中島に遊廓の許可がおりた時期につきては諸説ありますが、中島にあった宿屋が料理屋となり、そこの仲居などが芸者の鑑札を貰ったことなどが混線して明治6年頃に遊廓の許可になったと言われています。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/26/51/e0073751_23273720.jpg?w=450&h=300)
東中島・西中島には、現在も遊廓の遺構と思われる建物が残っていて、中でも西中島には、当時の雰囲気が残されている一画があります。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/26/51/e0073751_23274550.jpg?w=450&h=300)
入口に屋号が残る建物。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/26/51/e0073751_2327485.jpg?w=450&h=300)
道の両側に建物が並んでいます。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/26/51/e0073751_23275625.jpg?w=450&h=300)
【参考文献】
*1 岡長平:色街ものがたり(日本文教出版,1969)P.60
中島に遊廓の許可がおりた時期につきては諸説ありますが、中島にあった宿屋が料理屋となり、そこの仲居などが芸者の鑑札を貰ったことなどが混線して明治6年頃に遊廓の許可になったと言われています。*1
東中島・西中島には、現在も遊廓の遺構と思われる建物が残っていて、中でも西中島には、当時の雰囲気が残されている一画があります。
入口に屋号が残る建物。
道の両側に建物が並んでいます。
【参考文献】
*1 岡長平:色街ものがたり(日本文教出版,1969)P.60