大野光政*江戸百景今昔江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く本の泉社2009
みつまたわかれの淵
P.38 両国橋から大川を南へ下ると、新大橋の下流に大きな洲があった。南西には富士山がそびえ、その下には箱崎川に架かる永久橋、右方面には浜町川を渡る川口橋が見える。この辺りは、江戸湾から入ってくる海の塩水と川の真水が混じり合う所ということで、「わかれの淵」とも呼ばれた(大川と箱崎川に分かれるからという説もある)。古くは月の名所で、遊女や芸妓を伴って船で宴を催し、清風月なきを楽しみ、酒や歌舞に興じたという。 明和8年(1771)に中流を埋め立て中洲とし、天明7年(1787)に吉原が火事で焼けた後、ここを遊廓街として賑わい大繁盛した。しかしこの埋め立てにより墨田川の流れを阻害し、毎年のように水害を発生させたたため、寛政元年(1789)この9千坪の新地は水中にはかない夢物語として消え去った。