江渡武多朗十和田市流通業界今昔物語附・十和田市流通業界のぞきみて歩きの記 皆さんの新聞社1976
P.60-P.61 飲み屋街のビックスリー
 戦後間もない頃、浜田恵美子女史が、京都、大阪の美人ホステスを動員して産馬通りに「民謡酒場」を開業したのが当たって、昭和38年、東三番街に進出。「サロン花園」と「割烹大坂屋」を新築開店し、昭和48年には、小川原開発ブームに乗っかり大改造した「割烹大坂屋」は、京都風の料亭さながらに、部屋と部屋の間に小庭園を配し、これに流水をあしらったもので、〽盃上に美見、盃下に山水を望む〽という憎らしい程の演出が、お客の原始的本能にアッピールした。  昭和25年、東三番町の一画に風来坊の如く登場した菊地正一氏(愛称、菊正さん)が、焼鳥、カストリ屋から身を起こし、「クラブこけし」「割烹こけし」を開店。  ビックスリーの三番手の登場は「湖畔グループ」である。昭和35年、東三番街の一隅に「バー湖畔」を開業したとたんにヒットした。ヒットの要因は、マダム(田鶴子女史)の絶世の美貌とセクシーな声色、そして三人のお客様に対し同時限に於いて、脱連鎖反應的にサービスができるという特技に、お客の「モテたい心理」はくすぐられた。
P.39 飲食店街の急速成長
 大正初期以降、戦時中を除き昭和三十年代中期まで、紅灯と提灯を表看板として、お座敷中心の日本料理に、芸者、弦歌、日本民族舞踊の三大サービス要素をふんだんに盛り込んで、一心亭、東洋軒、双葉、忍亭、竹千代、等、花柳街の老舗が繁栄した。昭和40年代はキャバレー、スナック、バー等の登場となり、昭和48年度の調査では、十和田市の飲食店等の数は、料理店19軒、バー21軒、スナック252軒、その他(モーテル・簡易旅館等)161軒で、黒石市、五所川原市をはるかに凌駕した。
P.15 料亭方面
料亭方面を探訪すると、代表的なものに、一心亭(産馬通り)、忍亭(五丁目東裏)があった。共々に通りに面した門柱とか、二階ひさし或いは玄関などに趣向をこらした提灯、洋燈をとりつけ華やかな雰囲気をだしている点が印象的だ。