割烹「まじま」や料亭跡の建物が残っているエリアの東側は、スナックや飲食店が建ち並ぶ繁華街になっています。
スナックが密集する路地。
四つ角にあるスナック。
スナックの建物脇に、「包丁、ハサミ、研ぎます」の看板。
割烹「まじま」や料亭跡の建物が残っているエリアの東側は、スナックや飲食店が建ち並ぶ繁華街になっています。
スナックが密集する路地。
四つ角にあるスナック。
スナックの建物脇に、「包丁、ハサミ、研ぎます」の看板。
割烹「まじま」の近くに、料亭だったと思われる建物が2軒ほど残されています。
奇抜なデザインの塀です。
隣の路地にあった別の建物。
玄関の電球。
今回は、平井(東京都江戸川区)の町並みと風俗を散歩します。
平井三業組合は1937~38頃に組織され、戦前は、芸妓250人、芸者置屋45軒、待合30軒以上あり、かなりの規模の花街でした。太平洋戦争時の空襲で壊滅状態となりましたが、その後復興しましたが、時代とともに、接待の仕方や遊び方が変わったため、昭和50年代の中頃に幕を閉じました。
現在は「まじま」だけが、当時の面影を残したまま割烹として営業中です。
高い塀で囲まれています。
当時のままと思われる中庭。
【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.239-P.240
国道23号線から1本海側の通り、この通りをまっすぐ行くと、若宮公園を経て三谷海水浴場へ行き着きます。
道路沿いの民家に、西宝牛乳の牛乳箱があります。
西宝牛乳は、三河三谷の乳業メーカーです。
牧場直営。
料理旅館「青柳」の近くに、芸妓組合の建物があります。
1階にコンパニオン募集の看板が取り付けられています。
温泉に、お座敷コンパニオンはなくてはならない存在です。
正式には、「三河温泉芸妓屋業協同組合」といいます。
三谷温泉の近くに、料理旅館などが建ち並ぶ花街の風情を残した通りがあります。
料理旅館「青柳」。現役で営業中です。
玄関脇の丸窓。
裏口付近の路地。
明山荘のある中心部から北へ向かって坂を下ります。
坂の途中にレトロなバーの建物が連なっています。
バー「田園」の入口。
バー街の建物を後ろから見るとこんな感じです。
三谷温泉の中心部にあるホテル明山荘。多くの客が訪れる名門のホテルです。
ホテル明山荘の奥の駐車場となっている敷地に、昭和40年に開業した本格的なキャバレー「みなと」の建物が残っています。
「全調査東海道酒・女・女の店」には、「『みなと』は、夜になると赤、青のネオンが点滅し、三谷へきたときは、まずここへ繰り込んで酒と女に浮かれてから、アバンチュールを求めて小さなバーへくりこむのが客たちのコースになっている。」と紹介されています。
2階建てで、1階にはステージがあり、専属バンドの演奏やダンスも楽しめました。*1
【参考文献】
*1 梅田晴夫:全調査東海道酒・女・女の店(有紀書房,1967)P.216-P.217
三河温泉は、三河湾に面した風光明媚な地にある由緒ある温泉地です。
三河温泉バス亭のある場所が温泉街の中心地です。みやげもの屋さんが並びます。
「海の観光地」として愛知県下でも有名です。
松風園。
今回は三河三谷(愛知県蒲郡市)の町並みと風俗を散歩します。JR三河三谷駅は、蒲郡駅にあり、三谷温泉などの観光地があります。駅前から海に向かって寂れた商店街があります。
通りに面して、閉店した商店の建物があります。
看板に書かれている「デジボーグ」「アストロン」は、時計メーカーのセイコーのブランド名です。
1980年。「聖子のピコレ」の頃の松田聖子さんでしょうか。ペンキ絵はかなり磨耗しています。
神宮小路の一画にある共同便所。
手書きで「便所」と書かれた木製看板。
手洗い場。
便所から見た神宮小路。
神宮前駅の北側すぐのところに、神宮小路の入口のゲートがあります。
石畳の呑み屋小路が続きます。
東西の通り。ラーメン屋が営業中です。
反対側(北側)の入口。
今回は、熱田( 愛知県名古屋市熱田区)の町並みと風俗を散歩します。
JR熱田駅をおりると、南側に神宮前商店街があります。すぐ隣(写真左側)は熱田図書館です。
周囲は近代的な町並みですが、神宮前商店街だけがレトロな雰囲気を残しています。
熱田図書館から神宮前商店街の建物の裏側をみると、木造3階建てであることがわかります。
建物の裏側。
北区水切町7丁目。古い町並みが残ります。
「バスハウス水切温泉」。銭湯を「バスハウス」と呼んでいます。
煙突に「バスハウス」「水」の看板。「切温泉」が無くなってしまったようです。
バスハウスの全景。
杉栄町の通りから、1本入った路地。
鮮やかな緑色の建物が残されています。城東園の遺構でしょうか。
細かな装飾もあります。
円柱部分は、薄いピンク色です。
杉栄町の通りから西の路地を入ったところに、妓楼風の建物があります。
城東園の名残の建物でしょうか。
現在は、「恋多人」という名のスナックとして営業中です。
昔の雰囲気の残る町並みです。
大曽根(松竹コーヒー)杉栄町5丁目バス停近く かつて、名古屋には、八幡園、城東園、港陽園の3ヶ所に赤線があり、その中でも北区長田町にあった城東園は、156軒、360名の最大規模でした。*1
長田町の北側に位置する杉栄町5丁目。
古い住宅地図*2 には、この建物は「松竹コーヒー」と記載されています。
モダンな造りの入口です。
松竹の屋号が現在も残されています。
【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店,1955)P.91
*2 善隣出版社:名古屋市北区(善隣出版社,1972) P.120
大曽根駅西側に料理旅館の十州楼があります。ここは、かつて市電(東新町-大曽根)が走っていた頃の終着駅付近で、賑わいを見せていた場所です。
十州楼は、有名な料理旅館です。
この建物は、文化庁の登録有形文化財に指定されています。
現在は、文化財保護のための修復工事のため休業中です。
女子大小路から脇道にはいったところ。
街の風運動。
コンドームの自販機です。
ストップエイズ。
女子大には、ドレスショップが何店舗かあります。パブやクラブが沢山あるため、ニーズがあるのだと思います。
派手なドレスがズラリと並びます。
歩道にも陳列されています。
価格は安価なほうだと思います。(手前の赤いドレスは2900円)
かつては女子大小路と呼ばれていた通りは、クラブの密集地帯です。現在は、「栄ウォーク街」と呼ばれています。
もともと、このあたりは学生街でした。県一高女、中京女子、育英、名電工、淑徳、も遠くなく、昼は学生たちで賑わっていました。
それが戦後になると、ぼつぼつ連れ込み旅館が増えてきて、昭和50年頃には、バー、キャバレー、飲食店、約700軒、働く女性の数、約3千人、特にバーの大型化ともいえるクラブの密集地帯となりました。
現在は、フィリピンパブが多いようです。
昼間の静まりは薄気味悪いほどですが、夜になると賑わいます。
【参考文献】
*1 大野一英:名古屋ケチケチ繁盛記(講談社,1977)P.286-P.292
「女子大」という地名は、近くに女子大があったことに由来しています。
店名に「女子大」の名が使われているコンビニ。
世界のやまちゃんの店名も「女子大店」です。
女子大らーめん。今でも「女子大」の名は健在です。
今回は、女子大(愛知県名古屋市中区)の町並みと風俗を散歩します。
栄ウォーク街(別名、女子大)の無料案内所。
「女子大無料案内所」。
こちらは、別の無料案内所。
女子大♡無料案内所。