三次(御籠屋清三郎の墓)芸者衆がたてた墓です。

松原稲荷通り(大正町)の入口の坂道の途中から石段を降りていく昔の道があります。この道の右手の町並みは土手の斜面に建てられているので、こちらからは家の裏側を見せています。左手の家並みは、6、7軒で途切れて墓地となります。*1

その墓地に、御籠屋清三郎(おかごやせいざぶろう)の墓があります。

古い自然石の台石の正面に「げいこや中」と彫りこまれ、さらに、世話人として芸者さんの源氏名と思われる名前が13人分書かれています。「げいこや」は、「芸子屋」で、団体などを示す「社中」や「連中」の「中」です。墓の傍の由来のを書いた石碑によると、この墓は、剣術師範の御籠屋清三郎が、試合上の逆恨みから、闇討ちに遭い憤死したことに対し、芸者衆が哀悼の志により建てられたものということです。*1
御籠屋清三郎は、相当女性にもてたようです。

少し行くと、右手に狭い石段があり、松原通りに通じています。三次の町が出来て以来、何百年もの間、悲喜こもごもの思いを抱いた人たちが上り下りして磨り減った石です。とりわけ花街になってからは、不遇な女性たちの涙が沁みた石段でもあります。*1

【参考文献】
*1 菁文社:みよし街並み歴史散歩 三次・十日市・八次・酒屋編(菁文社,2007)P.30-P.31

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