前沢辰雄上州倉賀野河岸前沢辰雄1965
宿場女

p.106
太鼓橋が当時板橋で地盤が低く、夕立雨の大きいのが来ただけでも五間堀が増水。絶えず流失の憂き目をみたのではなかろうか。それを遊女の金で石橋にした。またそれがために最近まで何十万、何百万という人々が通行して便宜を蒙(こうむ)ったのであるから遊女にだいぶん世話になっていたわけである。その人達の冥福を祈る意味でも、ここに当時の遊女の名を幾つか列記し宿場の花に捧げよう。
新屋内 たせ
三国屋内 里ん
三浦屋内 たけ
金沢屋内 きい
玉屋内 ます ひろ
舛屋内 やそ きん いと
梅沢屋内 とら よし みよ
三国屋内 川禰
三蔦屋内 きん くに 佐わ