玉垣。*1
初音新地は、泉鏡太郎(泉鏡花)の短編小説*3 にも登場します。
この神社は北向きに立っており、地元の人も不思議がっていたが、理由は不明。花…
初音新地。
東から、いろは楼、叶楼、菊本楼、松本楼、東海楼、宝来楼、金昌…
三十日参考記事
この記事を参照している記事
小田原城址にある屏風岩こども遊園地。子供向けの乗り物のレールが敷設されています。
江戸時代の絵図に、小田原城の本丸の裏側に「屏風岩」の記載*1 があることから「屏風岩こども遊園地」と名付けられました(案内板より)。
昭和30年頃のこども遊園地(案内板より)。
石垣の上に乗り物が走っています。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原駅から小田原城址方面へ向かう道の途中にあるJRの小田原保線区。
入口に小便小僧が立っています。
小便小僧の隣には、魚をくわえた鶴。
元気よく水が出ています。
くの字型の路地※1 の近く。
ここにも、疑似三階建ての建物が建っています。
この建物の隣(写真右隣り)には、以前は商家「千笑」※2 がありました。「千笑」の建物が無くなってしまったので、こちらの建物は狭小に見えます。
トタン建築。
中央町のくの字型の路地。
飲食店や料理屋が道の両側に建ち並んでいます。
Barの建物。
こちらから見ると三階建てに見えます。
糸川の南側の中央町のスナック。
建物の角の紋章。
かつての歓楽街の名残を感じる建物です。
「つたや」という屋号を確認できます。
旅館「竜宮閣」脇の階段路地。
急な階段。
下から見ると5階以上ある高層の建物であることが解ります。
「きくや」と読めます。
熱海は坂の多い町です。
ホテルのグランビュー熱海へ下る階段。
坂を下りきったところが三差路になっていて、グランビュー熱海の看板があります。
下から階段を見上げてみます。
湾曲したビル※1 が続く商店街に、美容室の建物が両隣のビルにくっついて建っています。
パーマ。キクチ美容室。
歴史を感じる入口のドア。
ネオン管の看板。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海駅前から南西方向に商店街の坂を下っていきます。
道路のカーブの形状に合わせてレトロなビルが建っています。
昭和39年、東京オリンピック開催のとき、狭かったメインストリーを拡幅するために共同でビルを建てたため、このように湾曲したビルがくっついて建っています。*1
昔ながらのお土産屋さんも健在です。
昭和39年東京オリンピックが開催するにあたって、当時狭かったメインストリーを…
馬橋駅前。
美容室前に、和服を着たマネキン。
マネキンは日章旗を背負っています。
傍らに日本人形。
馬橋駅前にある山長餅菓子店。
昭和39年創業の大福や団子などの昔ながらの和菓子をはじめ、いなりずし、のり巻き、などが自慢のお店です。*1
店内で食べることもできます。
「あんだんご」と「栗まん」を注文。お茶のサービスがあります。
新松戸駅からけやき通りを西へ向かった新松戸中央公園の近く。
「そば処けやき庵」は、昭和53年創業の日本そば店です。*1
重厚な座卓でビールを頂きます。
天ぷら蕎麦を注文。。
今回は、新松戸(千葉県松戸市)の町並みを散歩します。
常磐線の新松戸駅のホームから東側を見ると、「HOTELエクセリーヌ」の看板が見えます。
休憩2600円は破格です。
現在は休業中のようです。
屋上看板。
大井川鉄道の新金谷駅。
近鉄で走っていた特急列車(16000系)が大井川鉄道で活躍中です。この車両は、1966(昭和41)年竣工。2002(平成14)年譲渡され、2004(平成16)年大井川鐵道にて営業運転が開始されました。*1
普通列車なので、特急料金はかかりません。
大代川を渡ると、もうすぐ金谷駅です。
昭和40年代生まれ。大鉄普通電車の代表。
金谷の台地には、大井海軍航空隊があり、金谷町の大井川堤防西側に4軒の遊廓が造られました。*1
大井川堤防西側の金谷東1丁目。
製材所の敷地。
遊廓(軍慰安所)があった場所。*1
金谷遊廓=軍慰安所について
今回は、金谷(静岡県島田市)の町並みを散歩します。
金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあった宿場町です。
文政4年の旅枕五十三次に、「此宿飯盛、島田に同じ、川留の心得もまたおなじ」とある*1 ように、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、賑わいをみせ、飯盛女を置く飯盛旅籠屋もありました。
大井川近くに、「金谷宿川越し場跡」と案内板が建っています。
川越人足は、50人ずつ一番から十番まで組み分けされ、詰めていました。
輦台を担ぐ人足。肩車での川越しもありました。
かつての宿の位置を示す看板が掲げられています。
金谷も「此宿飯盛、島田に同じ、川留の心得もまたおなじ」にある通り。
アタミ・ロープウェイで山頂まで上ると、熱海秘宝館が出迎えてくれます。
熱海秘宝館の何が感動的かと言えば、ボタンを押せばちゃんと展示品が動き出すところで、他の秘宝館とは一線を画し、アミューズメント性が高いことです。*1
入口にある「妖妃マーメイド」は、かつては実際に動き、歌っていました。この歌の前には、マーメイドが「ようこそ秘宝館へ。あなたのいらっしゃるのをずっとお待ちしておりましたわ。」とささやいてくれました。*2
亀の置物。
エロティックな壁画とともに、芸能人のサイン入り色紙が掲示されています。
P.46
熱海秘宝館の何が感動的かと言えば、ボタンを押せばちゃんと展示品が動…
P.138
熱海秘宝館のテーマソングを歌う「妖妃マーメイド」が入館者を出迎え…
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海港近くにアタミロープウェイの山麓駅があります。
駅のあちこちに、「熱海秘宝館」の名が書かれています。
レトロなゴンドラに乗って山頂を目指します。
約3分で到着です。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海海岸に建つ「貫一お宮の像」。
貫一とお宮の別れの場面が描かれています。
金色夜叉の碑。
尾崎紅葉は、森鴎外と並んで明治を代表する文豪です。金色夜叉が熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れ渡りました(碑文より)。
伊豆長岡駅から東へ約1.5km。世界遺産で国指定史跡の「韮山反射炉」があります。
反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉。韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。*1
鋳台(鋳型)を置く場所。
24ポンドカノン砲。迫力があります。
伊豆長岡の温泉街の北側にある㐂むら。
餃子専門店です。
メニューは餃子(大、中、小)のみ。
ビールと餃子(大)を注文。餃子は、おまんじゅうのような独特の形をしています。
温泉場出逢い通りの北側。
パチンコ後楽園※1 が看板が残る通りを南側へ進むと、円柱型のビルが建っています。
スナックやバーが入居しているビルです。
入口。
健康マッサージと書かれた看板。エステの文字が消されています。
県道伊豆長岡三津線の道路沿い。
スナックが点在しています。
看板建築のスナック。
奥まった場所にあるスナックらしき建物。
温泉場出逢い通りから、県道伊豆長岡三津線を西へ進むと、南へ入る路地があります。
中華「白扇」と書かれた味のある看板。
たからや遊技場。「ボットル」「シャテキ」。
美容院。
今回は、伊豆長岡(静岡県伊豆の国市)の町並みを散歩します。
古奈の西琳寺の前に建つあやめ湯。
看板に「共同湯」と書かれている通り、地元の人々が日常的に利用する公衆浴場です。
絶世の美女「あやめ御前」にちなんで、あやめ小路、あやめ湯と名付けられているのだと思います。
源泉かけ流しの温泉を楽しめます。
浴場の裏側。
今回は、伊豆長岡(静岡県伊豆の国市)の町並みを散歩します。
温泉街から源氏山公園へ向かう登り道の途中に、広場があります。
「菖蒲御前」の像。広場奥の壁面がくり抜かれた場所に安置されています。
あやめ御前の案内板。かなり摩耗しています。
絶世の美女として誉れの高かったあやめ御前は、伊豆長岡の古奈の里におよそ800年前に生まれました。
滑河駅の北口にある椎名食堂。
名物は、利根川天然うなぎの「うな重」「うな丼」です。
最近、うな重は値上げされたようですが、それでも2,500円。ラーメンは350円です。
うな重とビールを注文。
今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
出世開運稲荷大明神へ向かう参道。
玉垣。
角海老の名があります。
台東区吉原京町と読めます。
富士山駅から西へ200mほどのところにある吉田うどんのふじや。
暖簾には、富士山牛玉印*1 が描かれています。
たくさんの芸能人などが訪れる名店です。
ビールと天ぷらうどんを注文。無料レンコンきんぴらは終わり次第終了です。
富士みち(本町通り)の途中。
金太郎製菓。
軒下に「菓子金太郎」の文字が見えます。
店舗の前面部分に、多数のホーロー看板が掲げられています。
富士吉田の上吉田地区は、富士山信仰の宿坊として発展し、今の御師の家が多く残っています(案内板:「上吉田御師宿坊の町並み」より)。
宿坊の入口には、このような石の門柱が建っています。
御師。
御師の家の中門。風格があります。
小室浅間神社(写真右奥の鳥居)の近く。
古い商店が建ち並びます。
レトロ電柱。
レトロ電柱は、数本並んでいます。
愛人の路地※1 を抜けて、さらに進むと目の前にコンクリートの建物が立ちはだかります。
モダンなデザイン。「フォーエバー」という名の店だったようです。
人魚の絵にSAUNAと書かれています。:
東側から。
新世界乾杯通りのゲート※1 から入り金寿司の脇を通り抜けると、「愛人」の看板。
その向こう側には迷路のような幅の狭い路地がクランク状になって続いています。
エアポート。Barセクシー。
クランク状の路地を反対方向から。
西裏通りを下っていくと、東側に「新世界乾杯通り」の入口の看板があります。
以前の「新世界通り」の看板※1 は、リニューアルされました。
入口看板を入ったすぐのところに建つ3階建ての木造建築。
伝統的な和風建築です。
金寿司。
今回は富士吉田(山梨県富士吉田市)の町並みを散歩します。
本町2丁目商店街からは富士山がよく見えます。
道路上に飛び出して撮影する人が後を絶ちません。
注意看板がたてられています。
本町2丁目交差点の北東側の角は、最も人気の高い撮影スポットになっているようです。ほとんどが外国人です。
本町7丁目の商店街にカラフルな看板建築の商店が連続する一画があります。
バイク関連の店。
店の入口に立つ警察官人形(上半身のみ)。
わずかに、唇の赤色が残っています。
島田市の本町7丁目の商店街。
黄色の事務機と白の美容室。
後ろから見ると、1階建ての看板建築であることが解ります。
駐車場の看板。
蓬莱橋から、北へ向かう通り。
雪印牛乳の牛乳箱。
「牛乳ビンも大切な資源です。お忘れなく受箱へ」
資源のことをコメントしている牛乳箱は珍しいです。
上蓋もきちんとしています。
蓬莱橋は全国有数の茶園である牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。大井川にかかる蓬莱橋は全長897.4mの木造歩道橋で、「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されています。*1
渡橋料は100円です。
橋の中ほど。島田大橋が見えます。
島田大橋から見た蓬莱橋。
今回は、島田(静岡県島田市)の町並みを散歩します。
島田市民病院(写真左奥)の道路を挟んだ向かい側(写真右)に「髪の塚」の碑があります。
「髪の塚」の碑。案内板によると、島田髷に由来するもののようです。
島田髷は、江戸時代寛文年間に東海道島田宿の遊女たちの始めた髪型で、しめつけ島田、やつし島田、投(なげ)島田、小万、腰折、小枝(さえだ)、きりずみ、結び、とりあげ、文金、つぶし、かけおろし、いたこ、吉原など、島田の名を付した髷が、江戸時代全期を通じ行われました。*1
島田髷は、現在ではおもに婚礼の髪型としてその伝統的美しさを継承しています。また、島田市では、島田髷を最初に考案した虎御前への感謝祭髷供養をかねた「島田髷祭」が毎月9月の第三日曜日に開催されます。(案内板より)。
「髪の塚」の碑にあるお地蔵さん。
成田から成田線にのって2駅目の滑河駅前にある大橋屋食堂。
「御休」と書かれた看板。歴史を感じます。
店内は、座敷とテーブルの両方。広くてゆったりとできます。
天丼を注文。
今回は成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
成田山新勝寺境内にある釈迦堂は、1858建立の国指定重要文化財です。*1
狛犬。
台座には「新吉原」の名が刻まれています。
吉原講。
三島駅の南側。三島市民文化会館の裏あたり。
建物と建物の間にゲートと屋根が設けられています。
飲食店が連なります。
南側のゲート。
三島市街の歓楽街の入口近くに「白雪プラザ」のゲートが建っています。
ゲートの上には、富士山をイメージしたと思われるオブジェがのっています。
白雪プラザの看板。
看板の裏側。
三島市街を流れる桜側沿いに、三島ゆかりの文学者たちの文学碑が並んでいます。
十返舎一九「東海道中膝栗毛」の文学碑。
三島の宿に着いたところで、客引きをする宿場女との会話が描かれています。
三島の宿へつくと、両側よりよびたつる女の声々……
女「お泊りなさいませ、お泊りなさいませ」
弥次「エエ、ひっぱるな、ここを放したら泊まるべい」
女「すんなら、サア、お泊り」
弥次「あかんべい」
正岡子規の旅行記「旅の旅の旅」より。
三島の町に入れば小川に菜を洗う女のさまもややなまめきて見ゆ。
東海道中膝栗毛
三島広小路駅近くにある中華料理の幸華。
店内には、ブルース・リーの写真とヌンチャクを持った武道家のイラスト。
チャーシューメンとビールを注文。
裏口。
三島駅在来線ホームから新幹線ホームへ向かう通路にエスカレータが設置されています。
エスカレータは、途中で平坦(動く歩道)になり、その先で再びエスカレータになっています。
動く歩道とエスカレータが一体化した日本初のエスカレータで、「ゆうロード・三島」と名付けられました。
上から見た「ゆうロード・三島」。
今回は、三島(静岡県三島市)の町並みを散歩します。
三島駅の東海道線上りホームに立ち食いそばの「桃中軒」の店舗があります。
同じ桃中軒の沼津そば店とは異なり小型券売機はなく、店員さんに直接注文します。
三島そば店の特別メニューとして、三島コロッケ(三島市のご当地グルメ。箱根西麓でとれたメークインを使用*1)をのせた「コロッケそば」が食べれます。
コロッケは、店内で揚げるので、アツアツ・ホクホクです。
「温泉駅」バス停の裏側に古い木造の建物があります。
かつてのストリップ劇場の建物。
2階建ての木造建築。
「霧島劇場」の文字が残っています。
温泉場出逢い通りの南側。
「めん亭」のビル。
「お食事処麺めん亭」の看板。隣には」スナック「ブス」の看板。
皿うどんとビールを注文。
伊豆長岡温泉の中心街「温泉場出逢い通り」。
温泉街らしいレトロな建物が建ち並んでいます。
あけぼの遊技場。
温泉街につきものの射的場でしょうか。昔ながらの雰囲気を残しています。
南山荘は、明治40年頃に開業した旅館です。現在は休業している模様です。
この旅館を南山荘と名付けたのは北原白秋で、さらに、川端康成も大正の終わりから昭和にかけてたびたび滞在しました。著作「伊豆温泉旅行記」に宿の名前が登場します。*1
南山荘は。豪奢な迷路旅館で、渡り廊下を繋いでいけば一周できる構造になっています。*1
宇平橋は赤い欄干を太鼓橋のように沿わせた渡り廊下で、橋の名は、明治40年頃に南山荘を開業した創業者の名からとったそうです。*1
伊豆長岡温泉街の「温泉場出逢い通り」の北側。
「パチンコ甲子園」の看板があります。すでに店舗は無いようです。
看板の裏側。
裏側にはネオン管などの配線がされています。
伊豆長岡温泉の温泉街東側にある源氏山。
ハイキングコースになっています。
頂上の源氏山公園からは、温泉街を見渡せます。
葛城山(かつらぎやま)方面。
今回は、伊豆長岡(静岡県伊豆の国市)の町並みを散歩します。
伊豆長岡温泉の古奈地区。あやめ小路沿いに建つモダンな建物。
バーのような佇まい。
メニュー。
奇抜なデザインです。
清澄庭園の東にある「とんかつ常陸」。
落ち着いた佇まいです。
とんかつ中心のメニュー。
かつ重とビールを注文。
三好1丁目の成等院の隣に紀伊国屋文左衛門の墓と碑が建っています。
紀伊国屋文左衛門は、江戸時代の豪商で、大老柳沢吉保や勘定奉行荻原重秀と結び、巨額の富を得たと伝えられています。正徳(1711~16)の頃には家運が衰え、深川八幡一の鳥居付近に住み、そこで死去しました。*1
正面の碑の左奥にあるのが墓です。
現在の墓石は再建されたものです。「紀州みかん」の話や「紀文大尽」と呼ばれ豪遊した逸話が多数あります。*1
碑文には、「人のため蓄財に執着せず、永代橋の架設、清澄庭園の創始、深川八幡宮の神輿の奉納など幾多の貢献をなした。」とあります。
現在、墓域に立ち入ることはできません。
永代1丁目の交差点。
紀文稲荷の鳥居が並んでいます。
紀伊国屋文左衛門の屋敷は、現在のみずほ銀行深川支店のあたりにありました。付近一帯は運河が縦横に走り、ここに文左衛門の船蔵があり、航海の安全と商売の繁盛を祈ってこの地にお稲荷様が祀られていました(案内板より)。
元の境内は現在地より30m北西にありましたが、大和永代ビルディング(写真後ろ)建設に伴い現在の地に移転しました(案内板より)。
清住庭園東側共同ビルは、南側に一棟※1、北側にもう一棟があります。
南側※1 同様、1~2階部分のファザードが共通化されています。
音楽教室。
建物が向き合う部分。左側は外壁が再塗装されていますが、ファザードは共通です。
三好1丁目のマンションにある銭湯の辰巳湯。
新春から営業中です。
マンションの後方に銭湯が隣接されている構造です。
露天風呂、サウナ。
今回は、門前仲町(東京都江東区)の町並みを散歩します。
深川不動堂 (成田山東京別院)の東に隣接する深川公園に建つ石造燈明台。
日清戦争(1894~95)の勝利を記念して建立されました。*1
外壁には奉納者・奉納団体が刻まれた石版が359点貼られています。歌舞伎役者、芸能界、土木事業組合や東京石工組合、東京株式取引所などの実業界。また魚河岸、船頭、吉原・洲崎の遊廓や割烹料理屋などが見られ、深川不動堂が幅広い人々によって信仰されていたことがうかがえます。*1
東側。吉原京二「河内楼」、吉原京貳「枩尾張楼」などの名が見えます。
南側の下部。市川團十郎、尾上菊五郎など歌舞伎役者の名が見えます。
日清戦争(1894~95)の勝利を記念して建立された。明治28年12月に起工。同31年…
国道356号線(利根水郷ライン)沿いにある看板建築の呉服店。
隣には蔵があります。
2階部分には、紋章風の装飾。
斜めからみたファサード部分。
今回は、安食(あじき、千葉県印旛郡栄町)の町並みを散歩します。
大鷲神社にある魂生大明神。
五穀豊穣、縁結び、子授け、安産、夫婦和合の神で、延喜年間(西暦900年)今から千年位前、庶民の素朴な性神信仰が各地におこり、男根神、女陰神に心をこめて祈願しました(案内板より)。
大小さまざまな男根が安置されています。
中央の男根は、高さ2.5m、周囲2.3mの石製で、日本一の大きさです(案内板より)。
「小さな男根」を人知れず借りて大願成就の暁には同じ男根を作り、合わせて二体の男根を感謝の意をこめて奉納したということです(案内板より)。
沼津駅からバスに乗って黒瀬町で下車。100mほど東へ歩くと香貫山登山口です。
香貫山の頂上に展望はありません。
頂上近くの展望台からは、沼津市街を見渡せます。写真右奥は、愛鷹山。
南側には、沼津アルプスが連なっています。
天ぷら専門店の魚ぶん。
創業は明治37年です。
ごそ(ハシキンメ)、でんでん(オオメハタ)、など、地魚が充実しています。
地魚の天丼を注文。本日は、ごそ、でんでん、アカメゴチ、などです。
沼津駅の南側の大手町2丁目。
奇跡的に残っている横丁があります。
L字型になった路地の両脇。
スナックなど、飲み屋が並んでいます。
高島町の味好小路※1 の反対側にある中央小路。
奥行のある建物です。
裏側に入口。
裏側の通路で味好小路の裏口などに続いています。
高島町の大通り沿いに建つ味好小路。
1階の飲食街の入口。
現在は休業中です。
建物の裏側。
沼津駅北口の高島町は、飲食店が集中しているエリアです。
法善寺横丁。大阪の飲み屋横丁と同名です。
建物と建物の間が飲み屋横丁になっています。
東側のアーケード風の通路。
沼津駅南側の繁華街の十五番街。
かつて、この付近にあった十五番街のゲート※1 は、現在は撤去されています。
祇園小路は現在も健在です。
レトロな雰囲気が漂う小路。
小路の向こう側はJR沼津駅(写真奥)です。
今回は沼津(静岡県沼津市)の町並みを散歩します。
JR沼津駅の在来線ホームにある駅そばの「桃中軒」。
創業明治24年の老舗です。
自動販売機が設置してあって、ここで食券を買います。
「山菜そば」に「たまご」と「きつね」をトッピング。
陽運寺(於岩稲荷)のすぐ近くに於岩稲荷田宮神社があります。
「お岩」は江戸時代の初期、江戸の四谷左門町で健気(けなげな)一生を送った女性のことで、家計を支えるため商家に奉公に出、田宮家の庭にある屋敷神を信仰したおかげで蓄えも増え、田宮家を支えました。この話はたちまち評判になり人々は屋敷神を「お岩稲荷」と呼んで信仰しました。*1
つまり実在の「お岩」は貞女の鑑だったわけです。
お岩が亡くなってから200年後の江戸後期。「お岩」を使って歌舞伎にすれば大当たり間違いないと見当をつけた鶴屋南北は、虚実取り混ぜて創作し、お岩の怨霊(おんりょう)劇「東海道四谷怪談」が出来上がりました。*1
9代目田宮房。
渋谷三業料亭組合、歌舞伎座、明治座などの名が刻まれています。
荒木町にある陽運寺。「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしていることから「於岩稲荷(おいわいなり)」とも呼ばれています。堂内にはお岩様の立像が奉祀され、再建記念碑が建っています。*1
江戸時代、文政八年七月、歌舞伎作者 四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。*1
境内にはお岩様由縁の井戸があります。*1
陽運寺は、「えんすび」の寺としても知られています。
荒木町の車力門通り。居酒屋やスナックが建ち並びます。
1階部分はコンクリートブロックで装飾されています。
上部は穴あきブロックが配置されています。
「三つ山」の穴あきブロック。最もポピュラーなデザインです。
荒木町の千葉坂は、伍番館坂※1 と並ぶ美しい石畳の坂です。
伍番館坂と同様、坂道の途中にレトロ電柱が建っています。
石畳には、レトロ電柱が似合います。
電柱の蓋の部分には、「山洋コンクリート」の名が刻まれています。
荒木町のすり鉢地形の北側に位置する「登れずの階段」。このあたりには、元料亭の春本坂がありました。*1
急な階段が続きます。
美しい石段と石垣。
坂を登り切ったあたり。
今回は、荒木町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
かつての四谷三業地の中心部に建つ金丸稲荷神社。
四谷三業組合寄進の玉垣。
芸妓屋の名前もあります。
金丸稲荷神社は、昭和20年の東京大空襲の際に被災しましたが、昭和27年11月に再建されましたが、その後敷地整理のため、昭和50年4月、町内の有志及び四谷三業組合の寄進により、現在の場所に再興されました(碑文より)。
相模湖公園※1 にある清水亭。
わかさぎなど、川魚料理が名物です。
この日は天気がよく温かい1日でした。
あゆ塩焼定食を注文。
相模湖の南側にある石老山。石老山の登山道までは、バスで行くことができます。
樹林の中の登り。
石老山頂上。展望はありません。
帰り道。大明神展望台から。相模湖と陣馬山※1 方面を見渡すことができます。
今回は、相模湖(神奈川県相模原市緑区)の町並みを散歩します。石老山の近くにある正覚寺。
案内板によると、「男女性器神像もある。」と書かれています。
道祖神。
形状から推測すると女性器像でしょうか。
倒れていまっていますが、こちらが男性器像でしょうか。
青梅市街の北側に位置する青梅丘陵は、身近なハイキングコースです。
青梅丘陵からは、青梅の市街を見渡すことができます。
梅岩寺方面への下山路が分岐するあたり。
整備された道が続きます。
青梅駅の西側の仲町にある英稲荷神社。境内には古い玉垣が残されています。
「本町 梅月」と刻まれた玉垣。青梅の三業は、本町の中通りにありました。
主な料亭には、若狭屋、坂上、梅月(ばいげつ)、青梅館(以上旅館兼業)、辻亀、魚久(うおぎゅう)、森田屋、壽々喜家(すずきや)、和田市(わだいち)等がありました。*1
「本町 魚久家」と読めそうです。
石に刻まれた青梅の歴史です。
旧青梅街道の商店街の間坂屋紙店で、昭和レトロ商品博物館※1 の特別展が開催されています。
昭和40年代の商店街の展示。
ジオラマ再現された昭和40年頃の青梅駅前付近。
長崎屋※2 は、断トツの高さのビルだったようです。
津雲邸の建物は昭和初期から戦後にかけて衆議院議員だった津雲國利が昭和6年から昭和9年にかけ建造した邸宅です。純和風建築でありながら近代的な要素を持ち、また欄間や天井などに装飾を持つ贅を尽くした建築物です。2020年、登録有形文化財となりました。*1
1階の広間。天井は屋久杉です。
木賊の天井。
豪華な2階の大広間。
前回(2016年)も訪れた昭和レトロ商品博物館※1。
1階には、映画看板師、久保板観の作品など、昭和のB級文化の宝物が、大量に展示されています。
レトロ電柱も展示されています。
山口百恵の等身大パネルとフジカラーCMの垂れ幕。
雪印のアイスクリームボックス。
旧青梅街道沿いにある昭和幻燈館。
入口を入ると、昭和のアイドルのブロマイドがぎっしり。
猫が主役の展示です。
昭和の夜の街のジオラマ。
今回は、青梅(東京都青梅市)の町並みを散歩します。
青梅駅前の仲通り商店街にあるスナック。
歌声スナックです。
懐かしの昭和の店。歌声は元気の元。
入口脇に「戦前戦後の昭和の映像」。
八ッ沢発電所の頂上の東隣にある蚕種石社。
蚕種石社は、発電所の山頂に鎮座します。毎年4月14日。参道に百八灯の野火を燃やす祭事が行われます。
頂上の祠。
発電所の貯水槽(重要文化財)※1*1 を見下ろすことができます。
上野原駅から、帝京科学大学へ向かう道の途中。山の斜面に八ツ沢発電所の巨大な鉄管が見えます。
八ツ沢発電所施設は、東京電力の前身の東京電燈株式会社が建設したもので、明治43年に着工。大正3年の大野調整池の完成をもって全体が竣工しました。*1
頂上部分にある貯水槽は、重要文化財に指定されています。
鉄管の脇には、登山道があって、間近で見ることができます。
巨大な鉄管。
八ツ沢発電所施設は、桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。…
上野原駅近くの住宅街。
サンヨーの電器店。
「サンヨー薔薇チェーン」は、三洋電機の製品を取り扱っていた地域電器店チェーンです。当時は、日立、ナショナルなど、電器メーカー系の地域チェーン店がありました。※1※2
全自動洗濯機、冷凍冷蔵庫。
上野原の甲州街道沿いにある十五夜本店。老舗寿司店です。
寿司、うなぎなど。
歴史を感じる店内。
かつ丼とビールを注文。
上野原の国道20号線を西へ進むと、旧甲州街道と県道33号(上野原あきる野)線に分岐する三差路があります。
旧甲州街道を進むとさらにY字路になっていて、そこに商店の建物が建っています。
3階建てのトタン建築です。
「日糧パン」と「雪印牛乳」の看板。パンと牛乳を扱う商店だったようです。
南側から。
甲州街道沿いに、「三井屋」屋号の残る建物が建っています。
玄関部分に牛乳箱。
保存状態の良い明治牛乳の牛乳箱です。
明治チーズ。
甲州街道旧上野原宿の東側に映画館「大正館」の建物が残されています。昭和63年まで現役であったが、現在は倉庫となっています。*1
木造2階建、下見板張り(横に長い板材を階段状に重ねる工法)の建築ですが、ファサードはモルタル塗りです。*1
大正館は、大正元年(1912)に建設されました。当初は、映画のほか、講談、浪花節、落語、義太夫、びわ歌などの演芸も行われました。まだトーキーのない時代のため、スクリーンの横手で弁士が映画説明をし、楽団によって映画音楽が演奏されました。*2
映画館の入口。