厚木市教育委員会: 厚木市史 民俗編 2 (厚木市,)

P.190 芸妓 厚木の芸妓の存在は、江戸末期にはあったとされ、江戸時代中期以降の大山参りの隆盛に伴い、大山に近く多くの大山道が集まる厚木には、そうした遊興の地があったことは想像に難くない。 厚木の芸妓連はその後、大正2年には、18人、大正5年には43人となり、その数を増していった。背景には、明治43年に、古久屋、若松屋、高島亭の三旅館主催により初めて相模川鮎漁川開きが開催、芸妓十数名が参加するなど、その後の鮎漁会の盛況などがあったものとみられる。この川開きは、現在も続く厚木市最大の祭りである「鮎まつり」に継承されている。 戦後の花柳界 昭和22年、「厚木料理屋組合」は「厚木貸席業組合」と改称し14軒が加盟し発足し、昭和29年には、「厚木三業組合」が結成された。

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