動橋(北陸ホテル跡)8号線沿い

国道8号線沿い。「パステル北陸」の東側をさらに進みます。

8号線から南側の林を入ったところに、「モテル北陸」と思われる建物が残っています。
「モテル北陸」は、昭和38年に開業。日本のモーテル第一号として知られています。ただし、最初はドライバーの休息所でした。*1

入口。

1階がガレージ、2階が客室。
当時の写真*1 と比べると、2階部分の造作の特徴が今も残っています。

【参考文献】
*1 双葉社:夢空間ファッションホテル名商・巨匠の物語(双葉社,1999)P.32

動橋(パステル北陸跡)分校町

国道8号線沿いの分校町(ぶんぎょうまち)にあるモーテル「パステル北陸」の建物。現在は休業中のようです。

入口近くに、アダルトビデオのパッケージが捨てられています。

小屋に張り付けらている料金表。

看板。

動橋(北陸秘宝館跡)跡地にはパチンコ店

今回は、動橋(いぶりばし、石川県加賀市)の町並みと風俗を散歩します。
JR北陸本線の動橋駅は、かつては片山津温泉と山中温泉を結ぶ交通の要所でした。動橋駅の南側を横断する国道8号線は交通量が多い国道として有名です。

国道8号線に面して、かつて、北陸秘宝館がありましたが、現在はパチンコ店になっています。

そのパチンコ店も、国道8号線の拡幅工事のため、現在は閉店しています。

敷地の東側には、「ビデオプラザ北陸」がありました。

羽咋(UFOラーメンの店)昭和の頃からの営業

羽咋市のかつての遊廓街にある大衆食堂。地元の方の話によると、遊廓の「柳亭」の建物があった頃からこの地で営業しているそうです。

「UFOのまち羽咋」にちなんだ「UFOラーメン」。

落ち着いた和風の店内。

「UFOラーメン」を頂きました。

羽咋(柳亭跡)近年まで建物が残っていました。

羽咋市島出町に、近年まで羽咋遊廓の柳亭(りゅうてい)の建物が残っていました。*1
明治30年11月10日の北國新聞に掲載されている「羽咋遊廓遊廓芸妓番付」*2 によると柳亭、広海楼、遊泉楼、新盛楼、会席亭、遊楽亭、千鳥亭、中初亭、の24名の芸妓が名を連ねており、そのうちの6名が柳亭の芸妓です。

現在は、閑静な住宅地になっています。

建物があったと思われ場所。道は行き止まりになっています。

逆方向から。

【参考文献】
*1 日本地政協会:羽咋市・羽咋郡明細区分図(日本地政協会,1974)P.35
*2 羽咋市史編さん委員会:新修羽咋市史(石川県羽咋市,2008)P.258-P.259

羽咋(遊廓跡)羽咋大橋の南側。

明治期、羽咋大橋の両側は船着場で、付近には遊廓が軒を並べ賑わいました。*1

松柳医院(羽咋市島出町)のある通りには、古い建物が残っています。

印刷屋だった建物。*2

料理旅館だった2階建ての木造家屋。*2

【参考文献】
*1 羽咋市史編さん委員会:新修羽咋市史(石川県羽咋市,2008)P.258-P.259
*2 日本地政協会:羽咋市・羽咋郡明細区分図(日本地政協会,1974)P.35

石動(遊廓跡地)川岸町

石動の免許地は、はじめ今石動に一ヶ所、後には福町(いずれも小矢部川の西側)にも設けられました。*1
また、昭和7年(1932年)の富山県統計書などの資料*2 によると、石動の川岸町(小矢部川の東側、現在の東福町)に花街(遊廓)があって、貸座敷9軒、料理屋38軒、芸妓47名、娼妓5名の規模でした。

川岸町にはかつての料理屋と思われる建物が現在も残っています。

大正13年の石動町住宅案内図*3 に、和洋御料理、仕出し「上埜楼」と記載のある旅館の建物。

満月楼だったと思われる建物。*3

【参考文献】
*1 小矢部市史編集委員会:小矢部市史 下巻(小矢部市,1971)P.61
*2 社団法人現代風俗研究会:20世紀の遺跡 加藤政洋「消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡」P.44
*3 千秋謙治:砺波・小矢部今昔写真帖(郷土出版社,2002)

石動(松泉閣)観光旅館

今回は、石動(いするぎ、富山県小矢部市)の町並みと風俗を散歩します。石動は、高岡と金沢の中間に位置し、北国街道の宿場町として栄えました。現在の石動駅の北側が中心市街地で、その東側には、小矢部川が流れています。小矢部川沿いは、風光明媚な地で、観光旅館の松泉閣の建物が建っています。

旅館に隣接した料亭風の建物。

観光旅館と書かれたホテルの玄関。

小矢部川からの遠望。

氷見(うどん店)地酒「曙」の舛酒

氷見の光禅寺の西側には、通り沿いに風情のある飲食店が建ち並んでいます。
このあたりは、かつての有磯新地の一部で、山岸楼、巴亭、二塚や、稲荷亭、の遊廓や料理屋がありました。*1

氷見と言えば、うどんです。

氷見の地酒「曙」の舛酒を頂きました。

氷見うどんとミニ海鮮丼のセット。

【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.632

氷見(有磯新地跡)俗に「めんきょちょう」と称しました。

氷見の入船町(現在の丸の内)には、かつて遊廓があって、多数の妓楼が軒をつらねていました。この遊廓のことを氷見では俗に「めんきょちょう」と称しました。これは「免許地」のなまりです。明治19年5月11日、富山県が指定した13カ所の「免許地」の起源ですが、その中に射水群氷見本川町が入っています。その地は、光禅寺の裏側にあたり、その一郭は大正12年8月20日より、入船町と改称されました。*1
氷見町大火の後、現在地の元「大浜楼」に移転した平和交通の社屋。この折に、「駅前平和タクシー(株)」から「平和交通(株)」に社名が改められました。*2

「氷見有磯新地略図」*1 によると、光禅寺の東側。小坂山楼があったあたり。*1

「一角」「入舟亭」があったあたり。*1

島勇楼があったあたり*1 に建つスナック。

【参考文献】
*1 氷見百年史編修委員会:氷見百年史(氷見市,1972)P.108-110,P.631-633
*2 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30

氷見(愛宕神社跡)町の中心部

氷見市街の丸の内。富山第一銀行氷見支店西側の交差点の角に、小さな公園があります。

ここは、かつて愛宕神社があった場所で、公園の隅には、小さな鳥居が残っています。

「愛宕神社跡」の碑。

この付近は、元「有磯新地」と呼ばた遊廓地で、大正期から昭和10年代にかけて多数の貸座敷や妓楼、料理屋などが軒を列ねて賑わいましたが、昭和13年の氷見町大火により罹災しました。*1

【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30

氷見(復興橋近くの町並み)

今回は、氷見(富山県氷見市)の町並みと風俗を散歩します。
氷見市街を流れる湊川は、河口に近い市街の中心部付近で大きくカーブを描いています。
この付近(公衆トイレの奥の現在のアミューズやまとビル(写真の水色のビル)にあった日本劇場は、昭和30年代に氷見に3館あった映画館の一つでした。*1

復刻橋。

大正7年に作られた鉄筋の橋です。

逆方向から。

【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.9

高岡(末広飲食センター)

末広町にある飲み屋小路の末広飲食センター。小路の入口に「末広センター」と書かれたゴミ箱が設置されています。

1階部分に飲食店が入る共同建築です。

夜になると艶っぽい雰囲気になります。

末広飲食センター。