山谷一郎: *岬を駈ける女 (はたもと出版,1992)

P.270
中川イセ略歴
・1901年(明治34年)8月26日山形県干布村荻野戸(ほしぬのむらおぎのと)に生まれる。
・1919年(大正8年)娘愛子の養育費を前借して、北海道旭川の遊廓に身を売り、その翌年、網走遊廓「金松楼(きんしょうろう」に転売される。
・1947年(昭和22年)網走市議に立候補。定員30名に、86名が立候補し、27位で当選した。その後トップ当選2回を含めて連続7回当選。
・網走監獄保存財団理事長。
・網走市名誉市民。
P.201
中川イセは、柔道三段。荒くれ人夫を一本背負いで投げ飛ばしたことがある。

P.24-P.25
網走遊廓は明治25年には既に紅灯をともしていた。当時の網走村の人口は、わずかに600人、その大半は先住民のアイヌ人であった。それが(遊廓ができることによって、)2年後には人口1700人に増えたのである。監獄という国家機関ができたことによって、先行き必ず発展するであろうという思惑もあって、遊廓もできたのであろう。
P.27
他に、刑期を終えて監獄から放免された者が、町に入って婦女子に対しの性犯罪を防止する、防波堤として認可されたという説もあった。事実、遊廓が出来て以後、此の町の性犯罪は皆無と言っていいほど少なくなった。