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杵築(近藤医院)日本人オペラ歌手の草分け。

杵築の城下町には、江戸時代からの町家の遺構が数多く残されています。*1

北新町の近藤医院は、一部に洋風建築を模した部分がある明治42年の建物ですが、元は「旭屋」という屋号の遊廓の建物でした。*1*2
この建物には、日本人オペラ歌手の草分けとされる藤原義江さん(藤原歌劇団の創設者)が幼少の頃に居住していました。*3
藤原義江さんの女性遍歴は有名でした。雑誌の取材記事「果てしなき”性”への執念<告白>(わが老後の性生活)」*4 の中で、当時74歳だった藤原さんは、次のように述べています。
「私には恋愛のない日はない。毎日が恋愛を食べているようなものだから。恋愛の相手の女性はそう、下は10代から上は60代まで数限りなくいたが...」

背後に建つ3階建ての客室は、大正8年の建物です。*1

内部には庭園があります。

【参考文献】
*1 杵築市:伝統的建造物群保存対策調査報告書(杵築市教育委員会,1981)P.75,P.91
*2 松川洋輔,他:日本建築学会研究報告. 九州支部.計画系(2006)「近藤医院(旭屋建物・三階楼)についての実測調査による研究」P.757-P.760
*3 藤原義江:藤原義江(日本図書センター,1998)P.13-P.15
*4 藤原義江,他:潮(1972.11)P.240-P.241「果てしなき”性”への執念<告白> (わが老後の性生活(特集))」

参考文献

参考記事

「杵築(近藤医院)日本人オペラ歌手の草分け。」への2件の返信

わーい。久しぶりに、実家の様子が見れて嬉しいです、この前 行こうと思ったら10年ぶりなんで道を忘れて行きつかなかったので凹んでました。
父の藤原信行は近藤産婦人科の看板が付いている部屋で生まれました。父よりも長生きしている建物に尊敬の念。
私も、いろいろ思い出があり中庭を見ると懐かしさで涙が溢れます。2020年に義江お爺ちゃんの銅像ができたこと本日知りました。想い出が多すぎて、溢れ出し嬉しくなりました。銅像建立は大分市在住の私でも気づかなかった。杵築市にある藤原家のお墓を立派に守っていかなければと思わせる画像に感謝🥲です。

藤原さん
杵築は、城下町の風情がすばらしく、印象に残っています。
銅像見てみたいですね。

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