この地が花街として発展したのは、寛政年間からであって、各所に散在していたのがいつの頃よりか、今日のような繁昌を見るに至ったのである。
もっとも、この近くには、深川、向島棟の花街が江戸時代からあり、殊に深川江戸町随一と称せられていたくらいであったが、水野越前守の大改革によって、それは何れも深川から各地に逃げのび、この地にきて芸妓渡世をしたものが少なくなかった。それがこの地に花街を形成させたそもそもの始めで、天満宮に参詣する幾多の人士を相手にするようになってから、急激な発展を示したのである。

花街の創設
芝居茶屋が出現するど同時に草分け芸者として生まれ、翌年(明治3年)頃に二十三、四人の芸者が集まる花街となった。
花街沿革
明治三十三年頃は、芸者見番は旅籠町三丁目九番地にあって、芸者屋は二十九軒であります。