北上(旧黒沢尻町)の遊廓は、新穀町にありました。*1
新穀町は「西裏」と称され、小料理屋と遊廓が集中した新開地で、いわゆる赤線区域でもありました。新穀町の入口には、広瀬川にかかる「賑橋(にぎわいばし)」があって、この橋から西が遊廓の免許地で、馬喰、鉱山関係者などで賑わいました。*2
現在、賑橋はありません。
賑橋があったと思われる場所(駐車場脇)には、小さな水路が流れています。
かつて賑わい橋がかかっていた広瀬川の名残でしょうか。
【参考文献】
*1 全国遊廓案内(日本遊覧社, 1930)P.120-P.121
*2 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.57「西の玄関口・新穀町」