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五反田花柳界も三業組合と呼んでいた当時までは、何かと盛んな頃もあったが、戦後次第に衰退の一途を辿った。特に戦後は売春防止法の制定によって、「公娼制度」いわゆる遊廓が廃止されてからというものは一層顕著となった。「待合い」に於ける売春の取り締まりと共に、やがて「待合い制度」というものが廃止されると、業態は置屋と料亭になり、これを二業と呼んだわけである。五反田も二業組合になってからは苦しい財政のなかで、昭和56年12月まで花柳界を支えてきた。最後まで営業をつづけていたのは、料亭「丸二」だけであった。