南桜社東都芸妓名鑑南桜社1930 リンク
九段富士見町花街の沿革 リンク

明治二年、現在の菊乃屋の長岡仁兵衛氏が山手方面の繁盛を期する考えからこの地に花街の新設を思い立ち、当時の参議広澤真臣の力にすがって現在の靖国神社境内に茶店を出したのが初めであるといわれている。
明治19年、見番を設け、大正八年5月、九段富士見町三業組合と改称された。現在、芸者屋数14軒、芸者総数429名を数える。

九段芸妓連名

分千代本

御待合 福林

下谷花街の沿革 リンク

P.6
喜久家の記載。

向島花街の沿革 リンク

向島芸妓連名の項に、「花びし」。

芝浦花街の沿革 リンク

御料理「いけす本店」。

亀戸花街の沿革 リンク
この地が花街として発展したのは、寛政年間からであって、各所に散在していたのがいつの頃よりか、今日のような繁昌を見るに至ったのである。 もっとも、この近くには、深川、向島棟の花街が江戸時代からあり、殊に深川江戸町随一と称せられていたくらいであったが、水野越前守の大改革によって、それは何れも深川から各地に逃げのび、この地にきて芸妓渡世をしたものが少なくなかった。それがこの地に花街を形成させたそもそもの始めで、天満宮に参詣する幾多の人士を相手にするようになってから、急激な発展を示したのである。