牛深の久玉町内ノ原(バス停「うしぶか温泉前」のすぐ近く)に、「マキュン橋」という名前の橋があります。上海公安局警視総監をしていたイギリス人、ケネス・ジョン・マキュンは、現地で結婚した夫人の小田ミキさんの故郷に昭和2年(1927年)以来住んでいました。マキュン橋は、そのマキュンが寄付した橋です。*1
小田ミキさんは、決して妾でも「からゆきさん」でもなく、上海への出稼ぎ人で、たまたま外国人と結婚して故郷へ帰ってきました。*1
カタカナで「マキューン橋」と書かれています。
ひらがなでは、「まきゅうんはし」。
こうした奉公は、商品経済の浸透した天草地方によくある出稼ぎの展開の一部でした。
【参考文献】
*1 森栗茂一:夜這いと近代買春(明石書店,1995)P.90-P.91
「牛深(マキューン橋)マキュンが寄付した橋。」への4件の返信
からゆきさん=売春婦ではなく天草からの中国、東南アジアへの出稼ぎと考えれば文字通り『からゆきさん』だと思います。
今、マキュン橋の袂でコメントしています。子供の頃牛深炭鉱に勤めていたマキュンさんの子供のボギーさんが野球の試合に出ていたのを記憶しています。
佐々木さん
ご指摘ありがとうございます。不明瞭な記述でしたので、文面を削除させて頂きました。
マキュンさんの子供さんをご存じなのですね。深いお話、ありがとうございます。
貴重なお話とコメントを有り難うございました。
小田ミキさんの親戚にあたる母が牛深の思い出の中に、この橋の名前が出てきます。
若い頃は中々この話を出すことはありませんでしたが、老衰になりよく出るようになりました。
小さな町のことですから、当時は色々な憶測が出たと思いますが、母は子供心に
色々と感じる事があったのでは?と思いこの記事を読ませて頂きました。
是非、親族としてこの場所に足を運び橋を胸を張って渡りたいと思います。
長澤さん
コメントありがとうございます。
人名を冠した橋には、その土地の歴史や人々の思い出が刻まれているようですね。