広島(広島東照宮)石柱に「東遊廓」

広島駅の北側にある広島東照宮。広島市の重要有形文化財に指定されています。社殿は現在修繕工事中です。

灯籠や玉垣が並びます。

紀元二千六百年(神武天皇の即位から2600年目に当たる1935年(昭和10年)に日本政府が行った記念行事)の際に建てられた石柱。

「東遊廓」と刻まれています。

広島(東遊廓跡地)東西二ヶ所に遊廓

広島には東西二ヶ所に遊廓があり、西遊廓は明治25年に創立されました。*1
その後、明治27年に日清戦争が起こり、広島に大本営が設置され、市街は空前の活況をみせました。これに伴い、薬研堀や平塚町、下柳町を中心とした新遊廓が誕生し、これが東遊廓となりました。*2
明治34年の「廣島商業地圖」によると、東遊廓は、現在の弥生町付近にありました。*3

現在も、一部に花街らしい雰囲気が残っています。

スナックの建物。

スナックの入口。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.136
*2 薄田純一郎:がんす横丁(たくみ出版,1973)P.62-P.63
*3 小曽根録造:廣島商業地圖(三倉源次郎,1901)

広島(薬研堀の風俗無料案内所)2番目に楽しい案内所

今回は、広島(広島県広島市)の町並みと風俗を散歩します。
薬研堀は、広島市を代表する歓楽街です。たくさんの無料案内所が目に付きます。

赤やピンク系の看板が多いようです。

こじんまりとした感じの案内所。

2番目に楽しい無料案内所。1番目はどこなのか気になります。


■カテゴリ 売店 34広島県
■散歩事典 広島

宮島(チチヤス牛乳の牛乳箱)鹿くんのいる路地

厳島では、神の使い「神鹿(しんろく)」として鹿が神聖視されています。
町のあちらこちらに「鹿くん」が放し飼いにされています。

「鹿くん」のいる路地を下り、逆方向から見たところ。チチヤス牛乳の牛乳箱があります。(写真左下)

チチヤスは、広島県廿日市市に本社を置く乳業メーカーで、大正6年にわが国ではじめてのヨーグルトを発売しました。*1

黄色の牛乳箱に「チチヤス」の文字が映えます。

【参考URL】
*1 チチヤス株式会社:チチヤスの歴史


■カテゴリ 牛乳箱 宮島
■散歩事典 宮島

宮島(厳島町遊廓跡地)聖域=性域でした。

厳島神社は、神道の自然崇拝を表現していて、宮島は古くから聖域とされていました。
ところが、宮島には厳島遊廓があり、聖域=性域だった史実があります。*1
「全国遊廓案内」には、「厳島町遊廓は、貸座敷4軒、娼妓は14人で、(伊勢神宮のある)宇治山田の遊廓に比較するには余りに淋しい感じはするが、営業方針の如何によっては、各国から人々が寄ってくるところだけに、将来は大いに発展する可能性がある。」と紹介されています。*2
遊廓は、現在の中乃町(町家通り)と新町にありました。前者は新吉原、後者は大阪の町名にあやかったとされています。*1

中乃町の遊廓跡地。*1

新町の遊廓跡地。*1

遊廓のための内科医院があった場所。*1

【参考文献】
*1 忍甲一:近代広島・尾道遊廓志稿(日本火災資料出版,2000)P.299-P.300,P.329-P.330
*2 南博:代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.136-P.137

宮島(駅前の白ポスト)前面が曲面になっています。

今回は、宮島(広島県廿日市市宮島町)の町並みと風俗を散歩します。

安芸の宮島と言えば日本三景のひとつですが、中でも、1996年に世界遺産に登録された厳島神社が有名です。

JR宮島口駅前の公衆トイレ脇に、ちり紙の自動販売機と白ポストが並んでいます。

前面が曲面になっています。


■カテゴリ 白ポスト 宮島
■散歩事典 宮島

柳井(石原遊廓跡地)周囲にめぐらされていた堀の痕跡

「全国遊廓案内」*1 によると、柳井町遊廓(石原遊廓)は、山陽本線の柳井津駅(現柳井駅)から約十丁、(旧地名で)柳井町字石原にありました。
石原遊廓は、明治42年に新市(しんいち)遊廓地から移転してきたもので、貸座敷は十数軒ありました。*2

明治44年の「最新柳井町市街図」*3 によると、片野川の西側に6つに区画された一画があり、「遊廓地」と記されています。地図によると、遊廓地は堀で囲まれていたようです。
遊廓地であったと思われる一画は、現在の東土手通りの片野川に接したあたりです。ここから道幅が広くなっています。(写真手前)

旧遊廓地の周囲にめぐらされていた堀の痕跡が残されています。現在、堀は埋められ、道路になっています。

同じ場所から、南側をみたところ。

【参考文献】
*1 南博:代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.137
*2 鎌原成治:柳井案内(藤田文友堂,1910)P.
*3 富士秀太郎:最新柳井町市街図(富士秀太郎,1911)

柳井(パーマ屋)白壁の町並み

今回は、柳井(山口県柳井市)の町並みと風俗を散歩します。
白壁の町並みで有名な柳井市街には、随所に古い町並みが残されています。

レトロな理容室の建物が健在です。

東土手通りの廃業したパーマ屋さんの建物。この先には石原遊廓がありました。

看板にうっすらと「美容室」の文字が確認できます。

光(室積の遊女の歌碑)遊女が普賢菩薩になった話

室積は、かつて北前船の寄港地として、瀬戸内海で有数の港町として栄えました。その南端にある象鼻ヶ岬は、御手洗湾を望む風光明媚な観光スポットです。

象鼻ヶ岬の突端に大師堂(旧海蔵寺)があります。

大師堂の境内に、性空上人(平安時代中期の天台宗の僧)にかかわる「遊女の歌碑」があります。現在の碑は新しいものですが、右隣にあるものが、以前の歌碑です。*1

性空上人は、生身の普賢菩薩を拝みたいと祈念していたところ、ある日夢の中で「摂津国(現在の兵庫県)の江口に行くべし」とお告げがありました。性空上人がその地を訪ねると、遊女が「周防なる室積の中の御手洗に風は吹かねどもっさら波立つ」と歌い出し、上人が目と瞑るとその遊女が普賢菩薩となりました。*1*2
なぜ、遊女が普賢菩薩になるのか、その理由を脇田晴子さんは、「遊女の『癒し』の機能といったものに対する男性たちの都合の良い憧憬(しょうけい)の表れで、身を犠牲にして男たちに奉仕する美しい女たちは、男の目から見れば、観音とも普賢とも映ったに違いない。」と考察しています。*2
尚、室積には、大黒屋とゑびすやの2軒の遊女屋があり、このうち大黒屋については、大黒屋十五朗、本名佐内十五朗という人物が室積南町で遊廓を経営していました。*3

【参考文献】
*1 國廣哲也:光市史跡探訪 第1集(光市文化財研究会,1987)P.22
*2 脇田晴子:女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子(角川書店,2001)P.110-P.112
*3 光市地方史研究会:光地方史研究29(光市立図書館,2003)P.6,P.9


■カテゴリ 伝承
■散歩事典 御手洗

光(島田市)遊女小屋が立っていました。

島田市(しまだいち)は、その地名の通り、現在の島田市郵便局(写真、左側手前)から熊野神社前に至る約250mの道路を媒体として定期的に市が立っていた場所です。*1
天明8年(1788年)の紀行文「江漢西遊日記」の9月28日の項に、「此処には、市町(いちまち)とて芝居もあり、遊女なども来り居(いる)と云。....芝居を出て右の方に行けば、明家(あきや)を俄(にわか)に竹と打付けて、コウシ(格子)として遊女四五人並ぶ。何れも赤き装束なりき。」という記述があります。夜遅くまで、かなりの人出で賑わい、それを当て込んで遊女小屋や見世物小屋が立っていました。*1*2

同じ場所から南側を見たところ。

熊野神社方面へ向かって50mぐらい歩いてみますが、市が立っていた頃の面影は残っていないようです。

脇道を入ったところ(大雲寺付近)にある民家。

【参考文献】
*1 國廣哲也:光市史跡探訪 第1集(光市文化財研究会,1987)P.52-P.53
*2 司馬江漢:江漢西遊日記 東洋文庫461(平凡社,1986年)P.90-P.93


■カテゴリ 伝承

光(伊藤公資料館)初代総理大臣は女好き

岩田駅から島田駅方面へ向かって山陽本線沿いの道を約2Km。さらに、山間部の道路を1.6Km行くと伊藤公資料館があります。

今年は、伊藤博文没後100年にあたります。

初代総理大臣伊藤博文と言えば、旧千円札の顔として有名です。

伊藤博文のもう一つの顔は、彼の一生を通じての女好きでした。花柳界の美女を何人も引き入れて、それだけ取り上げても長編小説ができあるほどでした。*2
薩長連合が成立したとき、博文は長崎の薩摩藩邸へしばしば出かけましたが、薩摩が目的か女郎屋が目的かがわからないほど、長崎丸山の遊廓へ通いました。このときの指導者は高杉晋作で、晋作は、軍艦を買うために藩から預かってきた軍用金で妓楼を買いきって豪遊しました。明治初年、横浜の富貴楼*5 が一時政治の中心となったことがありましたが、このとき博文が愛した女はおびただしい数にのぼりました。その後博文は、本格的に新橋で遊びはじめました。「紅燈秘話新橋三代記」*4 によると、いきあたりばったり手当たり次第に手を出したといいます。*3

【参考URL】
*1 光市観光協会:伊藤公資料館
【参考文献】
*2 星新一:明治の人物誌(新潮社,1978)P.99
*3 末永勝介:近代日本性豪伝 伊藤博文から梶山季之まで(番町書房,1969)P.15-P.43
*4 つや栄:紅燈秘話新橋三代記(妙義出版,1957)P.27-P.31
【参考記事】
*5 風俗散歩(桜木町):料亭「富貴楼」跡地(2007.8)


■カテゴリ 伝承
■散歩事典 長崎丸山

徳山(大津島)回天記念館

徳山港からフェリーに乗って、大津島へ向かいます。大津島には、「回天」の訓練基地がありました。「回天」は、魚雷を改造し、中に人間が入って操縦することができるようにした特攻兵器です。

回天記念館前には、回天のレプリカが展示されています。

隊員たちから「回天の母」として親しまれていた、旅館「松政」のお重さんの説明パネルが展示されています。
戦局が厳しくなった昭和19年11月、「松政」*1 で、若い12名の士官の会合がありました。お開きの時間が近づいたとき、大広間から聞こえてきた「同期の桜」の大合唱は、お重さんの胸を激しく揺さぶるような魂のこもったものでした。この日が回天の隊員の壮行会であったことをお重さんが知ったのは、翌年3月の新聞を見たときで、隊員28名の写真の中に顔見知りの隊員の顔を見つけたとき、お重さんはその写真の上にボロボロと涙を落としたといいます。いくらお国のためとはいえ、お重さんにはあまりにむごいことのように思われました。*2

回天訓練基地へ向かうトンネルが現在も残されています。

【参考記事】
*1 風俗散歩(徳山):旅館「松政」(2009.10)
【参考文献】
*2 小川宣:語り継ぐ回天(赤坂印刷,2005)P.232-P.233


■カテゴリ 伝承 徳山
■散歩事典 徳山