祝町にある願入寺。
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願入寺の入口に、「竹楽房翁銅像入口」と書かれた石柱があります。
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明治時代、祝町遊廓の引手茶屋の主人だった渡辺精作は「竹楽房」と称し、磯節の作者として知られています。竹楽房は、遊女たちに文芸の趣味を与え、都々逸を作らせたりしました。*1
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「磯で曲松、湊で女松、中の祝町、男まつ」と祝町遊廓は、磯節に唱われました。*2
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【参考文献】
*1 山形雄三:祝町昔がたり(山形雄三,1981)P.74
*2 伊藤純郎:三浜漁民生活誌(崙書房,1990)P.51
祝町にある願入寺。
願入寺の入口に、「竹楽房翁銅像入口」と書かれた石柱があります。
明治時代、祝町遊廓の引手茶屋の主人だった渡辺精作は「竹楽房」と称し、磯節の作者として知られています。竹楽房は、遊女たちに文芸の趣味を与え、都々逸を作らせたりしました。*1
「磯で曲松、湊で女松、中の祝町、男まつ」と祝町遊廓は、磯節に唱われました。*2
【参考文献】
*1 山形雄三:祝町昔がたり(山形雄三,1981)P.74
*2 伊藤純郎:三浜漁民生活誌(崙書房,1990)P.51