今回は、福井(福井県福井市)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代、現在の福井市立足羽小学校のかいわいに花街があって、多くの遊女や芸人たちが住んでいました。*1
日本遊里史*2 には、福井市玉井町に遊廓があったことが記載されています。
玉井町は旧地名で、現在は存在しませんが、昭和24年の「福井市街図・都市計画予定図」*3 を見ると、足羽小学校の北東に玉井町の記載があります。
幕末の国学者で歌人の橘曙覧(たちばなのあけみ)は、この花街に通い始め、売れっ子の遊女「やお」のとりこになり、ついに実家(商店)の大金を持ち出して彼女と駆け落ちしてしまいました。その後、二人は見つけられて福井へ戻されましたが、曙覧の花街通いは結婚した後も止まらず、やおとの関係は続きました。このようなことは、当時の庶民ならよくあることですが、国学者の橘曙覧といえでも、やはり聖人でもなければ賢人でもなかったという証だったといえます。*1*4
曙覧が子供たちのために書き残した家訓があって、これが足羽小学校の校歌の中に歌い込まれています。*1
「うそつくな」「もの欲しがるな」「からだだわるな(なまけるな)」という3つの戒めは、自分の欲望を抑えて誠実にいきることが曙覧の生涯であったことを表しています。*4
九十九橋南詰め付近に曙覧の生家跡の碑があります。若き日の曙覧はここから花街に通いました。
【参考文献】
*1 福井女性風土記 P.164-P165
*2 上村行彰:日本遊里史(文化生活研究会,1929)P.576
*3 福井市:福井市史.資料編 別巻(福井市,1989) P.222-P.223 福井市街図・福井市都市計画予定図
※福井市街図・福井市都市計画予定図には、古い道路と都市計画後の道路が重ね合わせて示されているので、現在の場所を推定することができます。
*4 上坂紀夫:こころ豊かに曙覧を歩く(福井県,2000)P.2,P.3,P.16