相生橋を渡った御船屋(現在の船屋町)には、御船屋遊廓があって、明治10年頃に隆昌を極め不夜城を現出しました。写真の通りの両側に、一力、いろは、末永屋、三浦屋、丸国、松月(のちの七福)、花月、などの貸座敷が9軒建ち並び、娼妓30名、芸妓28名の規模でした。*1*2
かつての松月(のちの七福)と思われる建物(七福旅館)。
当時の面影が残る唯一の建物です。
奥行のある大きな建物です。
【参考文献】
*1 伊万里市郷土研究会:烏ん枕 第81号(2008,伊万里市郷土研究会)P.27,P.30 「伊万里町町並み復元図(三)」
*2 伊万里商工会:伊万里案内(伊万里商工会,1927)P.73,P105