北陸ホテルの周囲を散策します。
入口の「いらっしゃいませ」の案内看板。
客室の番号札。
石川県モテルホテル業組合連合会推薦の店。
月: 2017年6月
国道8号線沿い。「パステル北陸」の東側をさらに進みます。
8号線から南側の林を入ったところに、「モテル北陸」と思われる建物が残っています。
「モテル北陸」は、昭和38年に開業。日本のモーテル第一号として知られています。ただし、最初はドライバーの休息所でした。*1
入口。
1階がガレージ、2階が客室。
当時の写真*1 と比べると、2階部分の造作の特徴が今も残っています。
【参考文献】
*1 双葉社:夢空間ファッションホテル名商・巨匠の物語(双葉社,1999)P.32
参考文献
参考記事
国道8号線沿いの分校町(ぶんぎょうまち)にあるモーテル「パステル北陸」の建物。現在は休業中のようです。
入口近くに、アダルトビデオのパッケージが捨てられています。
小屋に張り付けらている料金表。
看板。
参考文献
参考記事
今回は、動橋(いぶりばし、石川県加賀市)の町並みと風俗を散歩します。
JR北陸本線の動橋駅は、かつては片山津温泉と山中温泉を結ぶ交通の要所でした。動橋駅の南側を横断する国道8号線は交通量が多い国道として有名です。
国道8号線に面して、かつて、北陸秘宝館がありましたが、現在はパチンコ店になっています。
そのパチンコ店も、国道8号線の拡幅工事のため、現在は閉店しています。
敷地の東側には、「ビデオプラザ北陸」がありました。
参考文献
参考記事
羽咋市のかつての遊廓街にある大衆食堂。地元の方の話によると、遊廓の「柳亭」の建物があった頃からこの地で営業しているそうです。
「UFOのまち羽咋」にちなんだ「UFOラーメン」。
落ち着いた和風の店内。
「UFOラーメン」を頂きました。
参考文献
参考記事
羽咋市島出町に、近年まで羽咋遊廓の柳亭(りゅうてい)の建物が残っていました。*1
明治30年11月10日の北國新聞に掲載されている「羽咋遊廓遊廓芸妓番付」*2 によると柳亭、広海楼、遊泉楼、新盛楼、会席亭、遊楽亭、千鳥亭、中初亭、の24名の芸妓が名を連ねており、そのうちの6名が柳亭の芸妓です。
現在は、閑静な住宅地になっています。
建物があったと思われる場所。道は行き止まりになっています。
逆方向から。
【参考文献】
*1 日本地政協会:羽咋市・羽咋郡明細区分図(日本地政協会,1974)P.35
*2 羽咋市史編さん委員会:新修羽咋市史(石川県羽咋市,2008)P.258-P.259
参考文献
参考記事
明治期、羽咋大橋の両側は船着場で、付近には遊廓が軒を並べ賑わいました。*1
松柳医院(羽咋市島出町)のある通りには、古い建物が残っています。
印刷屋だった建物。*2
料理旅館だった2階建ての木造家屋。*2
【参考文献】
*1 羽咋市史編さん委員会:新修羽咋市史(石川県羽咋市,2008)P.258-P.259
*2 日本地政協会:羽咋市・羽咋郡明細区分図(日本地政協会,1974)P.35
参考文献
参考記事
今回は、羽咋(はくい、石川県羽咋市)の町並みと風俗を散歩します。
羽咋大橋近くにあるラブホテルの看板。
看板に導かれて進みます。
歩くこと、約10分。青緑色のブロック塀が現れます。
緑色のラブホテル。
参考文献
参考記事
川岸町の料理屋街にあるレトロな美容室。全体が薄いピンク色です。
入口の斜めドア。
モダンな斜めの手すり。
歴史を感じさせる貴重な建物です。
参考文献
参考記事
石動の免許地は、はじめ今石動に一ヶ所、後には福町(いずれも小矢部川の西側)にも設けられました。*1
また、昭和7年(1932年)の富山県統計書などの資料*2 によると、石動の川岸町(小矢部川の東側、現在の東福町)に花街(遊廓)があって、貸座敷9軒、料理屋38軒、芸妓47名、娼妓5名の規模でした。
川岸町にはかつての料理屋と思われる建物が現在も残っています。
大正13年の石動町住宅案内図*3 に、和洋御料理、仕出し「上埜楼」と記載のある旅館の建物。
満月楼だったと思われる建物。*3
【参考文献】
*1 小矢部市史編集委員会:小矢部市史 下巻(小矢部市,1971)P.61
*2 社団法人現代風俗研究会:20世紀の遺跡 加藤政洋「消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡」P.44
*3 千秋謙治:砺波・小矢部今昔写真帖(郷土出版社,2002)
参考文献
参考記事
今回は、石動(いするぎ、富山県小矢部市)の町並みと風俗を散歩します。石動は、高岡と金沢の中間に位置し、北国街道の宿場町として栄えました。現在の石動駅の北側が中心市街地で、その東側には、小矢部川が流れています。小矢部川沿いは、風光明媚な地で、観光旅館の松泉閣の建物が建っています。
旅館に隣接した料亭風の建物。
観光旅館と書かれたホテルの玄関。
小矢部川からの遠望。
参考文献
参考記事
氷見市街から、高岡市街行きのバスへ乗車し約20分。県道373号線沿いに、氷見昭和館があります。
館内は、昭和の町並みが再現されています。
カメラの展示コーナー。
懐かしいEPレコードの展示もあります。
参考文献
参考記事
氷見本町の商店街沿いにある銭湯の氷見温泉。
現在は、休業中のようです。
レトロでモダンな建築です。
レンガ造りの煙突。
参考文献
参考記事
氷見の光禅寺の西側には、通り沿いに風情のある飲食店が建ち並んでいます。
このあたりは、かつての有磯新地の一部で、山岸楼、巴亭、二塚や、稲荷亭、の遊廓や料理屋がありました。*1
氷見と言えば、うどんです。
氷見の地酒「曙」の舛酒を頂きました。
氷見うどんとミニ海鮮丼のセット。
【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.632
参考文献
参考記事
氷見の入船町(現在の丸の内)には、かつて遊廓があって、多数の妓楼が軒をつらねていました。この遊廓のことを氷見では俗に「めんきょちょう」と称しました。これは「免許地」のなまりです。明治19年5月11日、富山県が指定した13カ所の「免許地」の起源ですが、その中に射水群氷見本川町が入っています。その地は、光禅寺の裏側にあたり、その一郭は大正12年8月20日より、入船町と改称されました。*1
氷見町大火の後、現在地の元「大浜楼」に移転した平和交通の社屋。この折に、「駅前平和タクシー(株)」から「平和交通(株)」に社名が改められました。*2
「氷見有磯新地略図」*1 によると、光禅寺の東側。小坂山楼があったあたり。*1
「一角」「入舟亭」があったあたり。*1
島勇楼があったあたり*1 に建つスナック。
【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.108-110,P.631-633
*2 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30
参考文献
参考記事
氷見市街の丸の内。富山第一銀行氷見支店西側の交差点の角に、小さな公園があります。
ここは、かつて愛宕神社があった場所で、公園の隅には、小さな鳥居が残っています。
「愛宕神社跡」の碑。
この付近は、元「有磯新地」と呼ばた遊廓地で、大正期から昭和10年代にかけて多数の貸座敷や妓楼、料理屋などが軒を列ねて賑わいましたが、昭和13年の氷見町大火により罹災しました。*1
【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30
参考文献
参考記事
今回は、氷見(富山県氷見市)の町並みと風俗を散歩します。
氷見市街を流れる湊川は、河口に近い市街の中心部付近で大きくカーブを描いています。
この付近(公衆トイレの奥の現在のアミューズやまとビル(写真の水色のビル)にあった日本劇場は、昭和30年代に氷見に3館あった映画館の一つでした。*1
復刻橋。
大正7年に作られた鉄筋の橋です。
逆方向から。
【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.9
参考文献
参考記事
末広町の飲み屋小路にある高岡牛乳の牛乳箱。
紺色に白文字のデザインです。
側面には、高岡ヨーグルト
郵便受けの下にぶら下げられています。
参考文献
参考記事
末広町にある飲み屋小路の末広飲食センター。小路の入口に「末広センター」と書かれたゴミ箱が設置されています。
1階部分に飲食店が入る共同建築です。
夜になると艶っぽい雰囲気になります。
末広飲食センター。
参考文献
参考記事
末広町の呑み屋横丁。
昼間の雰囲気から比べると、夜は、一転してディープです。
スナックからはカラオケの歌声が漏れ聞こえます。
ピンク色のネオン看板。
参考文献
参考記事
高岡市街の北西側の中島町。商店街の奥まった場所に銭湯があります。
中島湯。
昔ながらの銭湯です。
煙突。
参考文献
参考記事
高岡市清水町のますや食堂
地元では有名な、おいしい大衆食堂です。
ラーメン、蕎麦、丼ものから洋食まで、なんでも揃っています。
かつ丼と缶ビールを注文。
参考文献
参考記事
羽衣遊廓があった一画にある稲荷神社。
遊廓創立の記念碑に、深島平蔵、八島三𠮷の名が刻まれています。
八島三𠮷さんは、高岡市百姓町の出身で、大阪角力の大関(角力名猫又三吉)に出世し、帰郷後、下川原町の料亭八島屋の主人公となりましたが、大火の後免許となった羽衣遊廓へ移転、イの一番に八島楼を開業しました。
羽衣組合一同。
羽衣遊廓は、明治、大正、昭和の60年にわたり栄えた八島楼をはじめ、古曼、木下、煙草森、松島、米谷、寺西、大丸中八、松野など48軒が大繫昌しましたが、昭和33年の売春防止法施行とともに廃転業しました。
【参考文献】
*1 高岡史談:高岡史話(高岡史談会,1965)P.45
参考文献
参考記事
羽衣遊廓は、明治33年の大火直後に免許地として発足しました。
現在の高岡市五福町には、道路が格子状になっている一画があります。
古い旅館の建物。
「貸席」と書かれています。
北側から。
【参考文献】
*1 高岡史談:高岡史話(高岡史談会,1965)P.45
参考文献
参考記事
今回は、高岡(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
高岡駅前から北西方向へ延びる大通りは、町の中心部です。
歩道に、白ポストが設置されています。駅前でない場所に設置されているのは、珍しいケースです。
裏側に「白ポスト」の表示。
富山県内では、チューリップがデザインされた白ポストを多く見かけます。