市原三三:ふるさと美濃市明治大正よもやま話(市原三三,1981)

P.149-P.152
大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んだった時代で、料亭も多くあり、芸妓数は30余名を数えるほどでした。この当時、昔からの民謡に対し各地で新しい民謡をつくることが流行し、これを新民謡といい、東京音頭やチャッキリ節などのできたのもこの頃です。そこで、美濃町も新民謡として音頭や小唄をつくることが料芸組合によって計画され、大野音五郎(緑風荘)、森久吉(子の日)、後藤幹三(朝日楼)などが中心となり、有名な詩人西条八十をおたずねして作詩をお願いしたところ、快諾され、美濃町音頭と美濃町ナントショ(小唄)それぞれ10番まで作って下さいました。

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