石和温泉(芸妓置屋)コンパニオン募集看板

温泉街と言えばコンパニオンですが、石和温泉ではコンパニオンを派遣する置屋があります。国道411号線(大菩薩ライン)沿いに「芸妓置屋」の看板があります。

こちらの案内板には、2軒の置屋の名前が確認できますが、実際に歩いてみたところ、それらしい置屋は発見できませんでした。ひと昔前と比べると置屋の数は減っているようです。

鵜飼橋近くにある置屋のコンパニオン募集看板。

シングルマザー、お子様連れ大歓迎。

石和温泉(ストリップ劇場跡)看板の支柱だけが残っていました。

湯けむり通り沿いにストリップ劇場の「石和温泉劇場」がありましたが、現在は無くなって更地になっています。
当時の写真*1 を見ると、建物の右下に、「生板」、「外人」、「花電車」と書かれた大きな看板が貼り付けられていて、道路脇には、「特出し」と書かれた立て看板が置かれていたようです。また、建物の右側には、「ヌード」と書かれた大看板がそびえ立っていました。

現在、「ヌード」の大看板の支柱だけが、遺構として残っています。この支柱の上に「ヌード」とデカデカと赤色の文字で書かれた大看板が乗っかっていました。

交差点の対角線上にある旅館「森仙」の駐車場の場所を示す看板に「ヌード」と書かれています。「ヌード」の大看板はかなり目立つ存在だったようです。

古い案内板。文字がかすれて読み取りにくいですが、ヌード石和温泉....と書かれています。

【参考文献】
原芳市:ストリップのある街(自由国民社,1999)P.47

石和温泉(葡萄畑)葡萄畑から温泉が噴出したのが始まりでした。

今回は石和温泉(山梨県笛吹市)の町並みと風俗を散歩します。
石和温泉は、1961年1月、石和町八田の葡萄畑の中から突然温泉が噴出し、あふれ出たお湯が近くの川 に流れ込んでできた即席の露天風呂が石和温泉の始まりです。
ホテル新光の北側の空き地に、石和温泉発祥の地の碑があります。

温泉街のメインの通りである湯けむり通り沿いには、現在も葡萄畑があります。

湯けむり通りから一本南側の通りに入ると、広大な葡萄畑が広がっています。(葡萄畑の向こう側に見える建物は、湯けむり通りの旅館です。)

美味しそうな葡萄です。

盛岡(大国神社)津志田遊廓と同時に設置された神社です。

津志田は、盛岡から南東に約4キロにある町です。町を南北に国道4号線が貫いています。
江戸時代、盛岡藩は、津志田に藩公認の遊廓を文化・文政期(1810~1820年)と嘉永期(1850~1854年)の二度にわたって設置しました。*1

遊廓があった場所の南端にあたるの津志田の交差点の角に大国神社があります。
大国神社は、遊廓と同時に津志田の総鎮守として設置されました。*1

社の中には遊女や楼主がおさめた献額(絵馬)があります。遊女たちの「諸顕成就」献額は、金色できらびやかだが、裏には苦界に身を沈めた宮古、鍬ヶ崎の遊女名が連なっていたそうです。*2

大国神社の案内板。「当時津軽町と称したこの地は遊廓が繁盛した。」と説明されています。

同じ盛岡藩内には、鍬ヶ崎に非公認の遊廓がありましたが、鍬ヶ崎の遊女は、津志田遊廓に出稼ぎに行くこともあったそうです。*1
【参考文献】
*1 武林 弘恵:歴史.105(2005.9)「盛岡藩の遊廓をめぐる社会関係について」P.71,P.97
*2 小島俊一:陸中海岸こぼればな史(トリョーコム,1986)P.95-P.96
*3 風俗散歩:鍬ヶ崎遊廓(2008.9)

盛岡(岩手牛乳の牛乳箱)都道府県名を冠した乳業メーカー

八幡宮へ向かう通り沿いに、古い木造民家があります。入口に水色の牛乳箱があります。

岩手牛乳の牛乳箱です。都道府県名を冠した乳業メーカー名は、重みがあります。

一本北側に路地を入ったところ。

ウルトラプロセスは、高温殺菌のことですが、ウルトラデラックスとは何でしょうか。

盛岡(八幡町)花柳界のある松尾町

明治元年(1868年)官軍の奥羽鎮撫(ちんぶ)総督に就任した九条道孝が、官兵1300人を率いて盛岡に到着すると、官兵のために茶屋を許しました。これが八幡町の花街(貸座敷)の元となりました。*1*2
八幡町に隣接する松尾町に料亭風の建物が数軒ある一画がありますが、ここが花柳界のあるところで、それ以前は遊廓の中心部でした。*3*4

交差点のところに、モダンな建物があります。

側面から見たところ。

建物正面の装飾は、木材でできています。

【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語2-八幡町かいわい-(熊谷印刷出版部,1974)P.97
*2 森ノブ,多田代,岩手県文化財愛護協会編:三盛岡市の歴史 下 (熊谷印刷出版部,1992)P.55
*3 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.91
*4 木村聡:赤線跡を歩く【完結編】(自由国民社,2007)P.87

盛岡(レトロな写真館)商店街にあります。

今回は、盛岡(岩手県盛岡市)の町並みと風俗を散歩します。
盛岡市内の商店街。八幡神社へ向かう途中の南大通1-1付近。

「赤線跡を歩く【完結編】」に写真が掲載されている古い写真館の建物があります。

正面のレリーフが印象的です。

思わず、下から見上げてしまいます。

宮古(伊藤牛乳の牛乳箱)宮古の牛乳メーカーでしょうか。

鍬ヶ崎上町から西側の斜面を登ったところに常安寺別院があります。常安寺別院からは、宮古湾を遠望することができます。港町らしい風景です。

坂道の途中に、黄色牛乳箱があります。(写真左側)

伊藤牛乳の牛乳箱。

箱の側面には、「宮古市新川町」と書かれています。地元の牛乳メーカーでしょうか。

宮古(鍬ヶ崎)遊廓跡地にあるレトロな建物

地元の方の話によると、現在の消防駐屯所のあたりまで通り沿いに遊廓の建物が建ち並んでいたそうです。

駐屯所の近くにレトロな洋風建築の建物があります。

1階部分はモダンなデザインになっています。

入口部分に「はまなす」という屋号が見えます。

宮古(鍬ヶ崎遊廓跡)現在も当時の建物が残ります。

鍬ヶ崎遊廓は、近世の頃は現在の日影町附近にありましたが、幕末から明治にかけて遊廓は、鍬ヶ崎上町に移動しました。*1
明治18年、貸座敷営業許可地に指定されたとき、娼妓は47名で、この数は岩手県全体の約半数でした。*2
鍬ヶ崎上町1丁目のプチホテル海幸園の近くに、当時のものと思われる建物が残っています。

地元の方に話しをお伺いしたところ、現存しているのはこちらのお宅1軒のみだそうです。

堂々とした木造建築です。

入口附近。

【参考文献】
*1 沢内勇三:鍬浦史話(郷土史同好会,1955)p.85
*2 渡辺憲司:江戸遊里盛衰記(講談社,1994)P.102

宮古(鍬ヶ崎港)新島襄の寄港地

今回は、宮古(岩手県宮古市)の町並みと風俗を散歩します。 宮古は三陸海岸に面する都市で、景勝地の浄土ヶ浜を有し、観光地としても有名です。
宮古市街と浄土ヶ浜の中間に位置する鍬ヶ崎は、宮古港の一部です。江戸時代には回船問屋が繫昌し、船舶の寄港が頻繁となるにつれて花柳街が繫昌するようになりました。

1868年、江戸から函館を目指す新島襄は、鍬ヶ崎港に寄港しましたが、江戸を出発するときの所持金の二十両のうちのほとんどを鍬ヶ崎の遊廓で散財したのではないかという説があります。*1

新島襄が宿泊した伊勢屋があった場所。*1

伊勢屋があった場所からこの路地を行くと遊廓があった通りに出ます。

新島襄(にいじまじょう)は、同志社大学の前身となる同志社英学校の創立者で、福澤諭吉らとならび、明治六大教育家の1人に数えられています。
新島襄は、「函館紀行」の中で、鍬ヶ崎に寄港したときの状況を次のように記しています。
「予上陸し伊勢屋清兵衛の家に宿す。予鍬ヶ崎の様子を見るに驚く事あり。如何となれば家毎妓二三人或四五人あり、(中略) 此地の人物、陽ハ粗ニして陰ハ獗猖(しょうけつ)なる事甚し、是悪むべき風俗……」
この「是悪むべき風俗」の次の約20行が欠損部分となっており、これは新島襄の神聖さを傷つけてはならないと考えた誰かが、カミソリで切りとったものと考えられています。*1
【参考文献】
*1 本井康博:同志社談叢(2001.3)「岩手県宮古市鍬ヶ崎 新島襄の寄港地」口絵、P.131

種市(ソープランド跡地)東北の男たちを虜にした名店が閉店しました。

国道45号線を北へ向かいます。

「男性専科浴場」と書かれた大看板。実は、ここが東北の男たちを虜にする伝説のソープランドです。*1
岩手県には、ソープランドが少なく、盛岡市内に1軒と、ここ種市に1軒あるのみです。

急な坂をどんどん登っていきます。

残念ながら、ソープランドがあった場所は、更地となっていました。地元の方に話しをお伺いしたところ、今年の2月頃に突然閉店となり、しばらくは建物が残っていたのですが、最近、取り壊されたそうです。

【参考文献】
*1 俺の旅(ミリオン出版,2007.9.25)P.70

種市(駅周辺)岩手県の最北端に位置します。

今回は、種市(岩手県九戸郡洋野町)の町並みと風俗を散歩します。
JR八戸線種市駅で下車します。

種市(たねいち)は、岩手県の最北端に位置する、太平洋に面していた町です。

種市駅前。タクシーが留まっているだけの平凡な駅前ロータリーです。

八戸駅-久慈駅間の列車は、1日9往復です。

八戸(安藤自転車店)モダンなデザインです。

湊橋近くに、「赤線跡を歩く完結編」*1 に写真が掲載されている自転車屋さんがあります。

モダンなデザインの建物です。

木製のドア。

2階部分には、モダンな装飾が施されています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 続々・消えゆく夢の街を訪ねて 完結編(自由国民社,2007)P.51

八戸(陸奥湊の廃業ホテル)カーホテル

小中野の隣の陸奥湊駅で下車し、新井田川沿いを散歩します。川沿いにホテルがあります。

その名も「ホテルリバーサイド」。残念ながら廃業していました。

裏口へ回ると、「カーホテル」と書かれています。懐かしい響きです。

各部屋の入口には、世界各国の都市名が書かれています。手前から、京都、モンテカルロ、ベニス、グルノーブル、サンフランシスコ、ヴェルサイユと部屋が並んでいます。