>室蘭(老舗そば屋)裏浜町。昭和の初期から続く老舗です。>室蘭(裏浜町の料理屋の建物)其の筋のお達しにより、二十歳未満の方の御入店固くお断り。>室蘭(裏浜町に抜ける小路)かつての私娼窟。地下街「ランランタウン」。>室蘭(浜町の小路)大衆的な歓楽街。現在の浜町の室蘭郵便局の南側。>室蘭(幕西遊廓跡地)幕西の坂の上部。石垣が残る旅館跡地。>室蘭(幕西遊廓跡地)幕西の坂の途中。”人殺し坂”の異名。>苫小牧(松乃湯)苫小牧橋の袂にある銭湯。>苫小牧(遊廓跡地)浜町。王子製紙の進出に伴い繁栄。>苫小牧(長屋風の建築)新一條通り。カラフルなスナックの建物。>苫小牧(新一條通り)「親不孝通り」と呼ばれた通り。>磐田(中泉歴史公園の公衆トイレ)心静かに・手を添えて・外に零すな・松茸の露。>磐田(中泉遊廓跡地)秋鹿屋敷内を借用し建設。>磐田(中泉歴史公園)門柱に使用されていた石柱は、現在は公園のベンチ。>磐田(ミニクラブ)和風の建物です。中泉の西町の通り沿い。>浜松(夏目食堂)地元の餃子屋さん。客席は2卓。>浜松(ランプ横丁)豚と銭湯。居酒屋の裏口。>浜松(味の十八番街)中区田町。道幅の狭い横丁。>浜松(門井ビル)ステッキガール生みの親にして育ての親。>浜松(二葉園跡)ビジネスホテルの裏木戸。「宝来」の屋号。>浜松(二葉遊廓跡)高台に遊廓地を造成。「鴨江旅館街」の看板。>新居(飲み処かちどき)ボートレース浜名湖。>新居(小松楼まちづくり交流館)元芸妓置屋。建物の内部は当時のそのままの状態。>大鰐(若松会館)公衆浴場。橋端の湯「大鰐ホテル」があった場所。>大鰐(大鰐見番事務所跡地)昭和40年設立。>大鰐(大正5年の「大鰐温泉図」)加賀助旅館の跡地。>木造(佐野商店)ニッポンビールの琺瑯看板。>木造(傾いたスナックの建物)木造千代町。>木造(音屋食堂)趣のある木造母屋。丸い電灯。>木造(旅館銀嶺)戦前のカフェー銀嶺を建て替え。>木造(遊廓跡地)馬市がさかんだった頃が賑わいました。>木造(馬市で繁栄した松原)かつての飲食店街。>木造(神武食堂)駅前の店。人気メニューの担々麺。>鰺ヶ沢(白八幡宮の石製女陰)境内には、さまざまな石碑。比羅夫石。>鰺ヶ沢(水天閣)「割烹中むら」の名が入った徳利。>鰺ヶ沢(割烹「水天閣」跡)中村楼の主人が開業。>鰺ヶ沢(防火用水桶)水色のタイル。浴槽を転用?>鰺ヶ沢(漁師町の建物)新地町の北側の海沿いの町。>鰺ヶ沢(稲荷神社)かつての遊女町が見渡せます。寄進者に中村楼の関係者。>鰺ヶ沢(鰺ヶ沢遊廓跡地)津軽の吉原と言われ、遊女町として栄えました。>相良(岡本楼跡地)相良遊廓。後の山本旅館があった場所。>相良(遊女屋跡地)相良パーキングの所。廃業後は宿屋業。>焼津(アパートの建物)弁天地区。銀水楼の隣のアパート。松㐂寮。>焼津(銀水楼)屋号が残っています。タイルの円柱。>焼津(弁天と呼ばれた赤線地区)宗像神社のある瀬戸川に面した一角。>焼津(宗像神社)弁天という地名の由来。脇には平和プール。>焼津(オヨンナ小路)「お寄りなさいよ」が名前の由来。>焼津(ふたば食堂)昭和通り。前身は、お洒落な洋風飲み屋。>吉原(土手の伊勢屋)明治22年、吉原大門に創業。>吉原(「土手」の屋号)昔の名残が看板に息づいています。>吉原(旅館「白菊」跡)公娼廃止時は貸座敷。>吉原(おはぐろどぶ跡)段差が残っています。>吉原(吉原弁財天)芸大生らが壁画を制作。>吉原(鶴の湯)ラドン風呂の装置と傘入れ。>洞爺(うたごえ酒場)元キャバレー。「銀座新地」のある通り。>洞爺(銀座新地)温泉街のスナックビル。>洞爺(虻田遊廓跡地)丘の上の遊廓。明治33年に認可。>小樽(楽々亭)深夜営業専門店。赤提灯が似合うラーメン屋。>小樽(キャバレー跡)看板のみ残っています。>小樽(東京銀座)花園三丁目のスナックビル。>小樽(小町湯)明治10年頃湯屋が全身。北海道最古の公衆浴場。>小樽(妙見市場の公衆トイレ)河川上に建っています。>小樽(妙見市場)引揚者のためのバラック。>小樽(藪半)白鳥家別邸の石蔵を座敷として再生。>小樽(キャバレー「現代」跡地)白鳥家別邸を昭和23年に転用。>倶知安(満足食堂)味とボリュームが大満足。>倶知安(錦座通り)かつての料亭街。現在の都通り。>函館(津軽屋食堂)終戦後開業。小鉢は、ほとんどが100円代。>函館(なぎさ街)道路沿いのスナックビル。>函館(菊水小路)松風町の呑み屋小路。幻想的な灯り>函館(高橋掬太郎歌碑)酒は涙か溜息か。割烹冨茂登。>函館(新島襄海外渡航の地碑)売女に変装して日本を脱出。>函館(山ノ上町遊廓跡地)弥生小学校の西隣。>函館(地蔵寺の供養塔)「箱館新廓遊女屋細見一覧」に記載の屋号。>大釈迦(マンサード屋根のホテル)スチュワーデス風の二人。>大釈迦(モーテル廃墟)道路沿いに古城の外観。>大釈迦(駅近くのラブホテル群)国道101号線沿い。>青森(青森実地明細絵図)青森県立郷土館。>青森(第三新興街の公衆トイレ)小便器が向かい合っています。>青森(第三新興街)コの字型になっています。>青森(第三新興街のサロン)協会加盟店。年齢層は広めです。>青森(第三新興街)周囲が空地となり、建物の外観が見通せます。>大釈迦(観光ホテル「夢野温泉」)艶っぽい看板。>大釈迦(淡島神社の陰陽石)長さ5mの石体。。>五所川原(とんとん食堂)川端町の大衆食堂。>五所川原(川端町のスナック)親不孝通り。昭和40年のに振興街。>五所川原(ハイカラ町)大正時代は高襟町という呼び名。>五所川原(東町)かつての歓楽街の中心地。>五所川原(錦町赤線跡地)大正11年に開町。>一戸(鳥越ドラインブイン)ラーメン280円。建物の左側半分は旅館。>一戸(三桝楼跡)貸座敷は戦時中廃業し、料理屋に転業。>一戸(ニューハワイ)歓楽街の名残。かつて遊廓があった場所。>水沢(一力)生そばと洋食。異質の組み合わせ。>水沢(小岩井牛乳の牛乳箱)「まきば」。縦に二つ並んでいます。>水沢(立小便禁止看板)水沢区寺小路の「狸横丁」。罰金3万円。>水沢(河川上のスナック)乙女川の支流と道路が交差している場所。>水沢(公衆トイレ)横丁の後ろ側。右側が小便。左側が大便。>水沢(飲み屋横丁)やきとり屋の脇。現在は2軒が営業中。>水沢(勝手町遊廓跡地)道がクランク状になっている場所。>倉敷(えびす湯)美観地区の北側。「ゆ」と書かれた灯り。>倉敷(サンシャインビルの看板)駅前。いい店・いい人・いい出会いの街。>