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佐渡(水金遊廓跡)230年続いた遊女町

相川最初の遊女町は山先町(現在の相川会津町)にありましたが、享保2年(1717年)、相川町北端の水金町へ移転しました。入口(写真奥)には、吉原風に大門が建ち、通路は本町通りと呼ばれ、大門から入ったところに山手へのびるもう一本の小路(写真左側)があり、その本町の東側の角(写真左手前)に「大黒屋」がありました。*1

大黒屋跡。現在は空地になっています。*2

水金川にかかる橋の名前は忍橋といい、一尺四方の丸木六本を束ねた橋になっていましたが、いまは、三日月形に組み合わせた半円形の石橋が残っています。町割りは水金川をはさんで南北(写真の左右)に区画されました。*1

「たまや」という屋号の看板が残っていました。

【参考文献】
*1 磯部欣三:佐渡金山(中央公論社,1992)P.242-P.248
*2 浦和光:佐渡の風土と被差別民(現代書館,2007)P.58 和賀正樹「遊行する聖性」

参考文献

参考記事

「佐渡(水金遊廓跡)230年続いた遊女町」への3件の返信

『たまや』の屋号の看板は私の伯父がしていた民宿「たまや」のものだと思います。民宿「たまや」があったところは、かつて遊郭『たまや』の敷地でした。昭和の初めに祖父母の結婚に反対した祖父方の曽祖父が祖父を家から勘当したのち、私の祖母方の曽祖父が祖父母のために用意した土地だと聞いています。祖父は大地主の次男、祖母は商家の長女でした。士農工商の身分差別が残っていた時代のことです。

田中さん
「たまや」は、民宿だったのですね。
貴重な昭和の初め頃のお話、ありがとうございます。

田中正治様
遊廓に関心を持っている者です。この度、佐渡に伺うので、もしよろしければお話を伺えれば幸甚です。

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