町田(「たんぼ」跡)かつての面影はありません。

今回は、町田(東京都町田市)の町並みを散歩します。
通称「たんぼ」と呼ばれるちょんの間があったあたり。※1

ちょんの間の建物が場所は、現在は駐車場になっています。

逆方向から見たところ。

以前は、道路側から建物を見ることができましたが、現在はマンションやビルが建ち並んでいます。往時の面影はありません。

厚木(花街跡)現在は飲食街

厚木の芸妓の存在は、江戸末期にはあったとされ、江戸時代中期以降の大山参りの隆盛に伴い、遊興の地となりました。戦後、昭和29年には、「厚木三業組合」が結成されました。*1
厚木花街のあった寿町一丁目。北側の通りは飲食街になっています。

寿司屋や居酒屋が建ち並びます。

道がカーブしている場所。

料理屋と思わわれる屋号が残るお宅。

1970年代、厚木の料亭街には、芸者が150人ほどいました。*2

厚木(花街跡地)寿町

昭和30年代まで、厚木は、鮎漁と養蚕という観光・産業に支えられ、多くの料亭に出入りする芸者衆は、最盛期には100人近くを数えました。*1

昭和15年の花柳街の地図によると、この通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。*1

花柳街跡地の飲食店。

家紋が描かれた塀。

浅草(浅草三業会館)記念樹

浅草花街の歴史は古く、参詣客を集めた浅草観音の門前の茶屋に由来し、その時代は、明暦年間(1655~1657)にさかのぼります。*1

浅草花街の中心部に浅草三業会館の建物があります。

提灯。

レスリングの浜口京子選手の銅メダル獲得記念樹。会館の前に植えられています。

浅草(三定)日本最古の天ぷら老舗

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
「三定」は、中山の法華経寺の門前の茶屋の板招き※1 や成田山※2 にも名が記されている、江戸時代からの老舗です。

日本最古の天ぷら老舗です。

大かき揚げ(¥4,750)など、特大メニューもあります。

天丼とビールを注文。

船橋(割烹旅館玉川)国登録有形文化財

今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
船橋駅の南側。国道14号線(旧道)沿いから少し南は入ったところに、割烹旅館玉川があります。

風情のある和風旅館の建築です。

玄関付近。

割烹旅館玉川は、大正10年に営業を開始。内部は意匠の凝った小部屋が迷路のように配されています。かつて、この付近は埋め立てが行われる以前は海岸線であったことを偲ばせてくれる建物です。現在は、国登録有形文化財になっています(案内板より)。

佐原(稲荷神社)見番寄進の玉垣

かつて佐原の花街があった周回する小路※1 にある稲荷神社。

玉垣に、花街の関係者の名が刻まれています。
色川八十八(いろかわ・やそはち)は、歴史家の色川大吉さんの祖父で、佐原の芸者屋「鹿島家(かしまや)」の経営者で、妻を7人も変えた男として知られていました。*1

佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」の「小よし」で、明治32~3年頃の成田鉄道開業の頃には、芸妓百数十名にのぼり、毎夜、賑わいました。*2

花街の関係者の名が刻まれています。

佐原(周回する小路)旧花街

料理屋「寿茂登」※1 の裏側は、地元の方の話によると、かつての花街の中心地だったそうです。
小路の両側には、現在も料理屋が建ち並んでいます。

営業中の飲食店。

風情のある料理屋。

小路は、ぐるりと1周していて、元の大通りへ出ます。

佐原(花街だった通り)割烹料理屋が散在。

今回は、佐原(千葉県香取市)の町並みを散歩します。
佐原信用金庫のある通りは、かつては、置屋や料理屋などが建ち並ぶ通りでした(地元の方の話)。

現在も割烹料理屋が散在し、当時の名残を感じます。

料理屋らしき建物。

上野写真の料理屋の脇の路地。

西船橋(駅前のホテル)休憩専用?

今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します・
JR西船橋駅(北口)。写真奥は、西船橋駅です。

飲食店などが多い通りですが、雑居ビルの中に簡易なホテル。質素な看板です。

少し離れた場所にもう一軒。

レストホテル。休憩専用のホテル、という意味でしょうか。

佐原(カメラの三越)3階建て

佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。

現在は、休業中です。

写真左奥は、観光スポットの町並みです。

建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。

佐原(理容室)見番があった通り

佐原市街の東薫酒造の工場(写真左側)の西側の通り。

通りのつきあたりに、古風な理容室があります。

1階部分は水色。窓は白く塗られています。

地元の方の話によると、かつて、この通りの先には、花柳界の見番がありました(「駅前の看板に書かれていた二業組合とは、時代が異なるのでは」との話)。

佐原(旧二業組合跡地)小川路地

「昭和はじめの佐原の町並み」鳥瞰図と案内板※1 に記載の旧二業見番があったあたり。馬場本店酒造の東側の路地です。案内板に記載では、ここは小川路地と呼ばれていたそうです。鳥瞰図に記載のある、この路地の出口にある小川薬局(現存)が路地の名前の由来かもしれません。

長く続く板壁を持ったお宅。

古い建物のようです。

逆方向(北側)から見たところ。

佐原(昭和初めの佐原の町並み)佐原駅前

今回は、佐原(千葉県佐原市)の町並みを散歩します。
JR成田線、佐原駅前に「昭和初めの佐原の町並み」地図が掲示されています。隣に現在の地図も同じ方角で掲示されているので、解りやすいです。

当時の町並みが鳥瞰図で表されています。

馬場本店酒造の東側に「二業組合」と記されています。

隣の現代版の地図にも、「旧二業組合」の記載

成田(オートパーラーシオヤ)

成田市猿山にあるオートパーラシオヤ
千葉県の希少なレトロスポットです。*1

店内には、うどんの自販機やハンバーガーの自販機が設置されています。

ボンカレーの自販機。現在は故障中のようです。

天ぷらうどんとハンバーガーを頂きました。

成田(和風スナック「東洋」)花崎町

JR成田駅から、「成田山近道」の坂道を下っていくと、和食店があります。
「赤線跡を歩く」に掲載されている建物です。

道路に面した側が正面です。入り口があります。「お食事処東洋」と書いてあります。

路地に面した側は、スナックになっています。店の名は「パブ.スナック東洋」となっています。書いて斜め取ってのドアがあり、まるで赤線建築を思わせるようなデザインです。

「パブ.スナック東洋」の看板。

成田(歌舞伎役者奉納記念碑)楼名が刻まれています。

JR成田駅東口を出たすぐ北側。権現神社の裏側に高台のような土地があります。そこに石碑が集まった場所があります。

市川八百蔵(やおぞう)、市川高麗蔵(こまぞう)など、歌舞伎役者の名跡が刻まれています。
一番左側には、浅草雷門 三定。※1

石の塀には、楼名など、おびただしい数の名前が刻まれています。

高台の北側。

下総中山(田中家)吉原遊廓の楼主がつくった講の板招き

京成中山駅から約500m。市川市にある中山法華経寺(写真奥に見える五重塔は、国指定重要文化財)。
参道沿いに茶屋の「田中家」があります(写真右手前)。

店内に掲げられた板招き(いたまねき)*1

吉原遊廓の楼名。

地元の方の話によると、「板招き」はケヤキの板で作られ、当時(明治時代初期)は文字部分は金粉で装飾されていたそうです。店内には、上野や浅草の料理屋の名が刻まれたものも掛かっています(写真左側の「三定」は、現在も浅草で営業中の老舗)。

下総中山(スナック街)こみち通り

今回は、下総中山(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
JR下総中山駅前にある、通称「こみち通り」と呼ばれる飲み屋街は、小規模ながら飲食店やスナックが密集している通りです。

西側の通りにもスナックが連なります。

駅側に回り込んだ路地。

木造家屋のスナック店。

西船橋(雀荘)女流棋士の店

今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。西船橋駅前の通りは、予備校の大きなビル、大型の娯楽ビル※1(写真左側)など多彩な顔ぶれです。

交差点の角を曲がったところ。雀荘が入っている雑居ビル※2です。最近は女流棋士が増えているようです。

店の前に多数の写真が張り出されています。

3が雀荘、4Fが風俗店受付です。

歌舞伎町(三経ビル)ポストモダン建築

ホテル「白川郷」(写真左手前)の並びにある三経82ビル。
一見普通のビルに見えますが、アメリカで出版されたポストモダン建築の本の表紙を飾りました。*1

1階には、飲食店が入っています。ビル脇に2階(ホストクラブ)へあがる階段があります。

三経82ビルから北へ約30mにある三経75ビル。頂上部分が特徴的な形状です。

ホストクラブなどの風俗店が入居しています。

歌舞伎町(新宿センター街)思い出の抜け道

今回は、歌舞伎町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
風林会館前に、現在も闇市の風情を残す横丁が残っています。*1※1
最近、「思い出の抜け道」と書かれたゲートができ、整備されたました。

少し奥へ進むと、以前の雰囲気が残っています。

南側の通路。

屋台のような店舗も健在です。

上野(アメ横センター地下食品街)日本の中の異国

上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1

地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。

中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。

魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。

上野(アメ横)舶来品の殿堂

上野四丁目に位置する通称“アメ横”は、上野駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下500メートルの商店街とアメ横本通りをはさむ西側商店街の集合体です。*1

朝鮮戦争の頃、米兵がアメ横に横流し物資を持ち込んできたこをきっかけに、昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販されました。*2

その後、アメ横は、“舶来の殿堂”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなりました。*2

アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安く販売することができました。

上野(オオクラ劇場)

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。

以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。

この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。

2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。

池袋(ロサ会館)昭和43年竣工

西池袋に建つロサ会館は、昭和43年に竣工した娯楽ビルです。*1

ロサはスペイン語で「薔薇」という意味です。*1

開業当初、1階にゲームセンター、5階までほぼ飲食店で埋まり、6階と7階に池袋ロサボウルが運営されました。*1

開業当時、四階以下は亀甲型のアルキャストパネルを使用し、ゴールド・シルバー・アイボリー系を主調とし、娯楽センターにふさわしい派手さと豪華さを表現しました。その後、1989年、ロサンゼルスのピンク色の建物に感銘を受けた現社長の伊部季顕が、ピンク色に染めようと発想し、現在に至っています。*1

池袋(激安居酒屋)駅北口前

池袋駅北口前の2階に珈琲「伯爵」が入るビル。

地下1階に24時間営業の居酒屋があります。3杯券、5杯券など、とにかく飲み物が安いのが特徴です。

えだまめ250円など、つまみも安価です。

食券を買って、それにテーブル番号を書いて注文カウンターへ持っていくのがルールです。
ホッピーセットと枝豆、そして、人気メニューのかけそば(200円)を頂きました。

池袋(のとや会館)ヤミ市の最後の賑わいの頃に開業

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1

翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1

このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1

現在も残る「のとや」の文字。

浅草橋(首尾の松)

今回は、浅草橋(東京都台東区)の町並みを散歩します。
隅田川沿い(蔵前橋の西側)に松の木が生えている場所があります。

「首尾の松」の碑。

「首尾の松」の由来については、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところから、という説があります。(案内看板より)

隅田川沿いの名所江戸百景のモニュメントで紹介されている「首尾の松」。

銀座(三州屋)老舗大衆割烹

銀座2丁目の並木通りにある細い路地の突き当りに、名店「三州屋銀座店」があります。奥まった場所にあるから昼から呑むには都合がいいそうです。*1

1968年創業の老舗割烹です。*1

名物は鳥豆腐、カキフライなど。*1

店の入口から、路地を振り返ったところ。

銀座(金春小路)花街の路地

かつて、置屋や待合が並ぶ花街だった銀座8丁目の金春通り。近くには、銭湯の金春湯もあります。※1
金春小路(こんぱるこうじ)と書かれた小さな看板。

小路の入口は非常に小さく目立ちません。

かつての花街の路地は、現在はバーやクラグが引き継ぐ夜の街の路地となっています。*1

L字型の路地はさらに奥へ続き、反対側の通りへ出ます。

銀座(路地の中の自動ドア)通り抜けできます。

銀座七丁目の豊岩稲荷※1 から煉瓦街時代のI型路地をさらに北へ向かいます。

突如、現れる自動ドア。

自動ドアには「通り抜けできます。」と書かれてあります。ドアを開けて中へ入ると喫茶店の店内に通じていて、その奥にまた自動ドアがあります。

銀座グリーン97のビル内に作られた銀座通りから裏通りに抜ける短いⅠ型路地。写真の左右方向に自動ドアあがあって、豊岩稲荷から続く古いI型路地と交差します。

銀座(豊岩稲荷)銀座煉瓦街時代の名残

銀座七丁目に130年以上も前の煉瓦街建設のときにできた、最も銀座らしい路地空間がいまも健在です。*1

この路地は、煉瓦街建設のときにつくられたI型路地で、銀座通りや裏通りに面する通用口として機能し続けてきました。Ⅰ型路地を進むと、朱色に塗られビルの壁のところに豊岩稲荷があります。この稲荷は古くから水商売の人たちの信仰されてきました。*1

お稲荷さん。お供え物の油揚げは豊富です。

江戸時代初期からある稲荷神社です。

銀座(三愛ビル)銀座のランドマーク

1963年開業の三愛ドリームセンターは、現在も銀座のランドマークとして君臨しています。

2階の喫茶店の窓際席からは、銀座の景色を楽しめます。

3階のビルからは下着姿の女性が交差点を見下ろしています。

2階の喫茶店からの眺める銀座の風景。

銀座(出世地蔵尊)三越屋上

銀座三越の屋上。

中央がお堂。左側に石像があります。

お地蔵さんは、現在の三越の裏手にあたる空地にあって、人々の信仰の対象になっていましたが、戦後になると、お地蔵さんは、キャバレー「美松」※1 の中庭につくられた祠に安置されました。ところが、昭和27年の秋に「美松」が火事に遭い、お地蔵さんは行き場をなくしました。昭和43年になってやっと安住の地を三越屋上に得ることができました。*1

お堂の中には、小さなお地蔵さん。

銀座(美松跡地)三越裏

現在の三越百貨店新館がある場所には、かつて大型キャバレーの「美松」がありました。

昭和15年(1940年)、まだキャバレーという言葉がなかった時代(当時はカフェーと呼ばれていた。)に、大阪で「赤玉」などをやって当てた榎本正・明三兄弟が、女給が何百人もいるような「銀座会館」「美松」などの店をつくり、東京中を席巻しました。*1*2

戦後も1946年に営業を再開し、戦後を象徴する名門キャバレーとなりました。

昭和37年、保証金の高騰を理由に突然閉鎖。その後、三越に売却されました。

銀座(三原小路隣の袋小路)2階建ての長屋形式の店舗

今回は、銀座(東京都中央区)の町並みを散歩します。
三原小路近くに今も奇跡的に残る袋小路があります。
明治の終わりころ、この付近には、質商「江島屋」が所有する大規模な土地がありましたが、質商は、農地解放とともに施工された戦後の財産税でことどとく土地を失い、この路地が誕生しました。*1

半世紀ほど時間が巻き戻ったようなゲート状の看板。*1

袋小路になった路地。

2階建ての長屋形式の店舗。周囲のビルとの景観のギャップの大きさには感動します。

日本橋(老舗カレー店)開業50周年

東京駅八重洲地下街にあるカレー店。
店内の張り紙によると、今年で開業50周年だそうです。

東京駅で290円は驚愕です。

人気No.1はチキンカツカレーだそうです。

チキンカツカレーを注文。
スプーンは、昔の学校給食ではお馴染みの、先端がフォーク状になっている先割れスプーンです。

高田馬場(グリーン企画跡地)ビニ本出版社

早稲田通りに面した場所に、かつてビニ本出版社として名を成したグリーン企画の入る雑居ビル「原田ビルマンション」がありました。*1

「原田ビルマンション」は、現在は、成城石井が入る巨大ビルに生まれ変わっていますが、当時の「原田ビルマンション」は、1階はやきとり屋や定食屋がのれんを出す庶民的な雰囲気で、二階に公衆浴場がありました。301号室にグリーン企画がありました。*1

70年代半ば、高田馬場の神田川に近いアパートの一室に創業したエルシー企画は、自販機本「Jam」を出版しました。*1
自販機本は、悪書として扱われ追放運動が行われた地域もありました。※1

グリーン企画は、その後白夜書房に発展。「写真時代」は赤瀬川原平さんの「路上観察学トマソン」などの連載もあり、大ヒットしました。*2

高田馬場(日本館)昭和11年に始まった学生向けの下宿屋

国旗掲揚塔※1 のある通りを南へ進んだ四つ角にある下宿屋の日本館。昭和11年に始まった学生向けの下宿屋です。

玄関。

部屋数は約30室。

穴あきブロック塀の下に、穴あき状に石材を平積みした構造。

高田馬場(国旗掲揚塔)東京オリンピック

早稲田通りの馬場口交差点から南へ折れ、階段になっている歩道を上り切ったところにある馬のモニュメント。

馬のモニュメントの先に、国旗掲揚塔が鎮座しています。

諏訪町会国旗掲揚塔。1964年(昭和39年)の東京オリンピック東京大会を記念して建てられたものです、日付は10月24日となっています。
千駄ヶ谷で見かけた国旗掲揚塔※1と同じく、町内会が建てたものです。

国旗掲揚塔から北側。写真左奥が「馬のモニュメント」です。

高田馬場(老舗蕎麦店)早稲田の旗

早稲田通り沿いにある老舗蕎麦店。ここも2階は学生ローン※1 です。

蕎麦だけでなく、丼ものも充実しています。

店内には早稲田の旗。昭和15年頃まで早慶戦で早稲田が勝つと、商店街に掲げられたそうです。

うな丼セット(980円)と日本酒を注文。

高田馬場(駅前の看板)学生街の学生ローン

今回は、高田馬場(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
高田馬場は、学生の町です。この町には「学生ローン」と書かれた看板を多くみかけます。

1977年から続く老舗店。

1階が蕎麦屋、2階が学生ローン

電柱の張り紙。

新小岩(千代の湯)ハイカラ銭湯

新小岩駅の北。駅前の繁華街からは離れた住宅街に銭湯の千代の湯があります。

シンプルな外観。

レトロな銭湯でありながら、ハイカラな感じの銭湯です。
浴室の背景は、常夏の海をイメージした海岸の絵。天井は、水色、グリーン、肌色の3色模様、と独特の雰囲気です。

コインランドリーが併設。

新小岩(商店街「一番街」)エステ看板

新小岩駅南口の繁華街は、街全体が碁盤の目のように区画されていて、それぞれの街路が商店街となって南東方向へ続いています。
ルミエール商店街の1本隣の商店街「一番街」もそのうちの一つです。

この通りは、エステが多いです。

さらに南東へ行ったところにもピンク色の看板。

健康マッサージ。

新小岩(スナック街)赤線跡地近く

今回は、新小岩(東京都江葛飾区)の町並みを散歩します。
新小岩駅南口から、ルミエール商店街を約500m。かつて赤線があった場所※1 の近くにスナックが密集する一画があります。

通りから細い路地を入ったところにも店が建ち並んでいます。

レトロなスナック。

狭い通路を抜けると入口がありました。

日本橋(花街跡)横丁や路地に遊興の歴史

今回は、日本橋(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の八重洲一丁目付近は、江戸時代の市街造成期からの古い町並みです。明治維新後は、新時代を代表するような近代諸会社とこれと全く対照的な下町の商店や芸者屋・待合が奇妙に混在する町でした。*1

検番があったあたり。*2

旧花街の南端。「浮舟」は、昭和の初めからある老舗です。*3

日本橋芸者の起源は、安永6年(1777年)、平松町(現高島屋辺り)に芸者がいたことが、「妓者呼子鳥(げいしゃよぶこどり)」に書かれています。*2

小岩(日活映画館跡地)旧スカラ座

小岩駅南口の商店街「フラワーロード」を南下し五差路を左に折れます。

電柱には「日活」の文字。

かつて、この場所には、日活の映画館がありました。1968年頃までは、日活の名を冠し、その後はスカラ座と改名しました。

南小岩コミュニティ会館、全景