紫桃正隆: 大河の四季 : 石巻地方の史談と遺聞 (宝文堂出版販売,1984)石巻の玄関口、蛇田町盛衰記

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蛇田町の宿駅としての機能は、中世葛西氏の時代にすでに果たされていた。

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寛文6年(1666)から明治22年(1889)にいたる二百二十余年、このまちは石巻の北の玄関口として大いに繁盛するのである。蛇田町の区画は、現在の旭町とほぼ同形で、蛇田町のまわりは濠、土手などで厳重に包み込まれ、町の入口には南北ともに番屋が置かれ、通行人は、きびしくチェックを受けた。一ノ関街道への出入には必ずこの町を通らねばならず、そのねらいは旅人改めに於代えていたのが判る。
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明治の中期になると、蛇田町ならず隣の横町一帯は「花街」として生まれ変わる。蛇田町は別の意味での酔客たちで賑わうようになる。しかし、ここで一つの問題が発生する。従来呼び馴れた名前でも「花街」ともなれば蛇田町ではいかにも無粋に聞こえる。「蛇」と聞いただけでも折角、膨らみかけた身も心も委縮してしまう。そこで町名変更ということになった。かくて選ばれた町名は、石巻の北東に位置し、旭昇天の繁栄が期待できる「旭町」であった。
かくて、宿駅として賑わった蛇田町も二百年の歴史を閉じ、この辺り一帯は「花街」として再生するのであった。
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旭町の現、鳥屋神社の境内には、鎌倉末期から南北朝期にかけて造立の板碑が数基立っている。これは古い時代の往還(街道)を偲ぶ一つの遺物でもある。