芸妓置屋指定地の区域内にある豊川稲荷社。「大正期の湯田町の復元図」*1 によると、豊川稲荷の両隣は、置屋の「八重木」、「末広料理」、さらにその隣に、置屋の「新喜久の家」が並び、通りの南側には、置屋の「金枡」「大寿」と置屋が密集していました。
玉垣には、「下諏訪料芸組合」と刻まれています。
狛犬の台座には、「下諏訪芸妓置屋」と刻まれており、置屋の名前が連なっています。
「常盤家」「住吉」「八重本」は、「大正期の湯田町の復元図」*1 に名がある置屋です。
【参考文献】
*1 小林茂樹:写真が語る下諏訪の百年(ヤマダ画廊,1979)P.131