東奥日報社坂に愛称できた!! 坂の街・むつ市大湊 3東奥日報東奥日報社1991.4.4

一番坂

 大湊上町の常楽寺西側にある坂。常楽寺には霊場恐山まで続く三十三観音の起点となる一番観音があることから「一番坂」と名付けられた。
 恐山には古くから全国の善男善女たちが数多く訪れている。遠くから海路はるばるやってきた参詣者たちは、菊池桟橋で船を降りた後まず常楽寺の一番観音を拝み、順に三十三の観音さまを巡りながら恐山へ向かったという。恐山参詣の起点という由緒が坂の名にとどめられた。
 坂の途中には明治期初頭ごろまで牛頭天王という疫病よけの神様が祭ってあったため、古くは「天王坂」と呼ばれていた。牛頭天王は京都・八坂神社からつたえられたものとされ、京都方面との活発な海上交易の名残でもあった。

ロマンス坂

 大湊上町稲荷神社わきの坂。神社のすぐ下、坂の中腹あがりに明治43年、大湊地区では初めての演芸場が建てられた。地元の若者の集まりだった上町盛年団が中心となって設立したといわれ、初期は盛港館の名で芝居や歌舞伎、踊りなどが上演された。
 大正時代から無声映画の上映も始まる。その後名称は、新興劇場、ロマンス座と変わり、映画専門の劇場になったが、一時は、大変な賑わいを見せた。半世紀以上にわたり大湊の人々に娯楽を提供し続けたこの劇場も、ほかに新しい映画館ができたことやテレビの普及などで客足が遠のき、昭和30年代に閉館した。
 名画との出会いに胸をときめかせて人々が通ったこの坂道の思い出を残すため、劇場の名をとって「ロマンス坂」と名付けることにした。

この文献を参照している記事

大湊(ロマンス坂)賑わいを見せた「ロマンス座」跡。