宇和島市築地町の北側(住吉町2丁目)にあるホテルコーラル宇和島。
駐車場の隅に石碑があります。
「築地建設記念」と彫られています。
石碑には、「昭和四年宇和島市港湾改修ノ進捗ニ伴ヒ須賀川附替ノ議決スルヤ河身北陽ヲ貫クヲ以テ市長山村豊次郎深ク之ヲ憂ヒ関係業者ヲ融通シテ花街移転ノ計画を樹ツ...(後略)」と移転の経緯が説明されていて、この碑が、築地花街が建設されたことを記念して建てられたことがわかります。
須賀川は、降雨の際の大量の土砂が港の機能を失わせることから、幕藩時代から伊達家により附替が計画されていましたが、昭和の時代になりようやく実現されることとなりました。そのとき問題となったのが須賀川の付替えによりその場を失うことになる北陽花街の移転問題でした。移転先の築地が未開の地であることから、反対意見があり、結局、築地に移転する業者と北陽に残る業者に分かれることとなりました。*1
昭和6年の古地図*2 を見ると、建設中の須賀川と北陽、築地の両花街が記されています。
【参考文献】
*1 宇和島市誌編さん委員会:宇和島市誌(宇和島市,1974)P.200-P.217
*2 宇和島市街地図(1931)