「割烹旅館川源」の山側の通り。
ここには、かつて「碇屋」という屋号の遊女屋を営んでいた家(二階の欄干や座敷の書院窓などに当時の名残)がありました。*1
現在、建物は取り壊されて更地になっています。
遊女屋だった建物は、その後、櫓(やぐら)屋に転用されました。当時、造船業が栄えた牛窓の町には6軒の櫓屋がありました。*1
敷地の裏側は海です。櫓屋となってからは、材料や製品の出し入れを海側から行いました。*1
【参考文献】
*1 谷沢明:瀬戸内の町並み(未来社,1991)P.419,P.439
「割烹旅館川源」の山側の通り。
ここには、かつて「碇屋」という屋号の遊女屋を営んでいた家(二階の欄干や座敷の書院窓などに当時の名残)がありました。*1
現在、建物は取り壊されて更地になっています。
遊女屋だった建物は、その後、櫓(やぐら)屋に転用されました。当時、造船業が栄えた牛窓の町には6軒の櫓屋がありました。*1
敷地の裏側は海です。櫓屋となってからは、材料や製品の出し入れを海側から行いました。*1
【参考文献】
*1 谷沢明:瀬戸内の町並み(未来社,1991)P.419,P.439