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第73号2011.11.29 リンク

■料理旅館「鴻月」
鴻月は当初、里見八景園の一事業であったが、閉園・終戦後も1976(昭和51)年まで50年以上、営業を続けていた。その建物は、東京鶯谷に江戸期に建設されたという「料亭 志をばら」を移築したものであった。移築の際、川畔に建設するため、江戸川を使って建材を運んだという。このことから当時はまだ未だ江戸川の舟運が利用されていたことがわかる。
遊覧客の多くは、鴻月が経営していた渡し舟を使ってやって来たため、鴻月では桟橋をのばして客を迎え入れた。また、渡しの他にも遊船事業を行っており、遊覧船も数隻所有していたという。
終戦前、国府台地域は三業地であったため、置屋も複数あった。市川市には3つの見番があり、鴻月は国府台の市川三業地組合に属していた。
鴻月には戦後、江戸川乱歩やサトウハチロー、井上ひさし氏らのような著名人が訪れることもあった。しかし、1976年に行われた江戸川の土手の造成工事のために、国土交通省より立ち退きを命ぜられたことで、鴻月は閉業する。