山本鉱太郎新・利根川図志 下巻崙書房出版1998.3
潮来女郎の無縁墓

P.319
潮来が香取、鹿島、息栖(いきす)の三社詣の上り下りの船便で賑わっていたころ、この地には遊廓があった。延宝7年(1679)、水戸藩で初めて遊廓を許し、河岸の八軒の妓楼にそれぞれ十人前後の遊女たちが置かれ、その情の深さは、江戸はもとより全国にまでその名が知れわたった。三社詣は、いわば男たちの隠れミノであった。

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潮来(あやめ楼)通りの入口に大門が復元されています。