高山昭和館のある通り。このあたりは、町全体が昔の雰囲気を残しています。
「理髪」と書かれた看板のある理容室。
こちらの理容室は、休業中のようですが、色とりどりのペンキで装飾されています。
当時のままの佇まいです。
高山昭和館のある通り。このあたりは、町全体が昔の雰囲気を残しています。
「理髪」と書かれた看板のある理容室。
こちらの理容室は、休業中のようですが、色とりどりのペンキで装飾されています。
当時のままの佇まいです。
市内を流れる宮川に架かる中橋。擬宝珠や欄干をそなえる美しい橋です。
川沿いに、銭湯の中橋湯があります。
特徴のある煙突。
お湯は熱すぎず、ゆっくりできます。
末広町の二番街に、銭湯の桃の湯があります。
木造建築の銭湯です。
鮮やかな緑色の暖簾。
外観と同じように内部もレトロ感たっぷりです。
商店街で見かけた飛騨牛乳の牛乳箱。高山市街ではよく見かける牛乳箱です。
「ウルトラ・ハイ」と書かれています。
木製牛乳箱、プラスチック製牛乳箱、ヤクルト、郵便受け。
「飛騨牛」と言えば”ブランド牛”ですが、「飛騨牛乳」は”銘乳”です。
花岡遊廓跡地の東側に位置する末広町は、歓楽街となっています。
歓楽街は、「二番街」と呼ばれています。
スナックや居酒屋が点在しています。
バーの建物。
花岡遊廓の中心部だったと思われるあたり。
旅館の「かみなか」があります。遊廓時代の面影を感じさせる建築です。
旅館の「かみなか」の建物は、明治中期の建物で、国の登録有形文化財に登録されています。館内いたるところに創建当時の面影が残されており、現在高山市に残っている建築様式としては一のものです。*1
旅館裏の路地には、遊廓時代を偲ばせる空間が残っています。
【参考URL】
*1 旅館の「かみなか」:ホームページ
今回は、高山(岐阜県高山市)の町並みと風俗を散歩します。
高山の遊廓(大名田町(おおなだちょう)花岡遊廓)は、現在のJR高山線と国分寺の間にありました。
昭和11年発行の市街図*1 でみると、「花岡廓」と記された一画があります。
花岡遊廓の許可地は、3,500坪あって、妓楼は12軒、娼妓は52名いました。*2
遊廓の跡地には、旅館や割烹料亭などが点在しています。
板壁が美しい割烹料亭。
遊廓の北側飲食店街。
【参考文献】
*1 地図資料編纂会:昭和前期日本都市地図集成(柏書房,1987)P.121
*2 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.86 「全国遊廓案内」
各務原駅近くの駐車場。車止めのコンリートブロックが置かれています。
コンリートブロックには、店の屋号が書かれています。
コンクリートブロックには、「犬の糞お断り」と書かれたものもあります。
犬の糞お断り。
今回は、各務原(かかみがはら、岐阜県各務原市)の町並みと風俗を散歩します。
名鉄岐阜駅から約15分の各務原市役所前駅。
改札口の手前に白ポストがあります。
銀色に輝く金属製の白ポスト。
「ゴミ・タバコの吸い殻等は入れないでください。」と書かれています。
手力の国道沿い。自動車の便が良いことから、レンタカー、車検場、中古車販売、廃棄物処理業者などの、自動車関連の施設が、道路沿いに密集しています。
これらの自動車整備関係の施設に混じってラブホテルが立地しています。どちらも自動車に縁の深い施設ですが、ここでは両者が同じ場所に立地しています。
道路から一歩入ると、そこはラブホテル街です。
ラブホテルに隣接する廃棄物置き場。
旧手力園の跡地。
レトロな理容室があります。
昔のままの佇まい。
現在も営業中のようです。
旧手力園跡地に、古い長屋の建物があります。
スナックだったと思われる店舗が併設されています。
建物の側面には、ひょうたんの絵が描かれています。
軒下の灯り。
今回は、手力(岐阜 県岐阜市)の町並みと風俗を散歩します。
岐阜の金津遊廓は、明治期に誕生し、約50年におよぶ歴史を積み重ねましたが、戦時中の昭和18年、「金津遊廓の建物をまるごと川崎航空機の寮に提供せよ。」という通達が当時の知事から出され、これに伴い、遊廓は、手力(てぢから)に移転しました。 戦時中は享楽機関の営業が停止されている建前上、「遊廓」を名乗ることができなかったため、「手力特殊飲食店街(通称:手力園)」と呼ばれていました。*1
写真の商店の向こう側が手力園があった場所です。
現在は、住宅街となっています。
付近には水路が巡っています。
商店もある生活感のある住宅街です。
【参考文献】
*1 加藤政洋:敗戦と赤線(光文社,2009)P.115-P.129
川越駅から新所沢駅へ至る県道6号線沿いの下赤坂付近には、ラブホテルが数軒点在します。
郊外のラブホテルの周辺で見かけるのが、電柱の貼り紙です。
住宅街の電柱の高い場所に貼られています。
工事用フェンスの貼り紙。
市役所の近くに、川越市に唯一残る銭湯の旭湯があります。
道路沿いに面したレトロ銭湯です。お客が多くかなり繁昌している模様です。
人力車がデザインされた暖簾。
銭湯脇は駐輪場スペースになっています。
蔵造りの町並みが広がり、観光客が絶えない川越の「一番街」から西に折れると、料亭の「山屋」があります。「山屋」は、明治初年からここで営業を続ける料亭で、大正から昭和初期の、花柳界が最も華やかだった時期の面影が今も残る店として知られています。*1
緑に囲まれた料亭。
川越は芸どころで、ちゃんとした芸者さんが何人もいました。芸事にうるさく、風紀が厳しかった川越では、芸者が男性客と寝ることは許されませんでした。
料亭「山屋」の前の通りは、観光地である「一番街」から少し入ったところですが、ここには、昔の情緒が残っています。大正期の洋風建築で有名な埼玉りそな銀行川越支店(写真右奥)が見えます。
【参考文献】
*1 朝日新聞さいたま総局:さいたま文学紀行 作家たちの描いた風景(さきたま出版会,2009)P.128-P.129
川越と言えば、東京の原風景を今に伝える蔵造りの町並みです。休日には多くの観光客で賑わいます。
通りから一本路地を入ると、観光地とは思えないような生活感のある空間が残っています。
商店の看板建築。
緑で囲まれた理容室。
喜多院近くの長屋風の建物。
軒下に牛乳箱があります。
かすれて読みにくくなっていますが、「全酪牛乳」と読み取れます。
生活感のある風景です。
喜多院裏のお堀。
犬糞看板があります。
シャッターに貼られたオシッコ禁止の貼り紙。
なぜか、税込315円と書かれた値札が貼りついています。
当時の面影が残る旧市村旅館。
今回は、川越(埼玉県川越市)の町並みと風俗を散歩します。
川越には、喜多院の手前、西小仙波町に、遊廓が存在しました。*1
喜多院へ通じ道路には、旅館だった建物があります。
同じ建物を側面から見たところ。
現在、食事処となっている建物。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.100-P.101
遊廓があった横町通り沿い。
坂城の遊廓は、横町裏の天領時代の陣屋跡地に選定されました。*1
今回は、坂城(長野県上田市)の町並みと風俗を散歩します。
坂木宿ふるさと歴史館は、宿場時代を再現した建物の中に、坂城宿の歴史に関する資料が展示されています。
坂城宿は、北国街道の宿場として100軒以上の建物が建ち並ぶ大きな宿場でした。
坂城宿は、長野県の中では権堂宿と並び早い時期から飯盛旅籠が設置された宿場でした。
坂城宿の模型。写真の横に延びる通りが立町。写真の左側の通りが遊廓があった横町です。