遊廓があった横町通り沿い。
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小さな神社があります。神社の名前は記されていません。
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「坂城の宿場と遊廓」*1によると、明治16年に遊廓設置についての願書が提出されましたが、そのときの惣代に、馬場吾三郎、佐々木長一郎の名前がありますが、この2名の名が玉垣に刻まれています。
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明治27年6月建立。遊廓の設置の関係者は、当時の町の有力者だったことがわかります。
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【参考文献】
*1 中沢勇:坂城の宿場と遊廓(信濃書籍出版センター,1978)P.42
遊廓があった横町通り沿い。
小さな神社があります。神社の名前は記されていません。
「坂城の宿場と遊廓」*1によると、明治16年に遊廓設置についての願書が提出されましたが、そのときの惣代に、馬場吾三郎、佐々木長一郎の名前がありますが、この2名の名が玉垣に刻まれています。
明治27年6月建立。遊廓の設置の関係者は、当時の町の有力者だったことがわかります。
【参考文献】
*1 中沢勇:坂城の宿場と遊廓(信濃書籍出版センター,1978)P.42