かつては女子大小路と呼ばれていた通りは、クラブの密集地帯です。現在は、「栄ウォーク街」と呼ばれています。
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もともと、このあたりは学生街でした。県一高女、中京女子、育英、名電工、淑徳、も遠くなく、昼は学生たちで賑わっていました。
それが戦後になると、ぼつぼつ連れ込み旅館が増えてきて、昭和50年頃には、バー、キャバレー、飲食店、約700軒、働く女性の数、約3千人、特にバーの大型化ともいえるクラブの密集地帯となりました。
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現在は、フィリピンパブが多いようです。
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昼間の静まりは薄気味悪いほどですが、夜になると賑わいます。
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【参考文献】
*1 大野一英:名古屋ケチケチ繁盛記(講談社,1977)P.286-P.292