浦賀の東側の観音崎は、半島全体が県立公園になっています。園内のあちこちに砲台などの戦跡が残されています。

北門第二砲台跡。
明治17年に完成しました。(案内板より)

北門第一砲台跡。

2つの砲台が並んでいて、両砲台は、トンネルで通じています。

浦賀の東側の観音崎は、半島全体が県立公園になっています。園内のあちこちに砲台などの戦跡が残されています。
北門第二砲台跡。
明治17年に完成しました。(案内板より)
北門第一砲台跡。
2つの砲台が並んでいて、両砲台は、トンネルで通じています。
今回は、浦賀の町並みを散歩します。
東浦賀の東林寺の前にあるの三浦稲荷社。
鳥居の前に、江戸屋半五郎が建てた「六字念仏塔」が建っています。前面には「南無阿弥陀佛」の六文字が深く彫らています。*1※1
江戸屋半五郎は、洗濯屋(遊廓)の主人でしたが、あるとき、自分の商売の罪深さを知り、仏門に入りました。*2※1
左側面には、「大誉果向深心信士 俗名伴五郎」と彫られています。*1
大楠山の麓にある阿部倉温泉。由来は奈良時代にさかのぼります。
奈良時代、行基菩薩がこの地に来訪したことからはじまり、鎌倉時代、衣笠城主三浦大介義明公も、この湯を城にとり寄せ、湯冶をしたそうです。
大正九年には、湯治の客も寝泊りできるよう五部屋の長屋風の家屋(湯の沢旅館)も出来たそうです。*1
現在、湯の沢旅館は休業中です。
三浦半島には、3つの山並みがあり、北側は二子山から畠山、南側は武山から三浦富士※1、そして中央に最高峰の大楠山が連なっています。
平作川の源流に沿って整備された道が続きます。
傾斜は次第にきつくなり、最後の250段の階段を登りきると、大楠山頂上に到着です。
頂上からの眺め。「かながわの景勝50選」に選ばれています。
衣笠大通り商店街に面して建つ和食店の「玉寿々」。そば、天ぷら、釜めし、定食がメインですが、とんかつのメニューも充実しています。
座敷もあって、落ち着けます。
とんかつ定食を注文。
南側(仲通り商店街※1)にも出入口があります。
平作川沿いの共同ビル※1 の隣に、年季の入った飲食ビルが建っています。
建物の外周部分は緩やかなカーブを描いています。
1階部分は、飲食街になっています。
昼間でも夜のような雰囲気です。
衣笠駅の北側の平作川沿いの共同ビル。
1階部分には、居酒屋やカラオケパブ、スナック、理容室などがはいっています。
ビルの中を抜ける通路があります。
通路を抜けた北側に建つ別のビルと階段部分がつながっています。
今回は、衣笠(神奈川県横須賀市)の町並みを散歩します。
戦後、衣笠駅周辺には、衣笠十字路から現在の三雄堂書店のあたりにかけて自然発生的に生まれた露天や青空市場がありましたが、昭和41年3月、衣笠駅東北側の旧国鉄用地の払下げを受け、昭和43年6月に「仲通り商店街」が竣工しました。*1*2
通りに面した商店街(大通り商店街)と南側に1本入った仲通り商店街は一体化され、駅前の商店街を形成しています。
多くの客で賑わっています。
裏側(駅側)から見た仲通り商店街。
横須賀市の「自然・人文博物館」の近く。
「おすい」のマンホール。
横須賀市の「市の木」のオオシマザクラがデザインされています。*1
「うすい」のマンホール。
ハマユウがデザインされています。*1
合流用のマンホールには、黒船とペリーがデザインされています。*1
米が濱砲台は、明治23(1890)年から明治24(1891)にかけて建設され、明治37(1904)年に開戦した日露戦争では28cm榴弾砲6門が、旅順攻略のために運び出されました(案内板より)。
榴弾砲の土塁と砲台が整備され、公開されています。
砲台跡は、広場になっています。
砲台跡からの横須賀市街の眺望。写真右奥は猿島。
近くの電柱プレート。「砲台」の名が記されています。