今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1

翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1

このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1

現在も残る「のとや」の文字。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1
翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1
このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1
現在も残る「のとや」の文字。
「池袋(のとや会館)ヤミ市の最後の賑わいの頃に開業。」への8件の返信
お饅頭屋さんが
ありましたよね!
確か当時、ふくふく饅頭があり、ふかした状態で販売していたので、冬はおいしかった。令和4年になってもまだ壊さないで、あるんですね。昭和を感じますね。
カヨコさん、ヒロシさん
「食堂会館」という名前だけに、おいしいお店がたくさんあったのでしょうか。
当時の情報、ありがとうございます。
1965~7年ごろ「のとや」で食事を時々しておりました。主に日曜の夜に家族で利用していました。ただし幼稚園の頃なので、記憶はあいまいです。鍋物や和食を、お座敷の席で食べたと記憶しています。父の瓶ビールには、揚げて塩をまぶしたグリンピースが小皿に載ったものがついてきて、それを食べるのが好きでした。和食が中心で、お刺身、天ぷらなども食べたと思います。2階か3階にお店があり、1階には客席がなかったか、落ち着いた席がなかったのか、はたまた別なお店があったのかは定かではありませんが、窓から池袋駅前を見下ろせたことは、うすぼんやり覚えています。
メイメーイさん、
「のとや」の思い出、ありがとうございます。
メイメーイさんが、「のとや」を知る最後の世代になるのかもしれません。
貴重です。
懐かしい情報ありがとうございました。幼少の1960年代に東上線でときわ台から、のとやへ行くのが楽しみでした。何を食べたかは記憶がありませんが、今も池袋へ行くたびにのとやビルを見ては、50年以上前の想い出がよみがえり感傷に浸ります。あんな角の一等地に残っているのは事情があるのでしょうが、西口の象徴として残っていて欲しいです。
Sawatさん
ビル名が”ノトヤビル”なのですね。
頑張って残っていて欲しいです。
のとやのおまんじゅう 涙が出るほど懐かしい。有難うございます。
昭和37年3月8日 父が 板橋日大病院で亡くなって小学5年の末っ子の私は 母と通っていました。母は44才
今になって町の場面と その時感じた様々な事 思い返しています。
いつも買ってはいないと思いますが、あの蒸した湯気が さみしい気持ちを慰めてくれるようでした。7日の夜は冷たい雪で、病院の沈丁花の香りが思い出されます。