グリルエフ: グリルエフ ホームページ (グリルエフ,) リンク

昭和25年、先代が五反田のこの地にフランス料理店として創業。 以来半世紀以上続く、老舗洋食レストラン。 漆黒の […]

現在の西五反田2丁目 ・待合の、旅館の屋号 現在の東五反田1丁目15の一画。 ・「おかるのみや」、喫茶「ウルワ […]

P.11 五反田花柳界も三業組合と呼んでいた当時までは、何かと盛んな頃もあったが、戦後次第に衰退の一途を辿った […]

渡辺憲司: 国文学 : 解釈と鑑賞 70(8) (至文堂,2005.8)江戸遊里残滓行--泪橋から泪橋へ

P.202 駅西口のすぐ近くには、千住の投げ込み寺と呼ばれる金蔵寺がある。本尊は閻魔大王。境内左手に地蔵を挟ん […]

佐々木勝: 日光街道千住宿民俗誌 (名著出版,1985) 宿場町の近代生活

P.210 見番横丁 見番は、佃屋という屋号で、石坂家が昭和18年まで代々やっていた。玄関には「千住芸妓組合千 […]

五十嵐典彦: 足立史談 第50号 (足立区教育委員会,1972)「千住柳町」調査報告書(二)

千住遊廓の建物配置図 ・大正8年新開地当時 ・大正12年震災直後

目黒不動尊周辺に、見番と料亭らしき屋号「大国家」「角伊勢」「目黒園」「ちとせ」「松田家」「一力」の記載

日本住宅地図出版: 品川区 1978 (ゼンリンの住宅地図) (日本住宅地図出版,1978)

P.34 料亭「桃山」「花川」「鳴門」「小港」「川よし」「寿づき」「幸むら」「正雲閣」「音羽」の記載。

朝日新聞社会部: *神田川 (未来社,)

神田川は中野区の南はずれを横切っている。優雅な名前の橋がいくつも架かる、花見橋、その上流は、桜橋、そのまた上流 […]

交通新聞社: 赤羽・十条・王子+東十条 : 散歩の達人 (交通新聞社,2017.4)

P.14-P.15 王子 「王子」の地名は・・・・、という話よりも名前が面白いのは北本通りにあるスーパー「ほり […]

松川二郎: 三都花街めぐり (誠文堂,1932)

目黒不動の門前一円の地域がすなわち目黒の花街で、芸妓屋三十五軒、料理屋が四十軒。いかに竹の子に縁のある土地だか […]

指定地として芸妓屋待合の公許されたのは極く新しいことで、漸く昭和四年の四月から、王子町大字豊島の俗稱「王子新地 […]

都市整図社: 火災保険特殊地図 品川三業地方面 (都市整図社,1953)

旧品川三丁目(現在の東品川1丁目)の旧三業地に、料亭、置屋の記載。 中央の通り。芸妓屋の清河、菊の家、冨久家、 […]

大下英治: *力道山の真実 (祥伝社,2004)永遠の力道山

P.38 プロレス王として力道山の海の親となる一代の侠客、新田新作と出会ったのは、昭和23年5月、小結に昇進し […]

P.368-P.388 1963年12月8日夜十時ごろ、TBSを出た力道山は、赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラ […]

大田区史編さん委員会: 大田区史 (東京都大田区,1951)

P.700-P.701 池上特飲街建設をめぐって 事件は、昭和25年(1950)に池上本門寺前(現池上四丁目) […]

日本住宅地図出版: 大田区 北部 (日本住宅地図出版,1973)

P.4 「教員住宅」の記載

時事通信社: 時事通信 (1510) 時事解説版 (時事通信社,1950.11)世論にゆらぐ歓楽街――池上の場合

P.2241-P.2242 「池上特飲街付近」に、特飲街の場所の記載。 住宅地域に割り込んできた新しい”湯の街 […]

竹内誠: *日本橋・銀座の400年 (ミヤオビパブリッシング,2013)ビジュアルアーカイブス : 東京都中央区

P.148 明治二十八年(1895)、築地精養軒のコック見習いを振り出しに西洋料理の修行をした初代小島種三郎は […]

大野光政: *江戸百景今昔 (本の泉社,2009)江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く

P.38 両国橋から大川を南へ下ると、新大橋の下流に大きな洲があった。南西には富士山がそびえ、その下には箱崎川 […]

都市出版: 東京人 15(6) (通号 154) (都市出版,2000.6)料亭で江戸東京を味わう--芳町「濱田家」/新橋「花蝶」/神楽坂「うを徳」 (特集 芸者さんに会いたい 新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、東都五花街探訪)

P.38 浜町・芳町は明治の始め頃から賑わったいわゆる三業(待合、置屋、料理屋)地だ。隆盛期には芸者さん三百人 […]

都市整図社: 蒲田区(火災保険特殊地図旧35区 No.13) (都市整図社,1987)

蒲田区No.6 見番の他、待合と思われる、「今藤」「寿」「若竹」「ときわ木」「春本」「久本」「文好」「味叶」「 […]

蒲田町史編纂会: 蒲田町史 (蒲田町史編纂会,1933)市郡合併記念 リンク

P.319 蒲田二業地は、昭和2年4月19日、許可となり、其の後直ちに地均し(じならし)に着手し、芸妓屋では森 […]

林泉社: 陸奥宗光未亡人没す (林泉社,1900.8)『新聞集成明治編年史』第11巻、1936年 - 1940年 リンク

陸奥伯未亡人の逝去せられしことは、尚世に勝れる美事多ければこれを紹介すべし。 ▲先妻も堀江の唄女 故陸奥伯は人 […]

東奥日報社: 東奥日報 (東奥日報社,2006.3.13)

P.8 駅物語86 十和田観光鉄道⑪ 三沢 1922(大正11)年の開業。国鉄東北本線(現在青い森鉄道青い森鉄 […]

経済産業省東北経済産業局: 東北地域における映像産業の現状と課題及び振興の方向性に関する調査 報告書 (経済産業省東北経済産業局,2008) リンク

P.104 <資料7>潜在的な素材 野辺地町 横浜町の菜の花畑、野辺地町の日本最古の常夜塔、昔の遊廓(大万旅館 […]

野辺地町文化財保護審議会: あるくみるなっとく野辺地の自然と文化 (野辺地町文化財保護審議会,2012)

P.52 旧大萬(だいまん)旅館 旧大萬旅館は、入母屋屋根に玄関バルコニーを持つ2階建ての和洋折衷の木造建築で […]

石本馨: *大江戸橋ものがたり (学研,2008)

P.108 思案橋の近くには、浅草移転前の吉原遊廓があった。この橋の上に立ち、吉原へ行こうか、それとも二丁目の […]

新潮社: 週刊新潮 8月30日号 (新潮社,1990)ビーフカツ40年人形町「キラク」人気の秘密

人形町の交差点にほど近い、今の場所に店を開いたのが昭和26年のことだそうだ。この店一番の人気メニューは何と言っ […]

大島健二: *下町の名建築さんぽ (エクスナレッジ,2017)ARCHITECTURAL HERITAGE GUIDE IN OLD TOWN OF TOKYO タイトルでNDLオンラインを再検索する

P.140 奥のたてものは歯科医として使われていたがもともとは「待合(芸妓と遊ぶ場所)」であったという。㐂とは […]

大島健二: *下町の名建築さんぽ (エクスナレッジ,2017)ARCHITECTURAL HERITAGE GUIDE IN OLD TOWN OF TOKYO タイトルでNDLオンラインを再検索する

P.112 創業は、明治38年、現存する東京の居酒屋では最古といわれ、その筋で知らぬ人はいない。その銅板葺きの […]

P.140 奥のたてものは歯科医として使われていたがもともとは「待合(芸妓と遊ぶ場所)」であったという。㐂とは […]

スタジオワーク: *東京さんぽ図鑑 (朝日新聞出版,2017)町や建物の"新しい見方"を超図解!

P.52 神田は、神田川と日本橋川まれた江戸の城下町である。江戸時代の物流は水運が中心だったので、2つの川に挟 […]

岩動景爾: *東京風物名物誌・普及版 (魚住書店,1956)

P.187 鳥の古今亭も元通り料亭街の中、烏森神社の傍に立派に復興している。浅草金田と並称された味の店。傍に末 […]

新橋料理業組合: 新橋 末げん (新橋料理業組合,) リンク

三島由紀夫が最後の晩餐にした明治42年創業の老舗、「新橋末げん」。ほかにも原敬、六代目菊五郎などの著名人が通っ […]

古今亭、末源、新橋芸妓組合、等の記載。

林順信: *東京路上細見2 (平凡社,1987)日本橋・人形町・銀座・築地・佃島

佃島の由来を簡単に記しておこう。徳川家康が天下人となるに及んで、佃村の漁民を江戸に招き、海川漁獲の許可を与えた […]

都市整図社: 火災保険特殊地図 中央区[11] (都市整図社,)魚市場方面 1947年 築地方面 1949~55年 明石町方面 1950年

現在の中央区築地2丁目に、 待合の「常盤」、料亭の「国の家」「米田中」の記載。 現在の築地駅北西の通りに、 「 […]

亀戸三業組合 料亭「富久家」「七福」「寿々代」 天狗湯 の記載

小沢昭一: *珍奇絶倫小沢大写真館 (筑摩書房,2006)

P.224 亀戸 赤線跡「双葉」の写真。 売春防止法で、一番最初に完全転業した街。外は昔を偲べても内は工場。む […]

生田原町: *生田原町史 (生田原町,1981)

交差点の角に、「ムーラン」、踏み切りの近くに「銀月」。

「カフェー日輪」の記載。 (現在の遠軽町生田原418)

P.524 鉄道開通と林業の勃興 大正3年、鉄道が開通すると、物資の需給は増大の一途をたどり、翌4年には200 […]

東京交通社: *大日本職業別明細図 第385號 北海道 (東京交通社,1934)

割烹「かねとら」「福の家」「清野」「花菱」の記載。

さっぽろ大路小路: さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一 […]

えひめ、昭和の街かど: えひめ、昭和の街かど (えひめ、昭和の街かど,2010)生活を支えたあの店、あの仕事 : 平成から昭和へ、記憶でたどる原風景 (えひめ地域学調査報告書 ; 平成21年度)

三津浜は、松山市の港町

三津浜の競馬場は、地元の人に愛されました。

P.112 仲之町 来島会館は、小高い山の上にありました。ここに戦前は一茶亭というわら屋根の旅館がありました。 […]

P.111 波止浜の名は、江戸時代、町場を波止町、塩田を浜と呼んだことから、合わせて波止浜と呼ぶようになったと […]

P.117 昭和30年代の終わりころには、波止浜の町の中心は本町通りでしたが、その後塩田跡が埋め立てられ、龍神 […]

山本泰三: 土佐の墓 その2 (土佐史談会,1987)

P.235 松岡寅八

東京都江戸東京博物館: *東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 (江戸東京たてもの園,2018)

海老原家は、茨木健取手の出身で、1887年(明治20)頃に上京し、古着屋を開業した。震災後、既製品の洋服を扱う […]

被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。

ぴあ: *ぴあ No.58 (ぴあ,1977.6.1)

P.22 「大塚名画座」(南口1分商店街ビル3F) 5月24日~30日 「タクシー・ドライバー」 「追憶」 「 […]

P.24 「小金井名画座」(北口4分ヒグチ薬局角右へ) 5月25日~31日 《日活ロマンポルノ決定版》 「女秘 […]

P.7521 羽衣町一丁目に、荻原荘、稲生荘、千秋荘、大橋寮、横田寮、石田寮、羽衣荘、東松寮、栄荘、萬年寮、の […]

近藤正一: *日本建築学会計画系論文集 通号488 P.203-P.210 (日本建築学会,1996.10)中村遊廓における建築計画の類型

P.205 廓の構造は、島原や吉原などと同様、縦1本、横3本の大通りを持った三筋構造を基本とし、さらにその外周 […]

P.206 中村遊廓において、当時の構造を残していると判断される建物は40件。

毎日新聞社: 毎日新聞 中部夕刊 (毎日新聞社,2017.6.5)「善ちゃん」店主死去 森繁久弥、ミヤコ蝶々らに愛され リンク

旧中村遊郭の一角の名古屋市中村区大門で60年以上も赤ちょうちんを守ってきた居酒屋「善ちゃん」の主人、浅井善一さ […]

永原慶二: 苧麻・絹・木綿の社会史 (吉川弘文館,2004)

P.2-P.5 近代以前の日本の衣料原料で代表的なものは、苧麻(ちょま)・絹・木綿の三つであった。戦国時代以前 […]

まちづくり津島: 海部津島郷土研究 第1号 (まちづくり津島,2016.3)

P.92-P.93 大正8年、津島町は池須蓮田の埋め立てに着手した。

津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)