篠塚猶水佐原案内中村写真館1914
P.89-P.90 佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」に「小よし」と称して売り出し。千代川の今吉等はその次に生まれたるものゝ由なり。芸妓の黄今時代とも言うべきは、明治32~3年頃、成田鉄道の佐原まで布設当時にて、芸妓百数十名の多きに上り、毎夜、絃聲鼓響、洋々として何処の青楼も賑を呈したり。

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佐原(稲荷神社)佐原見番、色川八十八寄進の玉垣。