コザの西側、中頭郡嘉手納町の国道58号線の途中に比謝橋があります。
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ここに吉屋チルーの歌碑があります。
吉屋チルーは、1650年、現在の恩納村に生まれました。家ははじめは裕福でしたが、父親が尾類(ジュリ)買いに精を出しすぎて、たちまち貧困になり、そのため、13才の吉屋チルーは、仲島遊廓*2 に売られることになりました。*1
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「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」という歌が刻まれています。これは、吉屋チルーが、父親に手を引かれてはるばる売られていく道中に詠んだものです。街道の比謝川にかけられた木橋、この比謝橋は、きっと無情な人が私を渡らせようと思って、かけておいたのだろう。この橋さえなければ、私は尾類(ジュリ)になぞ売られて行くこともなかったろうに、とうたっています。1
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吉屋チルーは、現在でも沖縄では知らない人のない天才歌人でした。*1
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【参考文献】
*1 富村順一:琉球慰安婦 天皇制下の闇の性(玄曜社,1977)P.27-P.28
【参考記事】
*2 風俗散歩(那覇):仲島の大石(2009.1)